9.19.2017

[film] Le Deuxième Souffle (1966)

日本でももうじきPFFで上映されるようだが、BFIではこの8-9月に生誕100周年の記念特集 - "Jean-Pierre Melville: Visions of the Underworld" が進行中で、Stephen Kingの特集と合わせて慌しいったらない。

既に見逃してしまったのも2-3本あるのだが、ここまでに以下を見てきた。

8月15日に "Bob le flambeur" (1956) - 『賭博師ボブ』
8月18日に "Deux hommes dans Manhattan" (1959) - 『マンハッタンの二人の男』
8月21日に "Le Doulos" (1963) - 『いぬ』
9月10日に "Le Deuxième Souffle" (1966) - 『ギャング』
9月17日に "Un Flic" (1972) - 『リスボン特急』

再見のもあるし、何本かはまだ見れると思うのだが、とにかくどれを何回見てもおもしろくて、それらの感想とか書いたり読んだりするヒマがあるのなら一本でも多く見た方がいいよ、て言うしかないので、個々に感想書くのを怠けてしまった。

なんでこんなにおもしろいのだろうか?
メルヴィルの映画って、やくざとかギャングに関する映画がほとんどなのだが(ちゃんと調べてない。ごめん)、やくざとかギャングっていうのは、我々が普段会社に行ったり学校行ったり食事したり映画に行ったり、という我々がこれが「ふつう」と思っている暮らしかたとは別の - 綱渡りとか命がけとか一攫千金とかだまし討ちとか、そういうのを狙ったり追ったりして暮らしを立てている人たちのことで、でも彼らにとってはそれが「ふつう」というだけのこと、我々とおなじように寝坊したりつまんないとこで引っかかったり失敗してぶつぶつ言ったり、最悪の場合殺されちゃったりする。

それらを総合すると特集のタイトルにあるように"Visions of the Underworld"という、地下世界の見方、掟とか考え方とかロジックとか、あるいは仁義と呼ばれるものとか、彼らの視野とか言語とか、そういうものを抽象化するのではなく具体的に見せる、ということになる。

彼らは我々とこんなにも違う、ということを卑下したり矮小化したり、あるいは美化したり特権化したりすることもなく、ただ違う、こんなふうに違うのだ、というその境界 - 時に「非情」と呼ばれてしまうその線とその向こう側を、いいかげんに脚色せず具体的に説明しつつおもしろいドラマに仕上げてしまうって、両方の世界の言葉や生業や倫理を知っていないとできないことだと思うのだが、メルヴィルにはそれができてしまった - すごい画家が画布の上に対象の世界を見事に再構成してしまうのとおなじように、いやそれ以上に、メルヴィルの作りあげた世界は生きていて、その生きた世界の上でギャングたちは何度撃たれたって、背中から撃たれたって、何度でも蘇ってくる。 かつて「気狂いピエロ」で言われた「永遠」て例えばこういうものなのではないか。

なんでそんなに生きているふうに見えるのだろう?
例えば、『賭博師ボブ』のパリの朝、 『マンハッタンの二人の男』のマンハッタンの夜、 『いぬ』の延々続いていく道、『ギャング』のくねくねした崖っぷちの道路、『リスボン特急』の海辺の風ぼうぼうの道路、どれもぜんぶ、ものすごく的確な距離感でもって雨や風の感触、匂いみたいなとこまで含めて、我々の目の前に迫って広がっていて、ふと見ると車が寄ってきたりそのまま歩きだせたりする。それこそ、何度も見返したくなる写真集のかっこいい風景と同じようにメルヴィルの描く風景は生々しくそこにある。

もういっこは、あるシチュエーションでの行動に迷いとか悩みとか想像力とかの入りこむ余地がないように彼らは動く、ということ。
当たり前だけど、我々はなんか動くときには理由があっていくつかの選択肢のなかからそれを選んで動くわけだが、そこらの映画の登場人物の動きって、そういう明確な、こちらにも解るロジックのもと動いてくれることって、あんまりない。 それが映画のどこに連れていかれるかわからないおもしろさでもあるわけだが、メルヴィルの登場人物の動きは、常に明確な理由のもとでターゲットに向かって動くべくして動いて実行されて、失敗して死んじゃったりうまくいったりする。 これだけのことがなんでそんなにおもしろいのかというと、それがやくざとかギャングとかの掟とかヴィジョンをくっきりと見せて示してくれるから。

それで、そのことは見ている方に常にある問いを突きつけるんだ。 お前はどっち側なのか、と。『ギャング』の Lino Venturaが圧倒的にかっこよく見えてしまうのは、彼が命がけでそれをこちら側に問いかけてくる、その強さに打たれるからだと思う。 おまえは仲間を売るのか、守るのか、そのために死ぬことになってもいいのか、などなど。

でもそれを間近で熱く(うざく)訴えてくるのではなく、先程のような風景のなかのひとつの点として、水槽のなかの蟻のように世界を俯瞰して敵の挙動も味方の挙動も露わにして、どっちなのかね? と迫る。 それって我々が世界というもの、他者というものを学んでいく過程そのもので、それは生きていく上ととてもとても大切な知恵となるものなの。

とにかく、1本でもよいのでメルヴィルの映画を見てみることよ。 問答無用におもしろくて、胸打たれる場面がきっとひとつはあるから。

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