3.27.2017

[music] Sunn O))) + Hildur Guðnadóttir

21日、火曜日の晩、barbicanで見ました。
彼らがライブやることに気づいたときにはチケットはsold outしてて、でもここはちょこちょこ覗きにいくとたまにフラグが変わって買えることがあって、そうやって取った。
ので米国出張が入ったときにはすこし焦ったがだいじょうぶだった。

Sunn O)))を最後に見たのは2010年、Brooklyn Masonic Templeで"Sunn O))) & Boris present Altar"ていういろんな人(The CultのIan Astburyとか)が出るやつで、真っ暗なお堂(フリーメーソンのお寺だし)のようなとこでいろんな轟音がわんわん鳴ってて、Sunn O)))のところにきたら電源がぶっとんだらしく音がなくなって、暗闇のなかじーっと待ったのだがあまり進展がなくて、そのうちなんでか警察がいっぱい現れたりしたので諦めて帰った。 そういうやばいかんじのだったの。

barbicanはクラシックのコンサートとかもやっている着席で見るホールなのでそういうふうにはならないと思うのだが、とホールに入ってみれば堤防のように防護壁のようにびっちり並べられたアンプが既にじゅうぶん異様な殺気を放っているので、どうしましょうせんせい? くらいのかんじにはなるのだが、もちろん帰るわけにはいかない。

前座のHildur Guðnadóttir(どう発音するのかいまだわからず)さんは電気チェロ、ということだったがほとんどがヴォイスお経がゴッシーにうねりまくるかんじで終わって、彼女はこの後のSunn O)))のほうにも参加していた。 休憩時間、まさかSunn O)))の観客はアイスクリームには行くまい、と思っていたのに割とみんなぺろぺろしているので、ふん俗物どもめが、とか思いつつ自分もマンゴーのを買って食べる。

Sunn O)))のライブは、べつにいいよね。 オレンジの煙もうもうのなかStar WarsのJawaの恰好のでっかいひとがひとり仁王立ちで祈祷みたいなのをごにょごにょ始めて気がつくと同じ恰好のメンバー4名が周りで蠢いていて、煙がオレンジから青に変わって更にけたたましくなり、そのうちお腹へって眩暈がしてきたので入口でもらった耳栓をしてみたのだがあまり効果はなくて、やがて祈祷のひとが消えて替わりになんかのお化けみたいなでっかいのが出てきて怪獣のように暴れはじめて、と思ったらとつぜんぷつんと終わる。
客席は総立ちで喝采していたが、なんかわかんねえけどすげえ、としか言いようがない拍手だった、よね。

彼らのあいだでいろんな教義だの戒律だのイデオロギーだのあるのかもしれないしそういう教義だの戒律だのが世界を創ったのかもしれんしこれから創るのかもしれないけど、どっちにしても世界がたち現れたときに鳴っていた音、生物がいない世界で響いていた音はたぶんこんなふうじゃ、とそこらの世界観、宇宙観、なんとか「観」的ななにかをふっとばすくらいに彼らの音は強固に分厚く鼓膜をぶち抜いてあたまぜんぶを圧してくる。 こんな雑音、という以前のところでこんなふうに鳴っている音がある、ヒト(かどうかわかんないけどねあの連中)によって再現しうる音がある、ということは知っておいたほうがいい。 見るべし聴くべしとか声高にいうつもりはないしそういう類のものでないことはわかっているけど、音楽は、アートは、ただ気持ちよくなったり元気をもらったりするだけのもんでは断じてない、ひとを殺すことだって戦争を起こすことだってできる、そういう制御不能なおそろしいなにかにもなりうる、てこと。 だからこそ我々はこんなふうに世界の奥底に降りてその地鳴りや地熱にじかに接しておく必要があるのだと思う。

アートを学ぶっていうのはそういうことで、Sunn O)))とかのライブに来るとそういうことを考えたりもする、し、花火大会のめちゃくちゃ盛大でやかましいやつ、わーい、みたいに思ったりもする。 ライブで接しなければまったく、なーんの意味もない、というあたりも含めて。

なんか撮影していたので、そのうち映像としてリリースされるかもしれません。

物販(お札とか絵馬とか)はやはりすごい行列だった。

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