1日、金曜日の晩、Barbicanで見ました。
毎年この時期の音楽系ドキュメンタリー映画祭 - Doc'n Roll Film Festivalからの、これがLondonプレミア上映で、今はもうMUBIで配信もされているのかしら?
この映画祭、毎年行けないやつばかりなのだが、今年はThe RaincoatsのGina Birchさん - この会場にも来ていたみたい - のとか、SWANSのとか(これは巡回していくって)、でもいっつもなにかとぶつかるのよねー。
フォトジャーナリストのSeamus Murphyの監督作品で、彼とPJ Harveyは2015年に“The Hollow of the Hand”という、これは彼の写真と彼女の詩文が載った本 - どちらが先、というよりも両者がコラージュのようなかたちで並存している - を出していて、この映画はその映像版、というよりもあの本はこうして作られていったというその過程と、もうひとつはPJ Harveyの9枚目の作品“The Hope Six Demolition Project” (2015)がどのように作られていったのか、を記録したものにもなっている。
具体的にはSeamus Murphyが紛争の傷がまだ生々しいアフガニスタン、コソボ、貧しいアフリカン・アメリカンを中心としたコミュニティがあるワシントン DCの姿を記録していく旅にPJ Harveyが同行して、現地の人たちと会ったり、通りを歩いたり街角に佇んでメモを取ったり(映像に彼女の言葉が被さったり)する姿と、“The Hope Six Demolition Project”のレコーディング風景 - ロンドンのSomerset House(普段はアートギャラリーとかイベントとかスケートリンクとかをやっているとこ)の地下にガラス張りのスタジオを作って、レコーディングの模様をアート・インスタレーションとして公開した - がランダムに行ったり来たりする。
“The Hope Six..”のタイトル自体が、ワシントンDCの地域再開発プロジェクトから来ているものだし、個々の曲の詩も管楽器を多用した(これまでの彼女の作品と比べると)ラフで隙間だらけで雑多な構成の楽曲も、ここでのふたりの旅がもたらしたものであることがわかる。のだがそれだけ、と言ってしまえばそれだけの、本とレコードのメイキング映像、でしかないかんじになってしまったのはしょうがないか。
こういうのって、短期間安全なかたちで滞在しただけで現地の何がわかるというのか、とかよく言われるけど、たとえ数時間でもその場所に行ってある時間を過ごすっていうのはとても大事なことだと思うし、廃墟や通りの隅にひとりで立っているPJの表情が伝えてくるものは確かにある。そしてこれとは対照的にリラックスした、しかし力のこもったレコーディングの場で歌ったりいろんな楽器を弾いたりする姿 - それは自分はなぜ音楽をやるのか、を改めて発見した歓びに溢れているようで素敵ったらなくて、2017年1月31日 - 英国に赴任する前日 - に見たライブが圧倒的だった理由もこれを見ればわかると思う。
その人が出ているというだけで見に行ってしまう映画があるように、PJが映っていて歌ったり演奏したりしている、それだけで見にいくべき、これはそういうやつなので、行くべし。
上映後のSeamus Murphy氏とのトークで印象に残ったのは、この映画で訪れた各地域で最も身の危険を感じたのはワシントンDCだった、というところ。
PJにサインしてもらった“The Hollow of the Hand”が棚のどこかにあるはずで、3日くらいずっと探しているのに出てきてくれない。
11.11.2019
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