ぽかぽかと異様にあったかい。 日曜日は午後から映画1本だけ。 『牯嶺街少年殺人事件』。
Martin ScorseseのWorld Cinema Foundationによって2009年にリストアされた237分のDirectors Cut。(昨年秋、BAMでの上映のときに逃したやつ)
これが1週間、Lincoln Centerで2:00と7:00の回だけ上映されていて、それに合わせてEdward Yangのレトロスペクティブがあったの。
これがThanks Givingの連休にもろにぶつかっていた。もちろん見たいのばかりだったのだが、感謝祭にレトロ台湾というのは、なんか違う気がしてー。 でもこれくらいは見ておかないと、と。
最初の数日はEdward Yang婦人が挨拶に来たりしてて、最終日の(12/1)は、Mingを演じたLisa Yang(米国在住)が挨拶したという。(みたかったなー)
本土と台湾の関係があって、戦後の復興期で、貧しいながらも教育には熱心な家族と兄弟姉妹があり、幼馴染がいて、学校があり、学園ドラマがあり、学校の外でのいざこざとか対立するグループがあり、その外には闇とか大人の世界とかがあり、やくざがいて金持ちがいて、「戦後」のアメリカンポップスが流れてきて、雨がふったり晴れたりして、大人になりかけた少年は少女に強く、一途に恋をして、やがて。
それは例えばコッポラやヴィスコンティの映画に流れる時間とは結構違って、これらは確かにどこかで見ていて、自分もそのはじっこの切れ端を知っている50年代末~60年代初のアジアの風景や家屋や学校で、でも、それだからといって、よくできているとか、親しみをおぼえるとか、なつかしいとか、そういう感慨はあまり湧いてこなくて、これらの風景はひたすら生々しく圧倒的にそこにある。
それはロングでひととひとの目があったときに、微笑むか、じっと見つめあうか、なんだてめえおら、って追っかけてくるか、その眼差しのどれかどこかにしかひとは属していない、そういう切迫感のなかにある、そのなかにしかないような、そういう世界なのだった。
あるいは、向かい合ってどつきあうか、横に並んで一緒に歩いていくか、そのどちらかのトラックにしか、ひとはいないような。
"One Track Mind"。 ElvisじゃなくてJohnny Thundersが流れてもよかった。
だから、これらのいろんな要素が湿気のようにつぶつぶじっとりと纏わりついてくる風景のなか、少年がその無表情の裏でどこまでも切羽詰っていくかんじがたまらないのだし、最後のあの瞬間も、あまりに唐突でびっくりで、でも他に行きようがないかんじで(後から)納得がいく、それは彼らの会話のなかに出てくるトルストイのどんな小説よか哀切でエモーショナルな一瞬、なのだった。
あのふたりが画面のなかに黙っているだけで、なんであんなにたまらなくなってしまうのか、ほんとにわからん。
どしゃぶりの中の闇討ちのシーンは、しみじみすごかった。 鳥肌もん。
音楽は、ほんとにいいなー。 バンドの演奏も、繰り返し流れる"A Brighter Summer Day"も。
休憩あるかと思ったらぜんぜんなかった。 237分。
これの後で、"Yi Yi"(2000)(ヤンヤン 夏の思い出)- 173分もあったのだったが、ものすごくおなかいっぱいになったので、帰りました。
12.03.2011
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