12.13.2011

[film] The Girl with the Dragon Tattoo (2011)

ロンドンにおります。 ひどい天気〜 ひどい仕事〜

こっちから先に書いておく。

12日、成田で、いまのロンドンはほんとに見る映画がぜんぜんないようー、とぴーぴー泣いていたら、トレントおじさんが泣くんじゃないよ、これでもくらえ、って出してくれたのがこれ。 
洒落たことやってくれるじゃねえか。 これで2009年9月の西海岸の件はちょっとだけ許してあげよう。(まだゆってる)

12日の11:59pmスタートの一回きり、ロンドンでは1館だけ。 158分なので終わって戻ったら3:00amだろう。
それでも見るか? とフライトの間じゅうずっと悩んでいた。

13日には合衆国側が大西洋を渡ってくるので、自由時間が取れるのは12日の晩しかない。
どうせ時差もくそもないあたまとからだだし。
べつにそんな苦労してまで見なくたって。
でもアメリカで見るよかイギリスのほうかも。
ま、チケットなくなっている可能性だってあるしな。 などなど。

でもでも、やっぱし、2月まで待たされて映画泥棒のCMの後に見るのは嫌だったのだ。

ホテルに入ったのが夕方6時。仕事だの食糧調達だので軽く2時間。外は雨。
Twitterをちょっと見てしまったら、ロンドンのひと、Last Chanceだよ!とか言ってて、しょうがないので外に出る。
だめだったら、適当になんか見て帰ってくればいい。

で、地下鉄2回乗り継いで行ったら、チケットは簡単にもらえた。タダ。 一枚で二人入れる。
こんな雨の月曜日の深夜、あとちょっと待てば見れるやつにわざわざ来ないよね。

ホテルに戻って11時まで朝寝というのか夕寝というのかをして、地下鉄で向かう。
ぼーっとしていて、地下鉄のホームにiPhone落として、捕まえようとしたらそのままするするっと滑っていってホームの下に落ちてしまった。 慌てて駅員のひとを探して話したら、深夜に作業員が拾うようにしておくから、明日の朝にくるように、と。
こんなふうに時間をロスしてしまい、着いたのは10分前くらい。

劇場の入口は金属探知機ばりばりの厳戒態勢で、Blackberryまで取られてしまった。

もっている時計はあれだけなので、ほんとに11:59に始まったのかは不明。
場内は、センターのブロックはきちきちだったが、他は割と空いてたかも。

前置きが長くなりましたが。

まず、オープニングタイトルバック、あの"Immigrant Song"に乗って流れる映像がとんでもない。
こないだ公開された、ちょっと気取ったかんじのPVとはぜんぜんちがう、NINの新作PVとしか言いようがない、壊れた/壊される人体、マシーン、粘膜/粘液、流体、虫、花、カラス、等々 - NINの記号、刻印としか言いようのないあれこれが21世紀のデザイン/映像として再生される。
さらに痛快なのは、このイメージって、本編とはあんま関係ないように見えてしまうことなのよ。

わたしは原作本を読んでいないしこれの前の同原作の映画も見ていないので、これらとの比較で言うことはできないのだが、それでも十分におもしろかった。 "The Social Network"にあった脚本と音楽でぐいぐい前に引っ張っていく魔力こそ薄れているが、人里離れた島でひっそりと暮らす一族の間に張りめぐらされた暗黙のひだひだと40年前の失踪事件の謎解きを前作と同様のじぐざぐのナラティヴで表面にひっぱり出そうとする。
そしてこれは前作にはっきりとなかった、暴力と支配への衝動を凍てつく冬の光景のなかに対置・可視化していくこと。

それを探ることができたのは警察でも探偵でもなく、それまで全く異なるトラックを歩んできたジャーナリストとハッカー、それとテクノロジーだった、ということ。 
血(族)の記憶とCPUの衝突、化石として凍結された欲望、その噴出を。 その鉱脈を。  
...ヨーロッパ、そしてスカンジナビア...

世の中の多数のひとが望むであろうDavid Fincher的なモーメントはこれも前作同様、そんなにはない。(あるとこにはあるけど)
ここでのDaniel Craigは、007でもCowboyでもなく、ひたすら受け身でおろおろしっぱなしで、替りに、刺青を背負ったRooney MaraさんのLisbethが走りまわる。 本筋とは関係ないがロンドン地下鉄でのひったくりシーンの鮮やかなこと。

Rooney Maraさんて、"The Social Network"でEricaさんをやっていた娘だったのか。 
Sキャラ定着だねえ。

たぶん、メインプロットだけをとってしまえばごく普通のサイコスリラー仕様なので、歳末賞戦からは離れたところに置かれてしまうのかもしれませんが、D.FincherやT.Reznorの作品に親しんできた人たちは彼らの作品に浸る快楽はそういうところにあるのではないことを十分に知っていて、少なくともそれに応える内容のものではあるの。 だからいいの。

音楽は、前作よかTrent Reznor色がくっきりでた、何曲かはもろNINだろ、みたいのもある。
"Fragile"の持っていた夏のイメージを冬に持ってきたようなかんじのも。
あとはこまこましたトリートメントがところどころに。 きっと時間いっぱいあったんだろうな。

トリートメント、ということでいうと、とにかく半世紀以上に渡るいろんなヴィジュアル、戦前の家族写真から現代の監視カメラの映像まで、あらゆるヴィジュアルのパターンとヴァリエーションがミルフィーユみたいに織り込まれている。これらを追っていくだけですごくお勉強になるはず。 お金もかかっているねえ。

ラストは、ほんのちょっとだけせつない。 なんか東映ヤクザ映画のラストみたいな。
そしてクリスマスなんだよ。 せつなく終わるクリスマス映画なんだよ。
だから日本の2月公開なんて、ありえないのにさー。

あと、猫映画でもあるな。

出るときにポスターもらった。 どうしよこれ。

落っことしたiPhone、今朝駅に行ったら戻ってきた。 背中にひびが入ってたが動く。 えらい。


写真はぜんぜん関係ないけど、地下鉄のホームにがーんとでてた、"New Girl" - ZooeyさんのAD。

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