映画でいっこ書き忘れていたのがあったので少しだけ書いておく。
3月19日の日曜日の午後、MayfairのCurzonで見て、上映後に監督のTerence DaviesのQ&Aがあった。
詩人Emily Dickinson (1830-1886) の評伝。
冒頭、女学校で信仰心が足りないと先生に説教されて反発する威勢のいいEmily(Emma Bell)がいて、やがて実家に戻ったEmily(Cynthia Nixon)は、父母、妹のVinnie(Jennifer Ehle)、兄のAustin(Duncan Duff)らと暮らし始めて、詩作もはじめて、母が亡くなり、父(Keith Carradine)も亡くなり、自身も病に侵されて... という波乱万丈とはほど遠い、引きこもりがちでそれゆえに謎の多かった彼女の生涯、家族との関係などを丁寧かつ無難に纏めている、と思う。 わたしはEmily Dickinson自身のことをそんなに深く掘ったわけではないので、事(史)実関係の正確さなどについては言いようがないのだが、文芸評伝映画としてよくできていると思うし、レビューの点の高さを見てもそうなんだろうな、くらい。
脚本も自分で書いている監督のTerence DaviesはQ&AでEmily Dickinsonがむかしから本当に大好きで絶対やりたかった企画、と熱く語って、その熱のこもり方は画面の揺るがない強さにも表れているのだが、でも、Q&Aで質問が出たようにEmilyが病気になってからの描写は頻繁に出てくる棺桶とか、ほとんどホラー映画みたいになってしまうので、そこがなんかなー。
「なんで世界はこんなにもUglyなのか」と病に苦しみつつ彼女が吐き出すように言うシーンがあって、その辺を彼女の表現の起点におくこともできるのだろう。 けど、そういった苦しみや苦悶ばかりがべったり彼女の視界を覆っていたわけではないよね、と彼女の詩を読んで受ける印象からは思ってしまう。 もっとしれっとした呟きとかユーモアとかこまこました誠実さとかカラフルだったり散漫だったり、詩作から彼女のキャラクターや生涯を想像したり思い描いたりするのはよくないことかもしれないけど、詩を読む/浸るってそういうことでもあるよね、特に彼女の書いたいろんな断片が導く世界の広がりとか、今も若いひとたちに読まれ続けていることとかを考えると、あんなにかっちりした文芸映画にするのとは別のアプローチがあったのではないか、と。
要するになんでもわかっているふうの大学教授みたいなおっさんが作ったやつではなくて、もっと若い女性監督とかが自由に作ったEmilyの像が見たい、ということなんだけど。Emilyが世界に向けて書き散らした手紙に応えるようなやつ、それを見たEmilyがくすっと笑ってしまうようなやつを。
(Emilyがこの映画を見たらどう思ったかしら? って)
でもCynthia Nixonの熱演についてはまったく異議なし。 さすがMiranda。
4.12.2017
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