6.04.2013

[art] Francis Bacon - May 24 2013

24日の金曜日、いいかげんあたまが爆発してベーコンしそうになったので午後半休して、ベーコン → ラファエロ → 漱石 → 古生物 とまわってようやく固まって、落ち着いた。

Francis Bacon

終わりそうだったし、慌てて見にいった。
2009年の夏にMetropolitan Museumで見た“Francis Bacon: A Centenary Retrospective”の130点(うちPaintingが半分)の展示と比べるとぜんぜん少ない気がしたが、もちろん、見ないよりは見たほうがよい、と。

少ない点数の展示にしては、割と纏まっていたかも。 畏れ、呻き、恐怖、怒り、といったひきつって裏返ったダークサイドはあえて余り表に出さず、汚れちまった悲しみ的に体に開いてしまった穴とか傷とかからはみ出してしまった脊椎とか異物とかをびろびろさせつつ、三幅の祭壇画でしめやかにお祈りをする、といったふうの。

この流れのなかだと、いきなりぶん殴られるような痺れるような怖さはあまりこなくて、しみじみと「なんだろうね、この肉」とかそういうかんじで眺めていくことができる。
で、そうやって見ていくと構図とか配色とか、すごくきちんとデザインされたもののように見えてきて、これはこれで新鮮だったかも。
でもベーコンの衝撃って、美術館のふつーの展示のなか、端っこに突然1点だけ置いてあるようなときのほうが、くるよね。

土方巽の舞踏のビデオが流れていたが、これはちょっと違ったかも。土方巽がベーコンやっても、それはけっきょく土方巽だから。
終わりのとこで掛かっていたフォーサイスの映像は、整理体操、というかんじで、出口に置いておくぶんにはよかったかも。


Raffaello - ラファエ ロ

すんごい混んでいてびっくりした。 そういうもんなのかー。

この展示では「エゼキエルの幻視」(1510) が見れればそれでよかったのだが、他のでっかい作品もそれなりにきれいで(← 誰に言ってんだ)、よい。
でもベーコンの後にこういうのを見ていると、のっぺらした顔の造作やノーブルな配色が、ぐにゃーんと捩れてきそうで、崩れてきそうで、おもしろかった。
低温で加熱されてゆっくりベーコン化していくラファエロとか。 どっちも宗教画だし。

あと久々に常設展もみた。 ここのクールベのいくつかはとってもよいし、ティツィアーノの「聖ヨハネの首を持つサロメ」とか、ジョン・エヴァリット・ミレイの「あひるの子」も定番だけど、いいの。


夏目漱石の美術世界展

なんとなく、猫モノがいっぱいあるかなー、程度で行ってみる。
最初のほうにあったターナーが写真だったりしたので少し盛りさがったが、ウォーターハウスの「シャロットの女」と「人魚」は本物だったのでまた盛りあがる。 これだけでも行く価値あったかも。
漱石の世界をあんま知らなくても(実はあんま知らない)、小説と絵画のつながりなんてどうでもよいと思っていても(実はどうでもいいと思っている)、それなりに楽しめるものでした。
漱石個人の嗜好と絵画観がそのままでろでろ垂れ流されていて、一貫しているようなしていないようなで、それだけなんだけど、ね。

構図・構成もタッチも強めのかっちりした絵が多くて、プログレのジャケット集みたいなかんじも。
これだけ国内も海外もあってそれなりに内容が揃ったこういう展示ができるのは漱石くらいなのかしら、それってなんでなのかしら、と少し思った。


東大古生物学130年の軌跡

ほんとは「ホーリー・モーターズ」でも見ようか(結局見れないまま終わっちゃった…)、だったのだが、漱石繋がりがあったのと、展示の最終日だったので本郷までいった。

入り口のところでは常設の「キュラトリアル・グラフィティ―学術標本の表現」ていうのをやってた。 

人骨がごろごろしてて、古生物のところには化石がごろごろしている。
ここに足らないのは干し肉とミイラくらいか。

でもいちばんよかったのは古生物の入り口のばかでっかい黒馬の剥製だったかも。

0 件のコメント:

コメントを投稿

注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。