6.27.2013

[film] The Great Gatsby (2013)

15日の晩、"Spring Breakers"の約30分後に、同じく六本木でみました。まずは3Dのほうを。

いやーあがったあがった。続けてみると不景気感なんてパーフェクトにふっとぶよ。
どっちもやくざが主人公で、女は偉くて男は愚かで、どっちの死にざまも理想的。

原作(文庫の表紙はRobert RedfordとMia Farrowだった、はず)を読み返そうと思って本棚の奥まで掘っていったが出てこなかった。まあいいや。
Baz Luhrmannがこの原作を映画化することについて懸念もあった/あるみたいだが、本件に関してはまったく問題なかったのではないか。 あれだけのごちゃごちゃとやかましさをぶち抜いて原作のエッセンス(金とか地位とかあってもだめなもんはだめ)をしゃあしゃあ堂々と提示することができるのはLuhrmann/DiCaprioのほかにどこの誰がいるだろう。

原作、F. Scott Fitzgeraldにしては、ねちっこくてぎんぎらであんま好きにはなれないのだが、このたびのBuz Luhrmanには嵌っていたような。
恋はひとを狂わせてひとを破滅させる、でも止められない、このおそろしさと、ずるずる感と。 
でも恋をしろ!どうせ死ぬなら恋で死ね!と。 (うるさいの)

或いはむしろ、比較対照すべきなのは原作とのそれではなく、"Moulin Rouge!" (2001)のほうかもしれない。
どちらも喧噪と狂騒のなかで光輝く唯一無二のダイヤモンドを描き、その光が脆く崩れて堕ちていくさまを愛と慈しみを込めて綴っている。そしてそのタイプのキーを打つのは、最期までその傍にいた愛人であり隣人である、という構図がある。

ただどんちゃん騒ぎの描写の狂いっぷりに関していうと、"Moulin Rouge!"よかこっちのほうが遥かに上な気がした。"Moulin Rouge!"の狂騒はアブサンの酩酊が手伝っていたのにこっちはどこまでも素面で、しかも無償のくそくらえの大盤振る舞いなの。 このどんちゃかがやかましければやかましい程、後半の虚しさと崩落の落差が際立って、結局あれはぜんぶ夢だったのか... ていう砂を噛む苦味がじゃらじゃらと拡がる。 (Baz Luhrmannの基調) 

オープニングもおもちゃみたいな指揮者(かわいい)がぶんぶんしてた"Moulin Rouge!"のそれに対して、アールデコの枠取りが3Dでずーんと奥に延びて行く今回のほうがかっこよくておおーってなるし。
あとは、"神"の高みから地表をざーっと俯瞰で流していく"目"の存在とか。

"Moulin Rouge!"は公開直後にわーわー言って3回くらい続けて見てやっと落ち着いたものだったが、今度のもあと2回(2Dでみて3Dふたたび)は見ないとたぶん掴めないかも。 このごちゃごちゃした詰めこみ具合、ノイズの多さって、明らかに映画というよりTVのものだと思うのだが、それでもいいや、っておもうの。こいつのは。
それと、ぺちゃくちゃいくら書いても書いても語りつくせた気がしないしょうもない過剰さと。

最近のLeonardo DiCaprioをぶーぶーいうひとは多いけど、こいつのGatsbyはよいとおもった。
パーティで思わせぶりぶりで登場するシーン、Daisyとぴりぴり再会するシーン、そしてPlazaのスイートでふぅーふぅー言いながらぶち切れるシーン、どれもこれも待ってました!ておひねり投げたくような異様なテンション(よくもわるくも)に溢れている。 ここまでやれば偉いし、近代のとち狂った尊大さを画面に展げるためだけに、このひとの最近の数作はあるような。

そんな奴の胆汁をひっかぶるNick (Tobey Maguire) の平熱度合もすばらしくて、彼が彼でなかったら、あのプレーンな声と醒めた目がなかったらいくつかの場面は台無しになっていたと思う。

Carey Mulliganも、みんなに愛されて、でもそれはあたしのせいじゃないもん、オトコの勝手だもん、ていう憎めない砂糖菓子の役を見事に。

音楽はメインがJay-Z、と聞いてええー(↓)だったのだが、前半のお祭りのとこだけで、後半にはLana Del ReyとBryan Ferryがきた。
このふたりの曲を選んだ、というだけでBuz Luhrmanえらい、と思った。 "Can't Let Go"でも流してくれたらぜったい大泣きしたのにー。

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