1.16.2014

[film] Murder Is My Beat (1955)

今回の滞在、見たい映画はいつものようにそこらじゅうにあるのだが、体調と天候があんましだったので、見たいのを見れるように、ではなく、そのときに見れるやつを見れる範囲で、というアプローチに変えた。 これも11日の午後、ぽこっと空いたとこでやっていたので駆けこんだ、程度の。

このときLincoln Centerでやっていた特集は、毎年やっている"New York Jewish Film Festival" (今年で23回め)と、この"Edgar G. Ulmer: Back From the Margins"だった。 Edgar G. Ulmerのはこないだのシネマヴェーラの特集もあんまし見れなかったし、見ておこう、と。

http://www.filmlinc.com/films/series/edgar-g.-ulmer-back-from-the-margins

上映前にかかった"New York Jewish Film Festival"と"Dance on Camera" (こちらは42周年)の 予告がかっこよくてさー。 見たいよう。(特にChantal AkermanがPinaを撮った"One Day Pina Asked…"とか)

あと、今回の"New York Jewish Film Festival"では、Otto Premingerの3本をやってて(逆立ちしても見れねえ)、それのVisual imageをつくったSaul Bassのポスター展示を待合部屋でやってて、これもまたかっこよいのよ。


55年の低予算ノワール。 77分。 クリスピーなフィルム上映だった。

冒頭、モーテルのベッドで横になっている男のとこに刑事と思われる男が押し入って、横になっていたのは捜査の途上で行方不明になっていた彼の部下で、そこからある殺人事件から始まる彼の回想に入って、線上に浮かんだ怪しげな女と彼の逃避行の顛末と意外な結末がコントラストの強い白黒と生々しいクローズアップ(最後のほうで闇の向こうから走ってくる老婆のおっかないこと)の連鎖のなか描かれる。 4トラックで録られたデモのような粗い黒色と、それゆえの、むきだしの力強さがあって、回想と共に物語のまんなかに - ロスの夜闇のただなかに - 放り出されるかんじがたまんないのだった。 かっこいい。

ファムファタールを演じたBarbara Paytonはノワールの結末そのものみたいな悲惨な終わり方をした女優さんとして有名だが、彼女の最後から2番目の出演作。

13日の月曜日の晩、連れていた子達を生牡蠣に連れていった帰り、ひとりでMcNally Jacksonに寄ったら地下でイベントをやっていた。
内容はあーらびっくり、新刊本"Edgar G. Ulmer: A Filmmaker at the Margins"の紹介で、著者のNoah Isenbergと聞き手のDana Stevens(美人さん)がトークをしていた。  (Noah Isenbergさんは、Film Societyの特集上映の間中も、しょっちゅう講釈していた模様)

もうトークも終わりに近づいていたし、棚の本を見ながらぼーっと立ち聞きしていた程度だったのだが、70年代のB級映画再評価の頃の話(+ゴダール)とか、ムルナウの"The Last Laugh"の話とかしていた。 棚を片付けた地下のフロアに置かれた椅子はほぼ埋まっていて、月曜の晩なのによく集まるよねえ、だった。

おみあげについ本(しかもサイン本)も買ってしまったのだが、いつ読むんだよバカ、とノワール化してしまった自分がいう。

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