4.03.2017

[film] Die Ehe der Maria Braun (1978)

29日、水曜日の晩にBFIのSouthbankでみました。「マリア・ブラウンの結婚」

ここで5月まで続くFassbinder祭りのオープニング、冒頭のスピーチでBFIの女性が高らかに、みなさーん! Fassbinderの季節が始まりましたよ! て嬉しくてたまらないふうに挨拶したのだが、いやいや季節のことを言うならFassbinderって、秋から冬のほうでしょ、てみんな思ったとおもう。

映画の上映に続いてHanna Schygullaさんと多くのFassbinder作品の編集を手がけ、現在はFassbinder Foundationの長を務めるJuliane Lorenzさんによるトークがある。

映画のほうはいいよね。 空爆と共に始まったMaria Braun (Hanna Schygulla) の結婚生活 - 夫はふっとばされて行方不明で、生きていくためにいろんな男と一緒になって、折角夫が戻ってきたと思ったら再び自身がガス爆発でふっとんでしまう。 これもすばらしくかっこよい戦時下女性映画のクラシックなので、みんな見てほしい。

上映後のトーク、まずはHanna Schygullaさんの美しさと柔らかい雰囲気(「オーラ」って書くとなんか変なふうに受け取られてしまう気がする)に圧倒される。 直接その姿を見てこんなにもわぁー、ってなったのはGena Rowlandsさん以来かも。

撮影中のことも含めていろんなことを話してくれたのだが、印象に残ったのは以下 -

■ (Q) Fassbinder監督作品でいうと、”Effi Briest”(1974)から”Maria Brown”まで結構間が空いているがなにかあったのか?
   (A) よく聞かれることだけど別になにも。 あたしたち68年世代なのであまり気にせず適当にやっていたかんじ
■ Maria Brownを最初に見て思ったのはきれいに撮りすぎていないかと。 あとなんであの最後なのか、というのは思った。 
■あの終わり方、映画そのものも含めて、Fassbinderが"Jules et Jim" (1962)を意識していた、というのはあったと思う。
■Fassbinderの場合、リハーサルや準備は結構するけど撮影はだいたい1テイクで終わることが多かった。
■女性のなかには常に相反するふたつの面が共存しているもので、この映画のMaria Braunはその点 - 最初の夫を思い続ける反面、次から次への奔放さも併せもつ - がよく出ていてそこははっきりと意識して演じた、と。 
  * これと同じことを最近聞いた気がして、そうだ、"Elle"のあとのIsabelle Huppertさんのトークだった、と。

なお、彼女への最近のインタビューだとここのが。同じことを言っているところもあるけど。
https://www.theguardian.com/film/2017/mar/27/rainer-werner-fassbinder-bfi-season-hanna-schygulla-interview

Juliane Lorenzさんはこの映画の編集について、アシスタントもサポートも誰もいなくてたったひとりで、監督はプロデューサーの上のほうとの喧嘩でいつも忙しかったのでスクリプトに従って自分で考えながらやるしかなくて、すんごく大変だった(この時、21だったって...)と。 でも、そうやった結果が報われてNYでのプレミアのあとで、Martin ScorseseとかSusan Sontagが寄ってきて誉めてくれたときはほんとうに嬉しかった。(... そりゃそうでしょう)

あとFassbinderの仕事ぶり、みたいなところでいうと、とにかくずうーっと忙しなく動き続けている人だったと。 これは二人とも言っていたし、彼の映画をある程度見ればなんとなくわかるよね。 愛を含めたあらゆる感情と直結しているひとの動き、そのアンサンブル、それが個々の人生の土台を揺るがす、そのダイナミズムぜんぶを画面上にダンスシアター(Tanztheater)のように全展開して俯瞰できるようにした、それって見るほうも結構体力いるのだから作って撮るほうはどれだけ大変だったのだろうか、と。

とにかくHanna Schygullaさんを見れただけでものすごい幸福感に襲われて(こんなにもとは予想していなかった)、この勢いでFassbinder作品にも突入したいところなのだが、見始めるとずぶずぶ染まっていってしまうところがちょっとこわい。 これから明るい春がやってくるのに、引っ越しだってしなきゃいけない(希望)のに。

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