美術関係で書いていなかったのをふたつ(とりあえず)。
Queer British Art 1861–1967
4月9日の日曜日の午前、Tate Britainで見ました。
イングランドおよびウェールズでの所謂ソドミー法 - 特定の性行為を犯罪とする法律 - が1967年に部分的に合法化されてから50年を記念して、1861–1967までのLGBTQ関連の(非合法)アートを集めた企画展。 3月頭に参加したNational Trustによるツアー”Queer city: London club culture 1918 - 1967”も同様の主旨によるもの。 そこでも言われていたが、ほんの50年前までホモセクシュアルは犯罪だったんですよ(信じられないよね)、って。
全体としてセンセーショナルだったりショッキングだったり、なにかを煽ったり暴いたりするような内容ではなくて、LBGTQが御法度だった100年の間に、それでも描いたり書き留めたり仲間に伝えたりせざるを得なかった静かな熱や揺れ、愛の在処は確かに感じられる。これら(を描くこと)が法に触れてしょっぴかれてしまうような何かだったなんてとても信じられない。今となっては。「今となっては」というのは今だから言えることなんだよ。
絵画以外には彫刻とか写真とかアクセサリーとか、Oscar Wildeが収監されていた監獄の扉とか、Noël Cowardのピンクのシルクのガウンとか、Joe Ortonによるブックカバー(Christieの「チムニーズ館の秘密」の猫表紙)とか。
ブルームズベリー・グループで部屋がひとつぶんあって、こないだのVanessa Bellの展示にもあったDuncan Grantの見事な男性たちの絵画、この企画展のメインビジュアルであるGluck (Hannah Gluckstein) の”Self-Portrait” (1942)もここに置いてある。 これ、大きい絵ではないけど、畏れ、不安、怒り、誇り、このポートレイトが浮かべる表情と眼差しはものすごくいろんなことを語っていて目を離すことができない。
他には、Laura Knight, Dora Carrington, Dorothy Johnstoneといった女性画家の素晴らしさも。
ずっと見ていって、そういえばあの人たちがいないよね、と思ったらDavid HockneyとFrancis Baconのふたりは別格でとってあった。 (Hockneyはすぐ上の階で回顧展をやっているので少しだけだったけど)
最後にキャプションをつけてみよう、のコーナーがあって、白紙のメモとペンが置いてある。いくつかの作品(のコピー)に自分の感想とか、自由にキャプションを書いて貼っておけるの。 じーんとする内容だったわ。
10月1日までやっています。この夏、英国に来ることがあったらぜひ。
Howard Hodgkin: Absent Friends
4月2日の日曜日の昼、National Portrait Galleryで見ました。
この展示が始まる直前の3月9日、突然亡くなって世界をびっくりさせたHoward Hodgkinのポートレートを中心とした展示(ポートレートのみの展示は初めてだって)。
展示のタイトルにもなっている“Absent Friends” (2000-2001)という作品があって、これがこの企画全体のトーンを決めている。窓を思わせる四角い枠のなかに滲んだ横の縞縞、だけなのだけど。
不在の友だち。 友だちは常に、いっつもそこにいるわけではない、という時間のことを言っているのか、友だちがいるべき場所(世界のいろんな場所)はいつも空いている、という空間のことを言っているのか、自分の頭のなかで友だちはそうなっている、と意識や記憶の状態のことを言っているのか、おそらくそのぜんぶ。「不在」という言葉や顔・貌のありようが頭のなかで反芻されて反復されて「友だち」への想いに反響していくさまや経過が画布の表面を埋めていくようで、しかしそこには寂しさも哀しみもひとりであることの決意のようなものもなく、淡々とその状態を日常の定点からスケッチしている。 そこに抽象画の不可解さや重ねられた意味の重さからくるとっつきにくさはなくて、とても親密な - そこに友だちが座っているかのような - 暖かさとエモーションがあって、不思議だった。 抽象画に相対しているかんじがなくて、まるで彼のリビングを訪れている「不在の友だち」を紹介されているかのような。それはまぎれもないひとりひとりのポートレートとして記憶を彩って後になって揺り動かしてくるのだろうな、って。
記憶のなかの友だちはいつもやさしくて、なんかかわいい - それが彼の絵の。
そして遺作となった”Portrait of the Artist Listening to Music” (2011-16)。
この作品のArtist(彼)が最後まで繰り返し聴いていた音楽はJerome Kernの”The Last Time I Saw Paris”とAnton Karasによる”The Third Man” (1949)のサントラなんだって。
この遺作の説明を含むこの展示内容全体を簡潔に説明している解説映像。
http://www.npg.org.uk/whatson/howard-hodgkin-absent-friends/explore/film
あああ4月がいってしまうよう。
4.30.2017
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿
注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。