10日の日曜日の夕方、上野をうろうろした後、イメージ・フォーラムのピアラ特集で見ました。 時間も体力も尽きていて泣きそうだった。
「愛の記念に」。 英語題は"To Our Loves"。
Suzanne(Sandrine Bonnaire)はLucていうそれなりに素敵な男の子と仲良かったのだが彼とはうまくいかず、友達とつるんで男をとっかえひっかえして、家にも寄りつかなくなり母親はヒステリックに怒鳴りつけたり引っぱたいたりするし、兄も「このビッチ!」とかぶんなぐったりするし、どこにも行き場がなくてうろうろすればするほど家庭は壊れていって、婚約パーティでも離れていた父親(Maurice Pialat)の登場でさらに場が崩れてしょうもなくなるのだが、翌日彼女は別の男とからから旅立って、父もそれを暖かく見まもるの。
この作品が作られた80年代初の岡崎京子的な、命短し恋せよ乙女的な文脈で読むこともできるのかもしれないが、それとは違う気がした。
そこまでべたべたに愛を求めていないようで、でもそれは水や空気とおなじで、それが尽きたらすぐに死んだっていい、そういう潔さと激しさが裏側に、彼女の血としてある。
そんな娘を体現する、冒頭の演技のリハーサルシーンからだんだんに眼差しが座って力強さを増していくSandrine Bonnaireさんがすばらしい。
パーティに現れた父親が、ピアラが、ゴッホのことを言う。 ゴッホが実際には言わなかったかもしれないが、言ったはずのこと、として。
「侘しさだけがいつまでも残る」と。「侘しさとは他者のことだ」と。
ゴッホがテオ宛の手紙でそんなようなことを言っていたのは芸術についてだったとおもうが、芸術を愛に置き換えてもまったくおかしくない。
そしてここまで来ると、ラストのSuzanneの清々しさと、"Van Gogh"のラスト、喪服姿のMargueriteの力強い目ははっきりと繋がることがわかる。
侘しさを突き抜けて、愛を自分のものとした彼女たちの美しいこと。美しくあれ、と。
それにしても、画面に登場するピアラの存在感の強いこと臭いこと。
小汚く、うさんくさいおやじ臭さときたらファスビンダー級なのだが、フランス風のよりうさんくさいかんじがたまんない。
音楽はPurcellのオペラ「アーサー王」から"The Cold Song"、これをKlaus Nomiが歌っている。
あなたにはわたしがどれほど硬くしなびて老いて寒さに脆く、息をするのもきついかわかっているのかしら?
いっそのこと凍死させて。させて。させて。
というようなことを歌うの。
11.23.2013
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