12日の午後、Neue GalerieでKandinsky見た後、地下鉄を乗り継いでGreenpointに出て、Oak stのAcademy Recordsに行った。
前回来たときはまだ仕掛り中、というかんじだったが今回はもうお店としてばりばりいっぱい揃っていて、やや太くなった盤猫のTigreもぐりぐり元気に動き回っていた。
(猫の様子はAcademyのInstagramでたまに見ることができま)
そこで何枚か買って、本屋のWordにも寄って、もういっかい地下鉄に乗ってMOMAのPS1に行って、みました。
あんなに大規模なもんだとは思わなかった。 PS1て、昔学校だったとこで、地下から3階くらいまでの教室ほぼぜんぶをびっちり使ってMike Kelleyの残したばかでかい蟻塚、みたいな作品群を見ることができる。 廃校にMike Kelley、ていうのはややはまり過ぎている気もしたが、とりあえずその物量にびっくりして、文化祭みたいに教室から教室へいったりきたり、出し物によっては部屋の手前で待たされるのもあったりしているうちに軽く2時間くらい過ぎてて、見る予定だった映画をのがした。
いちおう入口には成人向けのコンテンツを含みます、の注意書きが出ていたが、子供、家族連れもいっぱいだった。
ぬいぐるみの縫い球とか、かわいいのもいっぱいある、かわいくないのもわけわかんないのも、気持ちわるいのもいっぱいある、そういった仕分けになんの意味があろう、と言わんばかりに、引出しの中、クローゼットの中、本棚のなか、落書き帳のなか、ゴミ箱のなか、のように乱雑に大量にそれらは引っぱり出されて並べられたり曝されたりしていて、或いはいろんなフィルムや耳障りな音塊としてあちこちで繰り返し反復されていて、それはそんなふうなもんで溢れているであろう彼のアタマのなかそのもの、のように思えた。
たとえば「ガラクタ」。 Destroy All Monsters 。かいじゅう。
そこにあるのは、デトロイトの、アメリカの郊外の風景、そこで浮かんでは消える、現れては消える、そして再び/何度でも立ち現れてくる、不屈のサバービアの光景。 それらを崇めるのでも打ち壊すのでも遺棄するのでもなく、とりあえず頭んなかのフィルターを通してLo-Fiに再構成して、カセットテープのようにフィルムロールのようにだらだら垂れ流し再生し続けること。
垂れ流し続けられることで現れてくる別の風景、別の環境、それらはどんなふうに「別」なのだろうか、Another piece of junk、なのかどうか。
アメリカの郊外って、なんでずうっと、いつまでもどこまでもああなんだろうか? あれって、なんなんだろう?
巣が均一の形態を取るような自然の一種なのか、とか。
あと、基本的にはキュートですてき。 そのキュートネスは、ひとによって異なるのかもしれないが、Jeff Koonsなんかよか、作為がなくて、「悪趣味」に走っていなくて素朴で、よいの。 ぬいぐるみとか布とか紙とか、手直にあるものをひっつかんでやっつけた、というのと、ライティングや構成や引用などを割と考慮してきっちり作ったと思われるもの、の二系統あって、でもどちらもへたくそで荒んでて、でもかわいい、といおう。
もともとはオランダのStedelijk Museumが生前に企画していたものが彼の突然の死によってレトロスペクティブになってしまったものなので、どれもみな進行形のままポーズしているだけの作品のようにも見える。 ぬいぐるみ達も縫いこまれる途上でふらふらと生きていて、完結してしている感がないのだった。
作品のスライドはこちら。(かわいいのはあんまないけど)
http://www.nytimes.com/slideshow/2013/10/18/arts/design/20131018-KELLEY.html
カタログはさすがにでっかすぎたので諦めた。
そういえば、帰国していちばん嬉しかったのは、MelvinsのHoliday Bundle(Tシャツ, CD, 7inch, かいじゅうプリントなどなど - 77部限定)が届いていたことだった。
クリスマスの朝5時に起きてクリックした甲斐があったの。
1.21.2014
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