10月27日、日曜日の午後、Picturehouse Centralで、見ました。 ネタバレしてるけどべつに。
このお話が成立しているってだけで半分くらいはどういうことかわかるよね。
最初のT1とT2から繋がる本流本筋、みたいに言われているけど、ああいう物語の構造上、なんでもありの世界のはずだから本流もくそもないと思う。
T2から少し経ってからの世界 - メキシコでJohn Connorは殺されて、それ以降の未来でやはりなにかが起こったらしく、今回狙われるのはDani (Natalia Reyes) で、狙うのはREV-9 (Gabriel Luna)ってやつで、彼女を守るために未来からやってくるのはGrace (Mackenzie Davis)で、でも彼女はロボットではなくて改造人間みたいなやつで、そこに未来からなんか来るのを待ち構えていたSarah Connor (Linda Hamilton)が加わって、なんとか刺客をかわしてアメリカに渡り、ロボットなのに老人になっている(なりたいんだって)何台目かのT-800 (Arnold Schwarzenegger)も加わってどんぱちするの。それだけなの。
このシリーズのそもそもの発想 - 過去に遡って反乱軍の指導者の母親を消してしまえばきっと安泰 - が余りにガサツでこれをAIが考えたのだとしたらそんなAIを開発した未来に未来はないよ、ていう揺り戻しとか反省もあったのか、今度のはぜんぶ女性が強くて彼女たちががんばってT-800は大型犬のように後ろにいる。男性よりも女性、しかもなんかをただ産むだけの存在として扱われていないし、シニアの活用もしっかり、ってそれはそれでなんかやらしいし、ここにDaniがキメ台詞のようにぶち上げる「Dark fateなんてあるもんか、運命は自分たちが作るんだ!」まで加えてみると余りに優等生すぎてがんばってね、くらいしか言えない(そしていろんな意味であまりにバカすぎるあの邦題)。AIみたいに優等生が作ろうとする未来に対しては絵に描かれたような優等生の絵で対抗するしかないのだろうか。 そしてこういう正論をいう優等生が出て来ていたのにあんな未来になってしまったというのはどういうわけ? ていうぐるぐるが。
なにがあっても政権の命令に従うこと、ってプログラムされた頭だけはよさげな官僚どもにどうやって立ち向かうのか。ろくにアートに接したことも「アートとはなにか?」を考えたこともないようなロボットに、なぜ表現の自由は尊重されなければならないのか、を説くことの難しさと徒労感。優等生の正攻法でどうにかできるレベルではない、とかそういうことを考えたり。 「アート」を「人権」とか「倫理」とかに置き換えてみてもいい。けどもう、ほーんとにあほらしいのでみんな滅んじゃえ、くらいは思う。思った。
Mackenzie Davisさんは、”Tully” (2018)のTullyに続いてなんでも解決してしまう夢のような人だったねえ。
Daniを演じたNatalia Reyesさんは、”Pájaros de verano* (2018) - Birds of Passage - でも素敵だったのだが、この機にこの映画も日本で公開されますように。彼女、真剣になったときの表情とか、ちょっとAOCに似ていたりしない?
11.09.2019
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿
注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。