11.05.2013

[film] Heaven's Gate (1980)

ぜんぜんぱっとしなかった連休の二日目、3日日曜日の昼に新宿で見ました。
『天国の門 - デジタル修復完全版』

新宿シネマートにあんなでっかいスクリーンがあるの知らなかった。 (これまで小さいほうしか行ったことなかった...)

この作品は、2004年に219分版をNYのFilm Forumで見ている(メモ見たら2004年10月11日)。 資料にある2005年のMOMAでのお披露目って、これの後だったのかなあ?。
今回とは違って、途中で一回休憩が入った(あの字体ででっかく"INTERMISSION"てでるの)。 色味は今回のほうが衣装の白とか血の赤がより鮮やかに出ている、気がした。 最後の戦闘の砂ほこりは、前のほうがよりもうもうでわけわかんなくてよかったかも。

ここに書くのを忘れていたが、6月の爆音祭のとき、実は一本だけ見ていて、それが"The Deer Hunter" (1978) だった。
Deer Hunterは、テアトル東京で公開時に見て以来で、当時はまだああいう映画を見たことがなくて、それはそれは怖いくらいに突き刺さってきたのだった。
アメリカのどこにあるかわからない地方の若者の、日本に住む自分たちとは一切関係ないはずのヴェトナム戦争で - しかも10年以上前に- 起こった、まったく無縁の題材を扱った映画が、なんでこんなにも怖く、切なく眼前に迫ってくるのか、映画の中味もさることながら、そういうかたちで揺さぶりをかけてくる映画がある、映画というのはそういうかたちで感情に作用しうるものだ  - 例えば文学の古典を読む、というのとはまったく別の - ということを知った、これが最初のほうの経験だった。

で、その映画と再会したうえで2004年の「天国の門」を振りかえり、改めて2012年の「天国の門」をくぐってみると、いろいろ思うところはある、というか頭がパンクするくらいいろんなことが襲いかかってくるのだった。

Harvard、Class of 1870の卒業式の高揚と寂寥といろんな感情がぐるぐる円舞を続けるその果ての、20年後のワイオミング、この地に保安官として赴任したJim (Kris Kristofferson)と彼が直面した東欧系移民への虐待 - 牧場主協会だけでなく州や国も加担している - という事態と、これらにまったく無力なまま、愛する人たちを守れないまま戦いに向かわざるを得ない、そのずるずるしたやりきれなさが全体を覆う。 そのやりきれなさと徒労感はそこから更に数年を経た、東部のエスタブリッシュメントとして暮らす彼の姿にも影を落とす。 

卒業式のスピーチで総代のBilly (John Hurt)は自分達は"well-arranged"である、と言った。言ったけど、実際には支配階級の落ちこぼれとして酒に溺れてどうすることもできずに自壊していく、それはおそらく社会に巻きこまれた時点(東部 → 西部、というのもあったかどうか)からずっとそうで、数時間前、数日前、日々の悔恨を抱えながら、誰にも、どうすることもできないなにかが眼前に聳えていて、その崩しようのない大きな建物の入り口を、あるひとは「天国の門」と、希望と皮肉を込めて呼んだ、のかもしれない。

劇中での"Heaven's Gate"は移民たちが集う娯楽施設 - スケートリンクの看板にあって、そこで移民のみんなが輪になって踊る、あるいはJimとEllaがふたりで舞う、そんな場所で、遊興施設を"Wonderland"とか"Paradise"と呼ぶのと同じことなのかもしれないが、この映画での"Heaven's Gate"は、すでにその門の前に滑りでたときにはもう遅いのだ - 死は目の前にあるということだから - という、軽いんだか重いんだかわからない絶望をめぐるゲーム。 ゲームの伴奏曲。 ライブで伴奏するのはディランのバックにいた人たちで、だから、"Heaven's Gate"というよりは"Heaven's Door"なのかもしれないが。

「なんでこんなことになっちゃったんだろう」という後悔の只中に引き摺りこんで、それはJimやBillyのものではなく、我々のものでもあるのだ、という焦りと確信が3時間半をあっという間のものに、19世紀アメリカの事件を21世紀の我々のものにする。 映画のなかで呼ばれる固有名が、Michael Kovach、Nate Champion、Ella Watson、その他処刑リスト上で読みあげられる125名の実在した名前たちが、亡霊となって目の前に現れる。 そういう強い磁場と磁力をもった映画なの。 (それはバジェット超過でスタジオを潰した「呪われた映画」とかいうのとは全く別のいみでね)

この映画を、たんなる洋画マニアのものに留めてしまうのは本当にもったいない。青春の輝きが泥沼の暴力に押しつぶされていく様とその諦念を底の底まで、ありえないような美しさとリアリズムで描き切った、その力強さときたら稀有のものだから。 それはあの大画面と共に椅子に縛り付けられないことには見えてこないものだから。

あと、Deer Hunterもそうだったけど、どこまでもオトコの世界の映画なんだよね。 アメリカ合衆国はオトコが作ったんだ文句あるか、と言われたらそれまでなんだけど。ああそうですか、なんだけど。 つくづく、Jimのあほんだら、なんだよ。 肝心なときにだらだら酔っぱらって寝っころがってばかりで、ブーツなんてどうでもいいんだよ、働け! 走れ! なの。

Isabelle Huppertは、まだぷっくらしていてかわいい。 これが30年後、3人のアンヌに分裂してしまうんだから、人生わかんないもんよね。

Vilmos Zsigmondのカメラもほんとうにすごい。そして今は "McCabe & Mrs. Miller" (1971)をとっても見たい。

「マイケル・チミノ読本」はおもしろいようー。 30分でするする読めてとっても勉強になる。

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