6.16.2012

[film] Johnny Staccato (1959-60)

もうぜんぜん書いている時間がないので、毎日相当ふくれまくっている。 ぶー

ろくがつろくにち、先週の水曜日、アテネの『アナクロニズムの会』で見ました。
もう「アナクロニズム」とか割とどうでもいいかんじ。 どうせおもしろいんだから。

この日のお題は「ジョン・カサヴェテスvs.フィルム・ノワール」で、"Shadows"(1959)を撮ったばかりのJohn Cassavetesが主演(といくつかのエピソードでは監督も)したTVの探偵モノ、"Johnny Staccato"からエピソードをみっつ。 イメージフォーラムのCassavetes特集もはじまったことだし、その前章としても。

"Johnny Staccato"は、当時、NBCからABCに移ってしまった人気番組"Peter Gunn"の後番組としてスタートした1話30分完結のシリーズで、全部で27回分作られた。
Cassavetesはこのうち5つで監督もしている。

この日上映されたのは、"Evil"、"Solomon"、”A Nice Little Town”で、最初のふたつはCassavetesの監督作。
Johnny Staccatoは、ダウンタウンのジャズクラブを根城にしている(名前からしてJazzだよね)私立探偵で、オープニングタイトルのとこは、おいらは結構切れもの、かっこいいんだぜ、みたいなナリのCassavetesが颯爽と登場してくるのだが、それぞれの話しの内容は、なんだかどんよりと重くて暗いのだった。

探偵の推理とか活躍で悪い奴らが捕まったり誰かが救われたり事件が解決したりすることはなくて(今回見たエピソードだけかも知れないけど)、探偵の捜査によって、社会やコミュニティや人間関係の暗くグロテスクなにかがえぐりだされる、あぶりだされる、基本はそんなような仕様で。

"Evil"は、寄付をくれくれいう胡散臭い宗教家と対決する話しだが、そいつは結局ずるいままだし、"Solomon"は、夫殺しで投獄された非暴力活動家の女性を尋問する過程で、なにかが見えてしまう話しだが真相には到達しないし、”A Nice Little Town”は郊外の一見平穏そうな町で、共産スパイの疑いのあった男がなぶり殺されて、その妹(彼女も終わりのほうで何者かに殺されてしまう)の依頼でやってきたStaccatoは普通の町民のなかにある無表情で気持ち悪いなにかに触れて、ぶちきれて終る。

要するに、どれも後味はぜんぜんよくない。それはCassavetesの映画が始まって暫く経ってから感じる「あーやばい世界に入り込んでしまった」感とまさに同じもので、やばい世界は修正が効いたり抜け出せなくなるからやばいのであって、とにかくうんざりしながらもそこで生きていくしかない、そんなアンダーグラウンドな世界の位相がくっきりと出ていて、これはデビュー作の"Shadows"にはあんまなかった(空気感としてはあったけど)ものだから、たぶんこの連作を通して醸成されていったのではないか。

上映後の講義では、これを50年代末のビートニク、厭戦・反戦、赤狩りの名残、フィルム・ノワールの残滓、といったタームで説明していた。そうだねえ。
あと、これに監督として関わることで、所謂メジャーな映画の作り方を学んだ、ということも言われていて、それはあくまで手続きとかお作法的なところで、Cassavetes特有の突然のへんなクローズアップとか、ちっともメジャーとは思えない文法あれこれは、すでにあるのだった。

こうなると、これの次の作品、こないだ米国でDVDがリリースされたばかりの"Too Late Blues" (1961) - 「よみがえるブルース」も見たいよう。

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