8日の土曜日は、朝着いてホテルに荷物置いて会社に向かってそのまま仕事で、仕事はやっぱり失敗して、滞在がいちんち延びた。 いじょう。
今回、この映画だけは、なんとしても見たかったの。 このために来たの。 来てよかった。 IFC Centerでみました。
とーにーかーくー すばらしい。今年のベスト3入りは確実。
Frances (Greta Gerwig)は親友のSophie (Mickey Sumner)とふたり暮らしだが彼女との関係もどうってことなくなっていて、Sophieが結婚するかも家を出るかもとかいうので家を探したり、いちおうバレエ団にいるのだが、プロのダンサーではないのでどうしよう、だったり、すべてが宙ぶらりんでNYを転々としている。
それだけのお話しなの。 それだけなのに、なんだか身が震えるほどよい。 何回でも見たくなる。
とりあえず感覚的なところでいうと、"Stranger Than Paradise" (1984) を初めて見たときのあのかんじが襲ってくる。 よくわかんない、まったくかっこいいとは思えないのにすべての仕草、すべてのカット、その切れ目がかっこよく決まってはまる。
あるひとは、ゴダールの"Bande à Part"を思い起こすかもしれない。 あるひとは、トリュフォーのいくつか - 惚れた女をなにがなんでも美しく撮る - を想起するのかもしれない。 (ちなみに音楽は、Georges Delerueがずーっと流れている)
最近の子ならBowieの"Modern Love"の疾走シーンに『汚れた血』のDenis Lavantを見るひともいるかもしれない。
(でも、こっちのほうが断然すごいよ。 『汚れた血』の疾走は、ほんのちょっとだけ恥ずかしいんだよね)
他には、"Desperately Seeking Susan" (1985)なんかも、まちがいなくある。
Noah Baumbach は、これらのどの指摘に対しても軽く笑って"yes"というだろう。
それらがこの映画のすばらしさを貶めることには全くならない。 Francesはそれだけの強さ - それを「強さ」とか「存在感」と呼んでよいものかどうか、は議論があるだろうが - をもって画面のなかで跳んで撥ねて走ってうなだれてしょぼくれている。 チャーリーブラウンのにがにが笑いをする。
いまどきの「女性」、とか、こんな「私」でも、とか、負けない「私」とか、「世界」とか「自分」とか探し、みたいなところに誘導する線、はなくて、どこまでもFrancesはFrancesで、SophieはSophieで走っていこうとする。 その限りにおいて、男はただの、そこらの男でしかなくて、こういう映画にありがちのしょうもない男共 - 変態とかウィンプスターとか - は出てこない。
家を持たない女の子のおはなし。 家を失った、ではなく、持たない。
これって女版"Greenberg"なのか? という問いも当然浮かんでくるだろう。 そう、かもしれないけど、ちがう、ともおもう。
"Greenberg"、もういっかいみたい。 (ちなみにMOMAではいま、昨年急逝した撮影監督Harris Savidesの特集をやっている。7日の金曜日にはNoah Baumbachの紹介つきで"Greenberg"が、Sofia Coppolaの紹介つきで"Somewhere"が上映された)
女優Greta Gerwigさんとしては、"Lola Versus"のLolaとほとんど同じような根無し草の、明日はどっちだの、しょうもない役柄で、それでいいのか、なのかもしれないが、それでいいのだ、と画面はいう。 すばらしく美しいモノクロの光と影。
Mickey Sumner (Sting娘)の酔っ払い演技もよいねえ。
あとはNYの映画としても、昔のWoody Allenクラスのクラシックになるとおもう。 「あーまぁたFが止まってるー」とか。
なんでタイトルが"Frances Ha"なのかは最後のとこでわかる。 戦慄する。
邦題は、「フランシス は」 で決めたい。
IFCの壁にBig Starのドキュメンタリー映画のポスターが貼ってあった。 7月末か...
6.12.2013
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