木曜日の晩、これもBFIのVincente Minnelli特集、5月さいごの1本。
邦題は『晴れた日に永遠が見える』 - そのままね。
Alan Jay Lernerによるブロードウェイミュージカルの映画版。
Barbra Streisandはこの年もういっぽん、"The Owl and the Pussycat"- 『フクロウと子猫ちゃん』 にも出ている(こっちはミュージカルではない)。
あれの彼女もキュートだったが、こちらもなかなかすばらしい。
オープニング、Barbraが歌を歌ってあげると植えた球根からはっぱが伸びて花がどんどん咲いていく。
NYの大学で催眠術の講義中(Yves Montandが先生)、別の生徒にかけた催眠術が流れ弾で彼女あたって、ものすごく怪しげな挙動をする、そんな彼女がフィアンセの家族に会うのにタバコが止められなくて困るから催眠療法で治してほしいと先生のとこにやってくる。
とりあえず術をかけてみると、その眠りのなかで、彼女は全く別の人格と人生を生きているらしいことがわかる。
学生をやっている彼女の名前はDaisy Gambleだが、夢のなかでは昔の英国の貴族、Melinda Tentreesになっていて(彼女の時代のシーンも出てくる)、更に調べてみると確かにその人物は実在していたことがわかって。
彼女の変な超能力、催眠術、輪廻転生、などなどが、白タイツの天然不思議ちゃんであるところのBarbraと、堅気で初老の大学教授Yves Montandの間でシーソーゲームをしていって、んで結局のところふたりは恋に落ちてしまうというわけ。
超能力と催眠術が組み合わさったら叶わない恋なんてあるまい、と思うのだが、そう簡単にいかないからこそ、こういう映画が作られるのね。 それにしてもさあ、テレパシーを使って催眠術をかける、とかそんなことまでやりだすんだよ。 そんなことやるならふつーに好きだって言えば? とか。
輪廻にしても催眠術にしても、いまの自分の意識の外にいる自分でない自分がなんかをやる、そこには自分の責任はないのだからなんだって起こりうるはず、なんだけど、それ言い出したらさあ・・・
というような障害なんだか自業自得なんだかわからない業を背負いこんだままじたばた突っ走るふたりのお話しで、上映前にもらったレジュメによるとプロダクション的には相当難航して大変だったとかいろいろ書いてある。 たしかにそんなかんじのぎこちない展開なのだが、でもいいの。 曲がよくて歌がうまくて(ほんとにうまいったら)、ファッションも素敵で(英国の貴族時代のコスチュームはCecil Beatonが担当)、彼女は十分にキュートなんだから他になにがいるというのか。
Barbraの歌以外でいうと、彼のもとを去ってしまった彼女にむかって、Yves Montandが歌う"Come Back to Me"。
パンナムビル(当時)の屋上(...昇ったことない。あの角度にRCAビルが見えるということは南東の角だね)で、彼が両手を拡げて絶唱するところが感慨深かったなあ。 あんなとこで歌うもんだから、彼女はどこに行っても逃げても耳をふさいでも彼の歌が聴こえてくるの。 子供も犬もYves Montandの声でもって歌いかけてくる。 超能力戦争か? いやいや恋とはそういうものだろ、と。
「晴れた日には永遠が見える」。 晴れた日はいっぱいあるから、永遠もいっぱい見えるはずだ、永遠はいったい何個あるのか? わたしの生はいったい何回あるのか? でも、それでも、これでいいのだ、と天才バカボン的な確信をもって映画はびゅーんて終わってしまうのであるが、それでもぜんぜんよいの。
んで、天才バカボンの主題歌が頭のなかをぐるぐるまわるのとまったく同じように、"On a Clear Day ~♪"の歌もずっとまわっているのだった。 サントラ買ってしまうかも。
6.03.2012
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