4日の日曜日ごご、”Wild”のあとで渋谷に移動して見ました。
『チャルラータ』。 特集『シーズン・オブ・レイ』からの1本。 はじめてのSatyajit Ray。
1880年のコルカタ(当時だとカルカッタ?)、新聞社の編集長/社長の夫と邸宅で暮らしているチャルラータ(Madhabi Mukherjee)のお話し。 夫は仕事とインドの社会への理想に燃えていて快活で妻にもやさしいし、なにひとつ不自由のない生活を送っていた(←よくあるあれ)。 チャルラータも不自由ないので刺繍したりお茶のんだり読書したり、べつに不自由ないじゃん、て思うのは素人なのね。 彼女の顔はそんなに輝いてはいないように見える。
そこに夫の従弟のアマルが滞在することになって、夫は仕事で忙しいのでチャルラータは彼の相手をすることになるのだが、自由人ぽいアマルとは詩や文学の話をしたり、庭でブランコに乗ったり楽しい時間を過ごして、互いにだんだん惹かれていくのだが、でもやっぱり。
チャルラータ、ちょっとかわいそうだけど、でも挫けることはなさそうで、だから彼女にとっての緩慢な地獄は続いていくにちがいないの。 でもきっと。
インド映画に我々が(どういうわけだか)期待しがちな埃っぽい通りとか貧困とか革命とかまくしたてるような勢いとかは一切出てこなくて、カメラは邸の外に一切出ないまま、邸内とそこに映りこむ貴族の暮らし - 限られた面々、その会話と表情のみを追っている。 これだけで119分。 これだけなのにものすごくおもしろい。
表情や会話の端々に現れる各自の慌ただしさや無関心や不寛容や思い入れ、期待に希望、などなどが部屋の隅々をゆっくり動いていくカメラを通ると不安だったり不穏だったり怪しげだったり、このかんじって、Wes Andersonが屋内を撮るときの、部屋をなめるだけですべてのエモが曝されてしまう - のに似ていて、というか彼が真似しているんだと思うけど、しみじみ魔法のスパイスだよねえ。
あと、肉に向かわずにどこまでもプラトニックで勝負しようとするところなんかも。
“The Big City” (1963) のほうも見たいなー。
R.I.P. Maureen O'Hara
燃えるように素敵な女優さんでした。
職場にいたアイリッシュのおじいさんが、彼女を女王のように崇拝していたことを思いだすなあ。
10.25.2015
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