12月23日の昼間、有楽町でみました。 なんとなく。
『グレート・ミュージアム ハプスブルク家からの招待状」
19世紀末にハプスブルク家の収蔵品を中心に創設されたウィーン美術史美術館が内容や展示方法も含めて抜本的なリニューアル/リノヴェーションする際のいろんな出来事を描いたドキュメンタリー。
こういう美術館の裏方・裏事情を追ったドキュメンタリーが多いのはなんでかしら? と考えてみると、ものすごい多くの人や組織が絡む/お金をいっぱい使うのでいろんなドラマが生まれる他方で、その美術館の成り立ち - 美術品を集めた/が集められたそもそもの事情や歴史や背景 - を見つめ直すことが必須になるので、台所のごちゃごちゃとは別のドラマが - それはやがて、そもそも美術品てなんなの? 美術史てなんなの? 美術館てなんなの? 美ってなんなの? ていう大風呂敷問題に向かわざるを得なくなって、割とみんなお手上げ(でも潰すわけにもいかないのでがんばってなんとかなる)ていう筋書きをたどることが多い。
(こういう普遍の諸事情と「歴史」を絶妙にクロスさせてみせたのがソクーロフの『フランコフォニア ルーヴルの記憶』だった。)
このドキュメンタリーもまさにそんなふうで、当時のハプスブルク王朝が自分たちのために作った収蔵庫みたいな館を今の時代の世界中からやってくる観光客のために再構築してぜんぜん別の国 - オーストリアの収益に貢献する、みたいなことをするにはどうすればよいのか、ていう困難な課題に美術館スタッフ全員が取り組んでいく。 偉い人は偉い人なりに国側と交渉したりオークションで戦ったり(惨敗)、下っ端はそれぞれの持ち分を整理したり修復したり片付けていくの。 個々の担当者が担当している領域は閉じてばらけていて殆どハプスブルク家がどうの、とは関係なくて、淡々と職人さんとして仕事を進めていく。
こうして絵画担当、工芸担当、からくり担当、古貨幣担当、武器担当、とかいかにも - でも鼻ピアスしてたり、キックボードで移動したり - な人たちが地道にがんばっていくのだが、ぜんぜんハプスブルク家ばんざい、なかんじがしないのがよいの。 カエルの決闘の置物(ほしい)に取り組んでいるひとも、なんかこんがらかって動かない船の小細工に取り組んでいるひとも、どうすんだよこれ、みたいな顔をしていて、たぶんそれって最初に収蔵品として納めたひとも同じ顔で見つめていたに違いなくて、そういうふうに美というものは現れて継がれていく。
そのたのポイント;
・冒頭、つるつるの床に思いっきりツルハシ打ち込むとこ、やりたいー。
・あんなおいしそうなチーズやクルミをカラスにあげちゃうなんて。
・そのカラスが運んできたかもしれない虫問題はもうちょっとなんとかすれば。
・唯一モダンな要素を取り入れてみたというオラファー・エリアソンの照明、あれいらない。
・やっぱりあのカエルのやつほしい。
ウィーン美術史美術館、まってろ。
音楽は地味だけどBrian Enoさんでした。
ぜんぜん関係ないけど、4日にうまれて初めて内視鏡検査ってやつをやってクローネンバーグよろしくマシンと管に繋がれて自分のリアル腸内映像をみました。 一番奥まで行って、そこから戻ってくる途中、目とか牙とかのついた黒ヌメリするやつが腹の奥から食い破ってくることを期待したのだが、それはなかった。 お医者さんが自分の目の上で手を動かすとそれに応じて腹の中から外向かってにつんつん金具が出っぱったり突っぱったりおもしろかったでした。
1.05.2017
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