11日の土曜日の晩、Fashion in Film FestivalのOpeningでやってて、どういうフェスだかよくわかんないけど、これの35mmを見れるのなら、と見にいった。
http://www.fashioninfilm.com/
10年目となる今年のテーマは”Wearing Time: Past, Present, Future, Dream”だそうで、うん、まだよくわかんないけど、いいや。 見たいのもいくつかあるけど、いいや。そうとう無理っぽいし。
“Opening Night”と”Love Streams” (1984)は死ぬまでにあと何回見れるかしらんが、とにかくどこかでやっているのであれば、見る、というのを心の掟にしている。 “Opening Night”はいつ見てもオープニングだし、”Love Streams”はずっと流れて続けているので、何回見てもいつ見ても新しいの。
上映前にフェスのプログラマーらしい女性が挨拶して、この映画のテーマはエイジングなんです、いろんなことがいろんなふうに被さっているんです、などと言い、ふうん、て聞いた。
ストーリーはべつにいいよね。 激しい雨の晩、ベテラン女優のGena Rowlandsが目の前で自分のファンの若い娘が車に轢かれてしまったのを見てから共演者(John Cassavetes)、演出家(Ben Gazzara)、原作者(Joan Blondell)などとの間で/前でだんだんおかしくなっていく - おかしくなるのは実生活上のいろんな関係だけでなく、実生活と舞台上でのやりとりのあれこれもで、こうあるべきなのに、あるべきだったのに、なぜそれがうまくWorkしないのか、時間は限られているのに、とみんながいらいらして、それがプロダクション全体に伝播してなす術もなく崩れていく。 劇のオープニングの晩、我々の生はどん詰まりのどん底で終わりそうだというのに、いったい何が開かれる/始まるというのか。
他者になりきる、他者の生を生きることを求められてきた女優が、それでキャリアを築いてきた女性が、では果たして、自分は自分の生を生きることができているのか、こんなに歳を重ねて先も見えてきているのに、台本が用意された舞台の上での他者とすらきちんと関わることができないではないか、という彼女のいらだちはいろんなレイヤーのいろんな関係者と重なってなにがなんだかわからないし、昔の状態に戻すこともできない。 なんども振りあげられる手は頬の手前を空振りするばかりで楔を打ちこむことはできずに横に滑っていく。
単なるエイジングの危機を描いただけのドラマなのだろうか? ちがうよね。たぶん。
愛と孤独をいっぺんに求めて彷徨って床を這いまわる”Faces” (1968)からずっと続いているコメディで、それもまた劇の一幕にすぎない(というのが最後のほうで描かれるとてつもない舞台上のやりとり)。
そしてこの先にある”Love Streams” (1984)では、流れていくのは時間じゃない、愛なんだ、だから騒ぐな落ち着け、横になってろ、っていうの。 なんてすばらしいことでしょうか。
John CassavetesもBen Gazzaraもとてつもない艶気とゴージャスなオーラぷんぷんで、逆立ちしてもあんなふうにはなれないのだが、Gena Rowlandsはその遥か上に立っている。
彼女はEdward Hopperの絵のなかの女性にしか見えない。 永遠にあのフレームのなかで、窓の外を眺めているの。
そして、”Love Streams” (1984)もまた見たくてたまらなくなっている。
3.15.2017
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