Jean Gabinと並んでBFIで特集をやっていたのが、Vincente Minnelliで、彼のはどんなのだって見ることにしているので、見る。
日曜日の晩、予定がねじこまれなかったら見ようとしていたのがこれで、水曜日の晩にリベンジできた。
(ちなみにもういっこの特集は、"Two Masters of Japanese Cinema: Kaneto Shindo & Kozaburo Yoshimura" - 合掌)
邦題は「いそしぎ」。 ... 鳥の名前だとは思わなかったわ。
「やすらぎ」とかと同じ類の言葉だと思っていた。 「やすらぎ」-「やすらぐ」と同じように、「いそしぎ」- 「いそしぐ」とかあるのかなあ、とか。
にほんご、むずかしい。
Elizabeth TaylorとRichard Burtonの共演作としては3本目、ふたりの結婚後では最初の共演作、になるのだそうな。
冒頭のカリフォルニアのBig Surの空撮が溜息もんのすばらしさで、これにオスカーを獲ったJohnny Mandelの音楽がふんわりと被さってきて、仕事とか人生とかぜんぶどうでもよくなる。 逃げたい。
Elizabeth Taylor(ローラ)が浜辺で絵を描いたりしながら崖の上の一軒家でガキと一緒に暮らしてて、そんなある日、ガキが鹿をライフルで撃って殺しちゃうの。 で、このガキは素行がよくないから危険、ということで矯正のため全寮制のキリスト教学校に入れられてしまう。
Richard Burtonはそこの校長で、うちの子供のどこがわるいのよ!ていうElizabeth Taylorとは子供の教育だけではなくお互いの主義主張をめぐってねちねち対立していく。
夫は最初から必要じゃなかった、子供は自分で育てられるし、という彼女と、社会の中で協調性をもって生きることの大切さを説く彼の間の溝はずっと平行線のまま埋まらなくて(でも激しく噛みつきあうわけではなく、落ち着いた大人のやりとりなの)、どうなるのかしら、と思っていると彼のほうが突然、思いつめた顔で「きみがほしいんだ、ローラ」とかいうので一同唖然 (英国人は爆笑)。
こうしてふたりの仲は接近していくのだが、彼は聖職者で妻もいるし(プロテスタントね)、彼女は自由奔放な西海岸のアーティストなので、なかなか前に転がっていかない。 でもふたりは心の底から恋に落ちてしまったことは確かなの。
自分が知っているMinnelli作品だと、こういうじりじりもんもんのあげく、最後のほうで大惨劇が起こることが多かったし、最初のほうに鹿殺しとか、崖とか、そういう不吉な材料がいっぱいあったのでわくわくしていたのだが、そうはならなかった。
さて、「いそしぎ」ですが、これの小鳥が羽を折って彼女の家で接ぎ木してもらって、だんだん飛べるようになっていく。でもこいつは臆病で、なかなか家の外に出ていくことはできなくて、最後にやっと浜辺を飛ぶことができるの。
小鳥ですら外に出ていくことはできたのに、と見るか、小鳥と同じように彼らもなんらかの殻を抜けだすことはできたのだ、と見るか、飛ぶことが出来たからと言って海の向こうにまではいけないよね、と見るか、どれもなんとなく当たっているかんじ。
彼らはどちらも、出会って恋をしたからと言ってものすごい方向転換や跳躍ができたわけではなく、(すごく悩んだりはしたものの)それぞれがそれぞれのロジックに従って自分の行先を決めて、自分たちのトラックに還っていく (それは前と同じではないのだが)。
たぶん、こういうのを大人のひとは「大人の選択」というのだろうが、そう呼びたくない気もする。 なんでだろうな。
Elizabeth Taylorさんはこのとき33、幸せぶとりなのか、結構むっちり、体の線がだぶついて見えて、それが彼女の心の揺れと微妙に同期 ... しているように見えないこともなかった。
ああでも、あのすばらしい海ととろけるような音楽、あれだけでいい。 くっつこうがはなれようがしらん、てかんじにもなった。
6.01.2012
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