20日の晩、BFIでみました。 邦題は『ギャンブラー』。
BFIがたまにやっているでっかいスクリーンでクラシックを見よう、のシリーズのひとつで、BFIのキュレーターGeoff Andrewさんからのイントロがあって、これも(まだ続いてた..)お天気の映画シリーズの1本なのですが、この映画の天気ときたらとにかく最悪で、最悪なのは天気だけじゃなくて音もごっちゃりセンターに固まって団子状態のひどいもんだし、出来事も画面のフロントではなくバックとかはじっこで起こってばかりだし、画面には常にモヤがかかっているようで見晴らし悪いし、お話しそのものだってどうしようもないルーザーの物語で、とにかくすっきりしないことおびただしい。 けどわたしはこの映画はすばらしい、70年代の西部劇を代表する1本だと思う、と熱く語ったので、激しく同意する。
Criterionによる4Kリストレーションしたバージョンでの上映だったのだが、始まって数秒で数人がぶって噴き出して抑えた笑い声が続くくらいに画面のもやもやどよーんとしたかんじには素材が洗濯されたかんじなんてこれぽっちもなく、昔のPFFでこれの35mmがかかったときにひどい状態だったことを思い出したりもしたのだが、要するに4Kになろうが擦れて傷んだアナログだろうが音も含めて変わらないdenseな世界は揺るがずに広がっていて、その湯気のような雲のようなくぐもった光景に包まれて、そこにLeonard Cohenのギターと歌が雪のように散ったり降りかかったりしてくるとなんか気持ちよいのだった。
筋は簡単で、20世紀のはじめ、ワシントン州の山奥にJohn McCabe (Warren Beatty) が流れてきて、コックニー訛りの女衒Mrs. Miller (Julie Christie)を雇い入れて娼館を建てて商売していくのだが、そこにMcCabeに恨みをもつやくざもの達が絡んできてどうなる、ていうそれだけ。
最後のほうには対決〜決闘みたいなのもあるし、McCabeとMillerの恋みたいのもうっすらあるのだが、前者は建物が建てられてそれが火事になったり壊れたりしていく工程の一部のような描かれかただし、後者ははぐれノラとはぐれノラがすれ違いざまにシャーッてやって、すこし近づいて舐め合いして、また離れていく、そんなふうに描かれている。 そして後にはなにも残らなくて、ただ霧雨とか雪とかの奥に、湿気で曇った窓の向こうにぼんやりと何かがいた、でも確かにはっきりなんかが音をたてていたねえ、ていうその気配とか印象だけが柔らかく残る。
頭の奥に残るっていえば、ふたりと悪漢以外にもみんな残るの。娼婦のひとたちも酒場にいたひとたちもShelley DuvallもKeith Carradineも、ひとりひとりが遠い日の記憶のように古い写真のなかのように向こうの世界にはいて、どこか頼りなさげな眼差しをこちらに送ってくる。
これが70年代のアルトマンだ、とかわかったふうなことを言うつもりはないのだが、70年代のアルトマンの映画を見る、ていうのはそんな彼らひとりひとりに会いにいく、再会する、そして彼らもそれを待っているんだ、ていうのがわかって、それが大きな動機のひとつになる - Leonard Cohenの歌が彼のまわりの女性たちに捧げられて、ずっと歌われ続けるのと同じようなかんじでね。
9.30.2017
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿
注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。