4.21.2014

[film] Stranger by The Lake (2013)

“The King of Escape”に続けて見ました。 終わってからのトークは時間なくて参加できず。
原題は”L’inconnu du lac”。 「湖の見知らぬ男」

どこかに美しい湖があって、その湖畔はゲイの人たちが愛を求めて裸もしくは水着とかの半裸でうろうろしている場所(はってん場、ていうのね)で、フランク(Pierre Deladonchamps)もそんなひとりで、ある日、男らしいミシェル(Christophe Paou)と出会ってぽーっとなるのだが、ある夕刻、ミシェルとその恋人が湖で泳いでいて、しばらくしてミシェルひとりが陸にあがってくるのを見てちょっとぞっとする。 フランクとミシェルは仲良くなっていくのだが、やがて水死体が発見され、警察がそこらをうろつくようになって、でもなにがどうなるものでもない。 ミシェルは本当に人殺しなのか、人殺しだったとして、自分は果たしてどうしたらよいのか、などなど。

湖の岸辺とそこからすこし高いところにある湖を見下ろせる場所、駐車場、やらしいことをする木陰とか草むら、場所と視界はこれくらい。
登場人物もフランクとミシェルと、定時に岸辺に座っているアニエス・ヴァルダ似のおじさんと、相手を求めてたむろしたり覗きをしたりするゲイの人たち、それくらい。 湖で泳ぐばしゃばしゃした水音、湖畔のぴちゃぴちゃした音、鳥の声、ひとの喘ぎ声、どの音も鼓膜すれすれのところ聞こえる、それくらい。
フランクもミシェルも、この場所を離れたところで普段なにをやって暮らしているのかは全くわからない。
彼らはこの場所に性的欲求を満たすためだけに車でやってきて、それが終わると車で帰っていく。 
ここはどこであってもよいし、全員がだれであってもかまわない(誰もが「湖の見知らぬ男」)。 名前のない場所、名前のない景色、そこで誰か(やはり名前なし)が溺れてしんだ、と。 それがなにか?
ドラマは謎解きサスペンスでは全くないのだが、フランクが徐々に感じるようになる恐怖や焦りは彼自身の存在(社会的なそれ、ではない)に根差したすぐそこにあるなにかのように感じられて(光も音も肌も)、だからこそとっても怖くて、それがラスト、陽のおちた湖畔、その草むらの闇のなかで最高潮に達するの。

そしてその倫理的存在論的な恐怖は、ゲイでない人にも共有、もしくは想像可能ななにかなのか、とか。
それはたぶんわれわれにもじゅうぶんわかってしまう何かであって、つまりそれは。
ひとをひとり消してしまうこと、そういうことが容認されうる場がありうるとしたらそれはたとえば ...  いやちがう、とか。

画面はどこを切りとってもきれいで、むきだしの男根も含めてBruce Weberの写真みたいなのだが、彼の写真で描かれるファンタジーのネガポジをくるりと反転させて闇のなかに落としこむ、その手法の鮮やかでスリリングなこと。 見て一週間以上経つというのにいろんな像が残っていてあれこれ考えさせられる。
これ見よがしに美しいショット、衝撃的なショットなんてほとんどない、どちらかというとのっぺりした風景とねっちりしたラブシーンばかりなのに。

ゲイの男性を主人公に据えることについて、監督はきっとどこかのインタビューで答えているに違いないのだが、”The King of Escape"もこれも、ヘテロの男性が主人公だったらどうなるか、おそらく作品そのものが成立しなくなるように思えて、こんなふうな映画ってあるところにはあるの?

“The King of Escape”のアルマンが破天荒なでぶのパワーでどこまでも走っていくのに対し、この映画のフランクの居場所は湖畔の半径50mにしかないように見えて、でもどちらも抽象的なオトコとしてひとり佇んでいる。 でもどっちも野外で裸になってやるのが好きだという。

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