6日の日曜日の昼間、渋谷でみました。 ようやく。
原題は、“La vie d'Adèle - Chapitres 1 et 2” だけど、英語題がいちばんすき。 青い色もすき。
日々をぶよーんと過ごしていたアデル(Adèle Exarchopoulos)がエマ(Léa Seydoux)と出会って恋に落ちて、恋が壊れて、別れる、それだけ。
ほんとうにそれだけの179分なのに、その時間の濃さ、あっという間なかんじははんぱない。
恋をしている時間、その経過がそのままべったり濃厚に、砂時計の粒粒のように記録されている。
というわけで、そんなのの内容を云々するのってバカみたいな気がしないでもないのだが、なんか書いてみよう。
アデルは最初上級生男子とかと付きあってみるのだが、あんましっくりこなくて、その状態で青い髪と冷たい目をしたエマとすれ違って、エマはそのとき女性と一緒にいて、なのにぞくぞくして、エマは夢にまで出てくるのでなんだこれは、って思っていたそんなある日、ひょっとしたらと思ってゲイバーに行ったら、そこにエマがいる。
「いた!」っていうのと、エマがだんだん寄ってきて「きた!」「くる!」っていうのがものすごく生々しい - それは、あたしこんなとこでなにしてんだろ、ていうのも含めてぞくぞくするあの感覚がやってくる。 そんなホラー映画でやられるときの感覚に近い生々しさが。
ふたりが女の子同士であることなんて、どうでもいいの。とにかく最強なんだから。
こうしてアデルはエマとつきあうようになって、お互いの家に行って、エマの絵のモデルをやって、たくさんのキスとセックスをして、満ち足りた日々を送る。アデルは幼稚園とかで働くようになって、ふたりは一緒に暮らして月日は過ぎていくのだが、出会いの瞬間とおなじように、肌に近いところでふたりの目の動き、手の絡み、お尻の重なり、をみっちりと追っていって、でも同時にエマの周りのアートな人々との付き合いとかアートに向かう情熱とか、アデルにとってつまんないなーみたいなとこも出てきて、アデルはつい他の男と遊んでしまったりする。
で、それがばれるともう青い髪じゃないエマは烈火のごとく怒って、アデルを巣から追い出して許さない。 それはSMどころじゃない激しさで、要するにそれくらい真剣だったのだということなのだが、アデルがどんなに謝ってもどうすることもできなくて子供みたいにびーびー泣くしかない。
アデルって、スマートでもすごい美人でもないし、たいてい口を少し開けてたりして、寝るの食べるのが好きで、幼稚園の先生をしているから子供も好きで、料理も家事も得意で、要するにふつーに結婚して子供産んで主婦になってはやめに中年のギリシャおばさん体型になる典型のような娘なのだが、でも、か、だから、か、アデルはエマがすきで、エマはアデルが好きでしょうがない。 しょうがないのよ。
そんなふたりの愛の崩壊は、自傷他傷、ストーキングにも猟奇にも走ることはなく、ああ包丁でひと思いにできたらどんなに楽なことか、というくらいに残酷で、ふたりが向いあってほんとうにお別れをするカフェのシーンなんて、こういうときに言っちゃいけないことばっかし並べて互いに刺しあうもんだから喉の奥がつーんとしてきてしょうもない。「もう煩わせたりしないから」「煩わされてなんかないから」とか。 別れたから、別れたあとでどうなる、という言及もない。 おわりはおわりで、なにもないんだなー、と。
ボロネーゼのスパゲティと牡蠣とお尻があればひとは生きていける、そういうメッセージもあるの。
あ、愛もか。
4.18.2014
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