12.06.2011

[film] Eames: The Architect & The Painter (2011)

すべてがぐしゃぐしゃに崩壊してブラックアウト寸前まで、行くとこまで行ってしまいそうな予感を抱えつつ、とりあえず火曜日の晩、IFCで見ました。

上映前の予告編の枠で、Jem CohenのOccupy Wall Streetに関するショート"Newsreels"が流れる。
忘れてはいけないのだった。ここで見れます。

http://vimeo.com/ifccenter

Eames夫妻のドキュメンタリー。 ナレーションはJames Francoさん。

http://firstrunfeatures.com/eames/

断っておくが、わたしはスノビッシュに余裕たっぷりにEamesの椅子だのコルビジェだのを語るCASA Brutus野郎共(会ったことはないけど)なんかだいっきらいだ。
たかが椅子じゃねえか、と思うし、連中の嗜好愛好するデザインやインテリアが世界から消えてくれたらどんなに世界はすっきりするだろう、ておもう。

でも、Eamesに関していうと、この映画を見ればわかるのだが、椅子はあくまで彼らのキャリアの出発点でしかなくて、もっと大きな視野と世界観に立っていろんなことをやろうとしていたのだ(- アメリカ人的なおめでたさ - よくもわるくも - はあるにせよ)、ということを俯瞰できる内容になっている。

うんと省略して言ってしまうと、Steve JobsやGoogleが今のITの世界でやったこと、やろうとしたことを50年代から、デザインの世界で、いや、デザインというより世界の見方接し方を、デザインを媒介とすることでドラスティックに変えようとした、今でいうVisionaryでありInnovatorであった、と。

で、それをカリスマ的なオーラと実行力でぐいぐい引っぱって進めていった(夫Charlesのほうはそうだったみたいだが)、というより夫妻ふたりの関係 - ArchitectからドロップアウトしたCharlesとPainterの目をもったほんわかしたおばさんのRay - を軸に周囲を巻き込んで共同作業として転がしていった、その様が、関係者の証言と、彼らの残した映像、特にフィルムを中心にわかりやすく綴られている。

これらはそんな二人だったから、この二人のケミストリーがあったからこそできたことだった、と。
それは、まだまだ豊かだったアメリカと50~60年代の西海岸の空気が可能にしたものだったのかもしれないが、なんか楽しそうでいいよねー、と。 

64年のNY万博のIBMパビリオンの展示とか、”The World of Franklin and Jefferson”の展示とか、今見たらどんなだろう(どっかで見れるみたいだが)、て思う。 見たいな、と残されたフィルムの抜粋あれこれを見ていくとふつふつと思うのだった。 こないだのSaul Bassのとおなじく。

最後のほうで、Charlesの愛人問題とかにも少し触れられるのだが、Charlesが亡くなった、そこから丁度10年後の全く同じ日にRayも亡くなる、そのへんの符合は、なんかすごいねえ。 ふたりで示しあわせたのだろうか、とか。

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