8.09.2016

[film] Finding Dory (2016)

7月18日、海の日の夕方、新宿で見ました。 ほれ、海の日だしさ。

字幕版は3Dでやってくれないのな。 ほんとにやなかんじ。いまの政府とおなじでお金を使うところ間違ってる。 ぷん。
わたしはEllen DeGeneresのDoryの声が大好きで、物忘れすっとぼけとんちき野郎に彼女の声ほどマッチしているのはないと思うので、吹き替えなんてありえないの。

本編前にかかった短編"Piper"がすばらしくて、波打ち際で小鳥がちゅんちゅん跳ねているだけなのだが、これだけで帰ってもいいくらいだった。 言葉はなくて鳥語のみで、音楽はAdrian Belewさん。

前作の"Finding Nemo"から13年(ひー)、なのにNemoも水中のみんなもみんなびっくりするほど変わってなくて(そういう設定なんだよ)、前作のはつい昨日のことみたいになってて、みんなでいつものように遊んでいると、Doryは自分のパパママのことをうまく思いだせない、思いだせそうだし記憶の欠片はそこにある気がするのに、なんか出てこない、ていう状態になって、なら探さなきゃな、って旅にでて、水族館みたいなとこかも、ということでなんとかそこまでたどり着く。 

ただのお魚なのに、ほとんどなんも憶えてないというのに、なんてすごい行動力なんでしょ、とか、なんでああも簡単に海を越えたり空を飛んだりできるのかしら、とか感心してばかりで、それってやっぱしアニメだからよね → アニメだからなんでもできると思ってないか、と思うようになったあたりで、突然に水の向こうにパパママが現れて、で、彼らはなにごともなかったかのようにDoryを待ち続けていて、DoryもあのEllenの声でなにごともなかったかのように目玉もヒレもくるくるしながら「わぁーお」とか言ってるので、かえって感動したり。

はじめのうちは、物忘れがどんなにひどくてしょうもなくても、きみはきみのままでいいんだよ、ていう"Zootopia"にも明確にあったアメリカのいつものメッセージがあって、そのトーンで押し続けるのかと思ったら、でもきみがどんなんだって、ぼくはずっと待ってるし待っていたんだからね、に鮮やかに転調して、”Finding Dory”っていうのはDoryが自分を見つけるのと、Doryを探している誰かを見つけるのと両方がくるくる追っかけっこすることなんだなあ、泣かせるんじゃねえよ、魚のくせに、なのだった。

ていう魚の親子愛のあとはひたすらめちゃくちゃで、ラッコが集団で道路占拠したり、タコが運転する車がカーアクションして空飛んだり、タコがあんなことまでするのだったらいったいヒトはどうしたらいいのか。

で、あれだけ大騒ぎしてはらはらさせて、でも済んだらぜんぶすっかり忘れて、きょとんとした顔でひらひら泳いでいるだけなの。もちろん反省なんてしないの。 いいなーあんなふうに暮らしたいなー(こればっかし)。

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