土曜日の昼間、"Love & Friendship"を見たあと、5th Aveを駆けおりて、MOMAで見ました。
観光シーズン、土曜日の昼間、チケット売り場には長い列で泣きたくなったが、しょうがない。
これまで、ドガに関してはどっかの/どこの大ザル系展覧会・美術館に行ってもあるような踊り子のシリーズがなんとなく嫌で(いったい何枚あるねん)きちんと見ることをしてこなくて、それが少しだけ覆ったのは2013年のMorgan Libraryで見た小さい展示"Degas, Miss La La, and the Cirque Fernando"で、あそこで見られた妙に歪んだ、みっともない人体の変態ぽさはなかなか印象に残るものだった。
で、この展示はまさに"A Strange New Beauty"としか言いようのない新鮮さに満ちていて、たいへんびっくりした。
ドガのMonotype - 単刷り版画 - 木とか金属に直截インクや絵具をたらしたり絵を描いて、その上に紙をプレスして図を転写する - を中心とした展示で、ひとつひとつの絵は小さく、殆どモノクロだし地味なのだが、そこに刻まれた - いや刻まれるという言いかたはちょっと違って、染みでたり滲んだりしたようなかんじ - それはそのままそこに描かれた人物(の顔)や人体の存在、重みのありようそのものでもあって、インクの濃淡で浮かびあがった人の貌や身体のでっぱりへっこみの異様さ、なにがあったのかしら、という痛ましさがダイレクトにくる。
近いところで思い浮かべたのはムンクで、でも彼の絵や版画の背後にある夢やエモや妄執が希薄なぶん(ドガをあまりきちんと見てこなかったせいもあるのだろうが)形象としてなかなか異様にぶつかってきて、うわー、だった。初めて観るかんじの顔、というか。
一枚一枚が小さい分、展示の物量は結構あって、ただ時間がなくて泣きそうで、ざーっと見て、なんか物足りなかったのでカタログ買った。 知らなかっただけなのだが、まだまだ未知の領域はあるんだねえ、勉強しないとねえ、だった。
MOMAでもうひとつ見たいと思っていた展示が:
Nan Goldin: The Ballad of Sexual Dependency
1986年にApatureからリリースされた、誰もがその表紙を知っている記念碑的な写真集の、ブレヒトの「三文オペラ」の曲(”Ballade von der sexuellen Hörigkeit”)からタイトルを取っていて - それの30周年だかなんだかの展示。
前の日にICPで見た展示とも絡むのだが、この30年間のセクシュアリティとかプライバシーとか、或いは親密さとかとげとげしさとか痛みとか、のありようで変わってきた部分、変わっていない部分、それってなにで、なにがそれらをそう感じさせるのか、等々について。
彼女の写真て、リアルさとは少し離れたところでなにか考えさせる文学性みたいのがあって。 そのへんが荒木経惟ともRyan McGinleyとも少し違う気がする。 密室感がものすごいかも。
上映されていたフィルムは時間がなくてちらっと覗いただけだった。
カーテンの隙間からちらっと覗くというのがまたねえ …
関係ないけど、The Film Society of Lincoln CenterからArnaud Desplechinのサイン入りFilm Comment誌が届いた。
うれしー。
8.03.2016
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿
注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。