9日の土曜日の昼、ユーロスペースで見ました。
この日はオペラで始まってパンクで終わった。
『椿姫ができるまで』。英語題は"Becoming Traviata"。
2011年春のエクサン・プロヴァンス音楽祭で上演されたヴェルディのオペラ、La Traviata - 椿姫 - これのリハーサルから本番直前までのヴィオレッタ(Natalie Dessay)、演出家(Jean-François Sivadier)、指揮者(Louis Langrée)などなどを中心した完成までの総力戦を描く。
椿姫のおはなしはいいよね。奔放な高級娼婦だったヴィオレッタがアルフレードの一途な愛にやられて一緒に暮らし始めるもののアルフレードの父にねちねち言われて身をひいて、その後もいろんな巡り合わせがわるくて一緒になることは適わなくて、ヴィオレッタはつのる想いを抱えこんだまま結核でしんじゃうの。 とってもかわいそうなの。
舞台装置も登場人物もそれらの関係も背景もシンプルながら、驚き、葛藤、興奮、一途、疑念、企み、失望、未練、絶望、喪失などなど、愛のまわりで渦を巻いて噴きあがる感情のあれこれを丹念に拾いあげて歌いあげる、そんなやつで、だから演出も演技も音楽も、それぞれにものすごくいろんなヴァリエーションがクラシックなやつからモダンなやつまで - あるに決まっている。
Jean-François SivadierとNatalie Dessayは、モノトーンでシンプルなセット上で、ヴィオレッタとアルフレードの感情の触れあうその瞬間、なにかが崩れおちるその瞬間にのみフォーカスしているようで、そこまでこまこま切って詰めて仕上げていくんだねえ、と当たり前ながら感銘を受ける。
音楽とかコーラスの練習もそうで、ピアノの彼女の弾きながら解説が楽しかった。
映画のメイキングだと完成したのを見ることができるが、こっちはライブの上演バージョンを見ることができないのがつまんないよね、と思っていた。 けど、幾度となく反復されるリハーサルのやりとりを通して、重なりあい積みあがっていくふたりの感情の分厚さが波としてこちらに強く確かに押し寄せてくるようで、これに関しては、ライブを一回見るよりよかったかも。もちろん両方見れるならすばらしいのだが。
オペラは、93年から96年くらいまでの間、METに通っていた頃に所謂古典演目はだいたい見た。
演出もこてこてでよいから、とほとんどがFranco Zeffirelliのをわざと選んだ。
当時はインターネットなんてまだろくなもんでなかったから予習もできず、今みたいに座席の背の電光字幕もなかったので、開演30分前にパンフを貰ってそこにある粗筋を頭に叩き込んで臨んだ。
終わるとへろへろになったが、オペラおそるべし、てうっすらこわくなって疎遠になった。
"La Traviata"もこの時代に見たのだったが、あのときはこんなにも濃厚で細やかな愛の地雷が仕込まれた舞台だとは思いもしなかった。
オペラ入門としてもよいかも。
11.11.2013
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