22日から26日までポルトガルのリスボンとポルトに行っていた。夏休みそのいち。
リスボンは2017年の5月にも行っているのだが、この時はロンドンに赴任して最初のヨーロッパ観光で、今にして思えば興奮してじたばたしてちっともスマートではなかった。のでそのリベンジで、前回行かなかったシントラとポルトにも行ってみよう、と。
以下かんたんに。
◾️National Museum of the Azulejo
国立タイル博物館。後のポルトでもしみじみ思ったのだが、古いタイルってなんであんなに素敵なのか。陽に照らされて表面が光り、その光に滲むように浸みるように青や赤や黄の線が浮かんでいると、それが古ければ古いほどたまんなくて、レンガの壁とかなにかが彫ってある壁とかよりじっと見入ってしまう。それがどんな変な模様とか線描であっても。
◾️Sintra
ここにはいろんな遺跡とかがあるらしく、ぜんぶ見ていると一日かかりそうだったので3箇所だけ。ムーア人の城堡とペーナ宮殿とシントラ宮殿。朝の電車で約40分。バスで山の上に向かってすごい渋滞のなかを昇っていく。 歴史のなにがどうしたとかわかんなくても、なんでこんな山奥にこれらの原材料を運んで積みあげたの? 感がじわじわくる。 ムーア人のなんて、ふだん運動しないひとにとっては地獄のエクササイズで、そりゃ眺めはよかったけど、ムーア人のやろー… になってきて、こういうのを通して歴史を学ぶことになるのよ。
ペーナ宮殿も同様になんで山の上にこんなファンシーなやつが、ていうのと、これとは全く異なるかんじのシントラ宮殿のタイルと木を組み合せた実用に寄った洗練も、宮殿いろいろだねえ、て思った。
◾️Cabo da Roca
Sintraの後にバスで移動した。 去年の夏はアメリカ大陸の東の端(Montauk)で海に向かって叫んだので、今年の夏はヨーロッパ大陸の西の端 – ロカ岬 - で海に向かって叫んだ。誰でもくぐれる柵の下は崖になっていて、飛び降りるのもサスペンスごっこをして泣くのも慄くのも自由で、びゅんびゅん吹いてくる風も含めて気持ちよいったらなかった。
24日の土曜日の朝に電車でPortoに移動して、でっかい河があって橋があって坂だらけでタイル張りの古い建物とそれらが寂れた廃屋がいっぱい、好きな要素があまりにありすぎて始めからずっと泣きそうで、負けずにカモメもどこでもがーがー鳴いていて、ああこのまま一ヶ月いられたらなー、って。
◾️São Bento railway station
最初にみたタイル張りの駅。ここの真ん中がへっこんでそのまま銭湯になったらな ... とか夢想する。Mary Poppins おねがい。
◾️Fundação de Serralves
町の中心から少し西に外れた現代美術館に来たのはManoel de OliveiraのCasa do Cinemaを見るためで、他にはJoan Jonasの展示もあった(Tateの時のとは違うやつ?)のだが、とにかくシネマの家を見たかったの。通常の展示スペースを出て、庭園を抜けてぐるっと回って隅っこにある白い一軒家(元は農家の倉庫だったらしい)。入り口の白とお花のコントラストが既にOliveriraぽくて、右側の棟が企画展 - 今は開館記念展示 - をやっていて、左側の棟が常設展をやるところで、企画展の方では複数のプロジェクターで彼の作品(オープニングということもあり時間や過去をテーマにしたもの - リストを数えたら12本あった)をずっと流している。常設の方はシナリオとか出版物とかいろいろ。 もっと時間があればさー。
◾️Livraria Lello
「世界一美しい本屋」として訪れてあたりまえ、みたいに言われているので本屋好きとしては行かないわけにはいかなかった。 たっぷり並んで5€のチケット買ってから更に別の列に並んで中に入ると中は記念撮影をする人々でごった返していて、本屋さんに罪はないのだろうし、来ている人たちはみんな本が好きなのだと思いたいが、ゆっくり落ち着いて本棚を見て回ることができない、という時点で残念ながらこれは本屋ではないわ。確かにおもしろそうな本もいくつかあったのだが、ロンドンで見たことあるやつだったし、稀覯本のコーナーは鍵が掛かっていて遠くからしか見えないし。ざんねん。 自分がこれまで入った中で一番美しいと思った本屋はマンハッタンの57th stにあったRizzoli、かなあ。
25日の昼に電車でリスボンに戻り、前回行くのを逃したThe House · Casa Fernando Pessoaに行ってみると改装のため休館中でまた泣きそうになり、続けてそのままバスでLer Devagarていう本屋に向かう。空中に自転車が浮いている本屋。リスボンにはよい本屋がいっぱいあるのだがここはまだだったの。 天井近くまで本いっぱいで、英語の本もいっぱい、新刊だけじゃなくて古本もいっぱい。まだPessoaに未練たらたら状態だったのでPessoaの個人蔵書の一冊一冊を写真に撮って並べたばかでかい古本を買おうかどうするか延々悩んで、余りにでかくて重いので諦めた。ひとつ買ったのはリスボンの市議会が数年前に出したリスボンにある歴史あるいろんなお店の写真とかロゴとかチラシを集めて並べた本 - “Historic Shops Lisbon”。めくっていくだけでほんとによくてさあ、これに比べると、なんで日本は... (いつもの)。
食べもの方面は問答無用のが、だん、だん、だん、だん、て続いていったのでいちいち書かない。
失敗だったのは、まだ夏休みシーズンで狙っていたお店がほぼ全てお休みしていたことくらい。
そんな状態でもイワシ(青)とタコ(赤)とタラ(白)は浴びるように猫のように食べたし、海鮮ライスも鮟鱇ライスも食べたし、カキもイカもエビも食べたし、TravesseirosもBola de Berlimもエクレアもプリンも食べた - カスタードは数年分を飲むようになめた - し、Oliveira も通ったMajestic Cafeでフレンチトースト&ポルトワインも食べたし。全体として甘く柔らかくとろける雲のなか右から左に来るものみんな流しこみ、満腹になったときの地を這うような気だるい重みは坂の上り下りばかりやっていたせいか最後まで来なかった。 気がした(そして戻ったとたんにそいつは ... )。
食べものがおいしくてよい本屋があって坂と高台がいっぱいですばらしい風が吹いて、夕暮れ時はいつまでもふらふらできて、というとSan Franciscoのことも頭に浮かぶのだが、向こうは海でこっちは河(口)だし、あー、いや、やっぱりぜんぜん違うし、でもどっちも本当に好きだなあ、SFもLAも遠くなっちまったよう、って。
こうして8月はもう行ってしまうのね〜。
8.31.2019
[film] Notorious (1946)
16日の金曜日の晩、BFIのCary Grant特集で見ました。誰もが知っている『汚名』。
今回のCary Grant特集の前半の目玉、BFIやMOMAのアーカイブプリントから4Kリストアされたゴージャスな陰影を湛えた決定版。ほんとにどこを見ても切ってもきれい。うっとり。
父がドイツのスパイ疑惑をかけられてなによあの娘、の目で見られていて、なにもかもどうでもよくなってしまったAlicia (Ingrid Bergman)に得体の知れないアメリカの諜報員T. R. Devlin (Cary Grant)が近づき、彼女の父の友人で闇の武器取引で儲けているらしいAlexander Sebastian (Claude Rains)に寄っていって身辺を探るように指示をする。こうしてSebastianを追ってふたりはブラジルに飛び、その過程でAliciaはDevlinのことを好きになって、SebastianはAliciaのことを好きになって、AliciaはいきなりSebastianから求婚されてしまい、想定外だったのでええーってDevlinの方を向いても、彼はそれで有益な情報が得られるかもだしがんばれ、ってつれなくて、仕方なく求婚を受けいれて、いやらしい姑のねちねちとぜんぜん好きになれないおやじ共の餌食になりつつもなんとか証拠らしきものを掴んだところで連中に感づかれ、コーヒーにクスリを仕込まれて動けなくなって絶体絶命..
Aliciaついてないかわいそうー、ってずっと思いつつ見てしまうのだが、追うべきはここに恋というものがあるとしてそれはどっちの方に転がっていくのか、っていうのと、DevlinはSebastianの尻尾を掴んでひったてることができるのか、っていう螺旋状に絡まったふたつのサスペンスの行方で、そこにはでなどんぱちとか殴り合いとか修羅場はなく、互いに自分が最高の男であるとそれぞれが(たぶん)思いこんでいるナルシスト同士のつーんとした駆け引き(睨みあい)がすべてなの。そしてそれがぎりぎりの睨みあいのまま、静かに、しかし堂々とドアの向こうに消えていくエンディングは溜息がでるくらい素敵。
でもやっぱしそんな変態男(どっちも、ぜったいそう)共の間に挟まれてすり減っていくAlicia、かわいそうだよね。最初のほうで酔っ払ってやけくそドライブしたときも、終わりのとこでクスリで体動けなくなったときもDevlinに救われてよい顔されて、きっとこの後も好き放題にやられちゃうかもしれないのに、そんなんでもいいの? ちゃんと彼の給与明細とか見といたほうがいいよ。
ここでのCary Grantはなかなか真意を見せない正体不明の怪しい男で、ひょっとしたら結婚詐欺師なのかも知れないし、”Suspicion” (1941) - 『断崖』みたいに一緒になってみたら実はどうしようもない博打野郎だったりしそうで、”Notorious”っていうタイトルも実は後々になって振り返ってみたDevlinのことなのかもしれない、とか。
でもやっぱしこれはIngrid Bergmanがどこまでもすばらしい映画で、突然はらりと涙をこぼしたり、酔っ払って制御できなくなったり、ワインセラーの鍵を外すだけなのにものすごい力こぶいれていたり、クールネスと酩酊状態の間でなにをやっても素敵なのだが、なかでもCary Grantとのキスシーンの生々しさときたらほんとにとんでもない。
これをコメディにするとしたら、やはりつれないDevlinに愛想つかしたAliciaがSebastianの方に傾いて、あんたの捜査なんて知ったこっちゃないわ、って言った途端にDevlinに火がついていろんな嫌がらせと奪還工作をはじめる、ていう”His Girl Friday”方式、になるのだろうか。でもその場合、Alicia役はIngrid Bergman ではなくてCarole Lombardだよねえ – (そういえば割と似た設定の“To Be or Not to Be” (1942)があったね)。
どうでもよいけど、”Notorious”ていうタイトルを見ただけで(たいして好きでもないのに)「の」♪「の」♪「の」♪ ..って勝手に頭の奥で鳴りだしてしまう人はお友だち。
今回のCary Grant特集の前半の目玉、BFIやMOMAのアーカイブプリントから4Kリストアされたゴージャスな陰影を湛えた決定版。ほんとにどこを見ても切ってもきれい。うっとり。
父がドイツのスパイ疑惑をかけられてなによあの娘、の目で見られていて、なにもかもどうでもよくなってしまったAlicia (Ingrid Bergman)に得体の知れないアメリカの諜報員T. R. Devlin (Cary Grant)が近づき、彼女の父の友人で闇の武器取引で儲けているらしいAlexander Sebastian (Claude Rains)に寄っていって身辺を探るように指示をする。こうしてSebastianを追ってふたりはブラジルに飛び、その過程でAliciaはDevlinのことを好きになって、SebastianはAliciaのことを好きになって、AliciaはいきなりSebastianから求婚されてしまい、想定外だったのでええーってDevlinの方を向いても、彼はそれで有益な情報が得られるかもだしがんばれ、ってつれなくて、仕方なく求婚を受けいれて、いやらしい姑のねちねちとぜんぜん好きになれないおやじ共の餌食になりつつもなんとか証拠らしきものを掴んだところで連中に感づかれ、コーヒーにクスリを仕込まれて動けなくなって絶体絶命..
Aliciaついてないかわいそうー、ってずっと思いつつ見てしまうのだが、追うべきはここに恋というものがあるとしてそれはどっちの方に転がっていくのか、っていうのと、DevlinはSebastianの尻尾を掴んでひったてることができるのか、っていう螺旋状に絡まったふたつのサスペンスの行方で、そこにはでなどんぱちとか殴り合いとか修羅場はなく、互いに自分が最高の男であるとそれぞれが(たぶん)思いこんでいるナルシスト同士のつーんとした駆け引き(睨みあい)がすべてなの。そしてそれがぎりぎりの睨みあいのまま、静かに、しかし堂々とドアの向こうに消えていくエンディングは溜息がでるくらい素敵。
でもやっぱしそんな変態男(どっちも、ぜったいそう)共の間に挟まれてすり減っていくAlicia、かわいそうだよね。最初のほうで酔っ払ってやけくそドライブしたときも、終わりのとこでクスリで体動けなくなったときもDevlinに救われてよい顔されて、きっとこの後も好き放題にやられちゃうかもしれないのに、そんなんでもいいの? ちゃんと彼の給与明細とか見といたほうがいいよ。
ここでのCary Grantはなかなか真意を見せない正体不明の怪しい男で、ひょっとしたら結婚詐欺師なのかも知れないし、”Suspicion” (1941) - 『断崖』みたいに一緒になってみたら実はどうしようもない博打野郎だったりしそうで、”Notorious”っていうタイトルも実は後々になって振り返ってみたDevlinのことなのかもしれない、とか。
でもやっぱしこれはIngrid Bergmanがどこまでもすばらしい映画で、突然はらりと涙をこぼしたり、酔っ払って制御できなくなったり、ワインセラーの鍵を外すだけなのにものすごい力こぶいれていたり、クールネスと酩酊状態の間でなにをやっても素敵なのだが、なかでもCary Grantとのキスシーンの生々しさときたらほんとにとんでもない。
これをコメディにするとしたら、やはりつれないDevlinに愛想つかしたAliciaがSebastianの方に傾いて、あんたの捜査なんて知ったこっちゃないわ、って言った途端にDevlinに火がついていろんな嫌がらせと奪還工作をはじめる、ていう”His Girl Friday”方式、になるのだろうか。でもその場合、Alicia役はIngrid Bergman ではなくてCarole Lombardだよねえ – (そういえば割と似た設定の“To Be or Not to Be” (1942)があったね)。
どうでもよいけど、”Notorious”ていうタイトルを見ただけで(たいして好きでもないのに)「の」♪「の」♪「の」♪ ..って勝手に頭の奥で鳴りだしてしまう人はお友だち。
[film] Good Boys (2019)
18日、日曜日の午後、”Once Upon a Time… in Hollywood”を見たあと、ああオトナの世界はやだやだ、と思って、Curzon Aldgateに行って見ました。 邦題は『よいこ』しかないね。
4月に見た”Mid90s” (2018)はJonah Hillによる13歳の男の子たちのお話 - 90年代の昔のこと - だったが、こっちのプロデュースにはSeth Rogenが関わっていて(あ、Jonah Hillの名前もエグゼクティブ・プロデューサーにあった)、現代のガキ- Sixth Grade - のお話。 ”Mid90s”が作家性のようなものすら感じさせるまじめなComing-of-Ageものだったのに対して、こっちは安定のお下劣・バカコメディになっている(←ほめてる)。
Max (Jacob Tremblay)とLucas (Keith L. Williams)とThor (Brady Noon)の3人は幼馴染で一緒に大きくなって、いろいろ背伸びしたくてでもできなくて、でもできないことを認めたくないので踏んばってがんばればがんばるほどドツボにはまっていく、そのあがきっぷりがひたすらおかしい。 よくある「性の目覚め」ぽい要素もないことはないのだがそこにはその言葉が呼びこむような甘さも感傷も微塵もない、身も蓋もないお下劣感はSeth Rogenとしか言いようがない。
MaxはクラスメートのBrixleeのことが気になっていて、呼ばれたパーティで彼女とキスすることができるかもしれない、というので、ならキスのやり方を勉強しなきゃと近所のティーンの女子Hannah (Molly Gordon)がキスするところを探ってみよう、とパパ(Will Forte)のドローンを飛ばして寄ってみたらHannahとその友人に軽く叩き落とされ、でもどさくさで彼女のドラッグ(エクスタシー)を奪って、ガキ3人と女子2人の知恵をしぼった駆けひきと追っかけっこが始まって、”Neighbors 2” (2016)にもあったような女子 vs. 男子の仁義なき戦いが繰り広げられていくの。それに加えて、果たしてMaxはパーティでBrixieeとキスすることができるのか、壊されたパパのドローンを元に戻すことができるのか、ていうはらはらがあり、更にはLucasは両親が離婚をするというので心細くて揺れているし、学校のミュージカルのオーディションに応募したいThorももやもやしているし、錯綜して混乱して自分でなにがどうなっているのかわからず近視眼でいっぱいいっぱいの子供たちの頭の中そのもの、みたいなどたばたで、映像も含めて落ち着かないったらないのだが、こんなもんよ、てな軽さはなかなかよいの。
日本でもようやく公開される”Eighth Grade”も、いまだにロングラン上映されている ”Booksmart”- ほんと傑作だよこれ - にしてもこれにしても、最近の子供たちを描いた映画ってなんでこんなにおもしろいのかしら? 昔からこういうのはあったはずだし、子供たちは真剣なのだからおもしろがってはいけないのかもだけど、このSNSの時代に(だからこそ?)彼らの切実な真剣さはなんだか貴重で、最後の砦(なんの?)ではないかという気がする。彼らを思いっきり泣かせたり笑わせたり絶叫させたり、その声と眼差しを野に放たなければ、って。(あと、”Eighth Grade”もこれもパパがよいのね)
“Room” (2015)ではひどい目にあっていたJacob Tremblayくんが元気いっぱいに走り回っているのも素敵で、あそこから繋がってぶれていないかんじも少ししたり。
4月に見た”Mid90s” (2018)はJonah Hillによる13歳の男の子たちのお話 - 90年代の昔のこと - だったが、こっちのプロデュースにはSeth Rogenが関わっていて(あ、Jonah Hillの名前もエグゼクティブ・プロデューサーにあった)、現代のガキ- Sixth Grade - のお話。 ”Mid90s”が作家性のようなものすら感じさせるまじめなComing-of-Ageものだったのに対して、こっちは安定のお下劣・バカコメディになっている(←ほめてる)。
Max (Jacob Tremblay)とLucas (Keith L. Williams)とThor (Brady Noon)の3人は幼馴染で一緒に大きくなって、いろいろ背伸びしたくてでもできなくて、でもできないことを認めたくないので踏んばってがんばればがんばるほどドツボにはまっていく、そのあがきっぷりがひたすらおかしい。 よくある「性の目覚め」ぽい要素もないことはないのだがそこにはその言葉が呼びこむような甘さも感傷も微塵もない、身も蓋もないお下劣感はSeth Rogenとしか言いようがない。
MaxはクラスメートのBrixleeのことが気になっていて、呼ばれたパーティで彼女とキスすることができるかもしれない、というので、ならキスのやり方を勉強しなきゃと近所のティーンの女子Hannah (Molly Gordon)がキスするところを探ってみよう、とパパ(Will Forte)のドローンを飛ばして寄ってみたらHannahとその友人に軽く叩き落とされ、でもどさくさで彼女のドラッグ(エクスタシー)を奪って、ガキ3人と女子2人の知恵をしぼった駆けひきと追っかけっこが始まって、”Neighbors 2” (2016)にもあったような女子 vs. 男子の仁義なき戦いが繰り広げられていくの。それに加えて、果たしてMaxはパーティでBrixieeとキスすることができるのか、壊されたパパのドローンを元に戻すことができるのか、ていうはらはらがあり、更にはLucasは両親が離婚をするというので心細くて揺れているし、学校のミュージカルのオーディションに応募したいThorももやもやしているし、錯綜して混乱して自分でなにがどうなっているのかわからず近視眼でいっぱいいっぱいの子供たちの頭の中そのもの、みたいなどたばたで、映像も含めて落ち着かないったらないのだが、こんなもんよ、てな軽さはなかなかよいの。
日本でもようやく公開される”Eighth Grade”も、いまだにロングラン上映されている ”Booksmart”- ほんと傑作だよこれ - にしてもこれにしても、最近の子供たちを描いた映画ってなんでこんなにおもしろいのかしら? 昔からこういうのはあったはずだし、子供たちは真剣なのだからおもしろがってはいけないのかもだけど、このSNSの時代に(だからこそ?)彼らの切実な真剣さはなんだか貴重で、最後の砦(なんの?)ではないかという気がする。彼らを思いっきり泣かせたり笑わせたり絶叫させたり、その声と眼差しを野に放たなければ、って。(あと、”Eighth Grade”もこれもパパがよいのね)
“Room” (2015)ではひどい目にあっていたJacob Tremblayくんが元気いっぱいに走り回っているのも素敵で、あそこから繋がってぶれていないかんじも少ししたり。
8.26.2019
[film] Once Upon a Time... in Hollywood (2019)
18日、日曜日のお昼にPicturehouse Centralで見ました。 ここでは雰囲気の35mmかくっきりしゃっきりの4Kデジタルかの2種類の版で上映していて(70mmもどこかでやっているのかしら?)、35mmの方にした。
予告CMでもしつこいくらいに謳われている”The 9th Film by Quentin Tarantino”で、つまり確立されたブランドの新作なんだから見なさいよ、見て当然でしょ、って迫ってくる。
わたしはもともとバイオレンス描写が苦手で、Tarantinoのは特にいつもとっても痛そうなので恐くて、でもそれは彼が映画における痛みや傷の表現・描写を歴史をきちんと踏まえて勉強した成果でもあるのだし、それがあるからこそ最後に悪玉がやられるところで(快感とは呼びたくない)ある種の到達感が得られるのだし、彼が取り上げる題材がそもそも善/悪や快/痛や欲望/復讐の境界を彷徨う個人と組織のせめぎ合いの只中にあり、そこには泣いても笑っても生きるか死ぬかの暴力しかなかった - 歴史は暴力によって作られてきたのだからしょうがない、だからとにかく見ろ、と。
長さは161分、眠くならず長さも感じずに見れたのでおもしろかったのだと思う。 「のだと思う」になってしまうのは、見ながらそれぞれの場面やエピソードや人物像に「これはどこそこにあったあれよ」とか「このキャラは誰それを模したものを誰それにあんなふうに演じさせているのよ」を匂わせる付箋のようなものがいっぱい貼ってあるのを感じて、それらを知っていればもっとおもしろくなること確実なことがわかる、というやや面倒なおもしろ構造になっているためで、だから底の底までこのテーマをわかっておもしろがりたい人は映画秘宝かなんかの攻略特集でも読めばよいのだろうが、そこまでしておもしろがる意味を感じない、というか。自分はそこまで映画を愛していないんだわ。たぶん。
1969年の2月初の数日間とそこからちょうど半年後、8月の数日間に、TV/映画で人気があったものの翳りが見え始めた俳優のRick Dalton (Leonardo DiCaprio)とそのスタントダブルのCliff Booth (Brad Pitt) のふたりが遭遇したこと。メインのエピソードは実際に起こったSharon Tate (Margot Robbie) 事件で、Rickの邸宅は事件があったRoman Polanski邸の隣にあって、つまり。
あの事件をきっかけにあの時代やあの土地の空気感のようなものが変わった、のかもしれないがその少し前からその兆候はこんなところにもあんなところにも既に見受けられ、ていうことは別にあの陰惨な事件が起ころうが起こるまいがハリウッド、というかそこを中心としたポップカルチャーのありようは変わっていく運命にあった - が故の”Once Upon a Time...”という苦みも含めた過去を飲みこんで総括するやり方で、付箋だらけのもどかしさを感じてしまった理由はそこにもある。 時代の動きとかうねりをどのテーマやエピソードを拾いあげてどう表象するのか、正解なんてない世界だし、正解の在処 - 脈みたいのを探るにはそこら中をほじくり返していくしかないし、結局これって誰それの描き方がひどい、とか誰それが出てこないのはおかしい、とかそういう言い合いとか、さすがQT、ていうオタク同士の褒めあいになってしまう。(もちろん、そういう言い合いは楽しいから見た後にやりたい方がいっぱいやっていいの)
他方でこないだの”Apocalypse Now”なんかは、ジャングルの奥- 闇の奥の物語に当時の正気も狂気も含めた(正誤なんてどうでもいい)ありったけをぶちこんでみて、乱暴に”Now”というラベルを貼ってしまう。そうすることで、あの映画で描かれたことは50年前に遠いアジアのどこかで起こった昔話、以上のヤバみと困惑をもたらすのだし、記事によって一瞬参照されるだけのCharles Mansonの生々しさは今現在と連結してどこまでも残っている。
主人公のふたりは始めから(仕事として)誰かを演じている - Leonardo DiCaprioは過去に自身が演じたクラシックなヒーロー像を延々なぞって反復することに焦りと行き詰まりを感じていて、Brad PittはそのLeonardo DiCaprioの被り物を着てアクションをして生計を立てている - そんなフィクションの工事現場で生きることに腹を括ったふたりと、その周辺でそことは別の位相 - 夢と現実の境をらりらり彷徨っているヒッピー/カルト連中の、交通事故みたいな衝突。
ハリウッドというアメリカの夢とか理想とかを映画という織物にして生産する工場が不可避的に抱え込んだ闇とか病とか負債とか、それは映画を通して学ぶことができる/できた世界のありようときれいに繋がっているようで、だからそうだねえ、としか言いようがないし、”Once Upon a Time.. “なのだが、それは円環を描いていてあんま外側に転がっていかない。
で、自分が古いのも新しいのも含めて映画を見にいくのは、ここに描かれたこんなふうな世界がこうあったから、ていうのとは別の理由によるもの、という気がしていて、でもそこはまだあまり掘らなくてもいいかなー、くらいなのでー。(進まない)
でもこの時代のいろんなことを知る入り口としてはとてもよい作品だと思うし、世界の至る所でフェイクとカルトと独裁が蔓延るポスト・トゥルースの時代にこれが作られた理由は、たぶんどこかにあって、それについては50年後に誰かがアナザー ”Once Upon a Time.. “として映画化してくれるに違いない。 それまで世界が保てば、だけどね。
予告CMでもしつこいくらいに謳われている”The 9th Film by Quentin Tarantino”で、つまり確立されたブランドの新作なんだから見なさいよ、見て当然でしょ、って迫ってくる。
わたしはもともとバイオレンス描写が苦手で、Tarantinoのは特にいつもとっても痛そうなので恐くて、でもそれは彼が映画における痛みや傷の表現・描写を歴史をきちんと踏まえて勉強した成果でもあるのだし、それがあるからこそ最後に悪玉がやられるところで(快感とは呼びたくない)ある種の到達感が得られるのだし、彼が取り上げる題材がそもそも善/悪や快/痛や欲望/復讐の境界を彷徨う個人と組織のせめぎ合いの只中にあり、そこには泣いても笑っても生きるか死ぬかの暴力しかなかった - 歴史は暴力によって作られてきたのだからしょうがない、だからとにかく見ろ、と。
長さは161分、眠くならず長さも感じずに見れたのでおもしろかったのだと思う。 「のだと思う」になってしまうのは、見ながらそれぞれの場面やエピソードや人物像に「これはどこそこにあったあれよ」とか「このキャラは誰それを模したものを誰それにあんなふうに演じさせているのよ」を匂わせる付箋のようなものがいっぱい貼ってあるのを感じて、それらを知っていればもっとおもしろくなること確実なことがわかる、というやや面倒なおもしろ構造になっているためで、だから底の底までこのテーマをわかっておもしろがりたい人は映画秘宝かなんかの攻略特集でも読めばよいのだろうが、そこまでしておもしろがる意味を感じない、というか。自分はそこまで映画を愛していないんだわ。たぶん。
1969年の2月初の数日間とそこからちょうど半年後、8月の数日間に、TV/映画で人気があったものの翳りが見え始めた俳優のRick Dalton (Leonardo DiCaprio)とそのスタントダブルのCliff Booth (Brad Pitt) のふたりが遭遇したこと。メインのエピソードは実際に起こったSharon Tate (Margot Robbie) 事件で、Rickの邸宅は事件があったRoman Polanski邸の隣にあって、つまり。
あの事件をきっかけにあの時代やあの土地の空気感のようなものが変わった、のかもしれないがその少し前からその兆候はこんなところにもあんなところにも既に見受けられ、ていうことは別にあの陰惨な事件が起ころうが起こるまいがハリウッド、というかそこを中心としたポップカルチャーのありようは変わっていく運命にあった - が故の”Once Upon a Time...”という苦みも含めた過去を飲みこんで総括するやり方で、付箋だらけのもどかしさを感じてしまった理由はそこにもある。 時代の動きとかうねりをどのテーマやエピソードを拾いあげてどう表象するのか、正解なんてない世界だし、正解の在処 - 脈みたいのを探るにはそこら中をほじくり返していくしかないし、結局これって誰それの描き方がひどい、とか誰それが出てこないのはおかしい、とかそういう言い合いとか、さすがQT、ていうオタク同士の褒めあいになってしまう。(もちろん、そういう言い合いは楽しいから見た後にやりたい方がいっぱいやっていいの)
他方でこないだの”Apocalypse Now”なんかは、ジャングルの奥- 闇の奥の物語に当時の正気も狂気も含めた(正誤なんてどうでもいい)ありったけをぶちこんでみて、乱暴に”Now”というラベルを貼ってしまう。そうすることで、あの映画で描かれたことは50年前に遠いアジアのどこかで起こった昔話、以上のヤバみと困惑をもたらすのだし、記事によって一瞬参照されるだけのCharles Mansonの生々しさは今現在と連結してどこまでも残っている。
主人公のふたりは始めから(仕事として)誰かを演じている - Leonardo DiCaprioは過去に自身が演じたクラシックなヒーロー像を延々なぞって反復することに焦りと行き詰まりを感じていて、Brad PittはそのLeonardo DiCaprioの被り物を着てアクションをして生計を立てている - そんなフィクションの工事現場で生きることに腹を括ったふたりと、その周辺でそことは別の位相 - 夢と現実の境をらりらり彷徨っているヒッピー/カルト連中の、交通事故みたいな衝突。
ハリウッドというアメリカの夢とか理想とかを映画という織物にして生産する工場が不可避的に抱え込んだ闇とか病とか負債とか、それは映画を通して学ぶことができる/できた世界のありようときれいに繋がっているようで、だからそうだねえ、としか言いようがないし、”Once Upon a Time.. “なのだが、それは円環を描いていてあんま外側に転がっていかない。
で、自分が古いのも新しいのも含めて映画を見にいくのは、ここに描かれたこんなふうな世界がこうあったから、ていうのとは別の理由によるもの、という気がしていて、でもそこはまだあまり掘らなくてもいいかなー、くらいなのでー。(進まない)
でもこの時代のいろんなことを知る入り口としてはとてもよい作品だと思うし、世界の至る所でフェイクとカルトと独裁が蔓延るポスト・トゥルースの時代にこれが作られた理由は、たぶんどこかにあって、それについては50年後に誰かがアナザー ”Once Upon a Time.. “として映画化してくれるに違いない。 それまで世界が保てば、だけどね。
8.21.2019
[film] Irene Dunne & Cary Grant
ということで、今回のCary Grant特集でのIrene Dunneとの共演作を3本まとめて書いておく(見た順で)。
”The Awful Truth”は昨年の11月にもBFIのコメディ映画特集でかかったのを見ているのだが、今回2本見てから改めて見直したくなったので再見しちゃったやつ。
My Favorite Wife (1940)
15日、木曜日の晩に見ました。邦題は『ママのご帰還』。
プロデュースと一部原作はLeo McCareyで、”The Awful Truth”と同じく彼が監督する予定だったのだが自動車事故に巻き込まれてできなくなってしまったものだそう。
原作はテニスンの物語詩 "Enoch Arden" (1864)で、水夫のEnoch Ardenが水難事故にあい孤島で数年暮らして戻ってみると妻が結婚して幸せそうだった、ていうお話しの男女を逆転させ、ひねりついでにコメディにしたやつで、だから主人公の名前はNick Arden (Cary Grant)で、冒頭、裁判所で7年前の船事故から戻ってこない妻が死亡認定されて、Bianca (Gail Patrick)と結婚できる状態になるところから。
他方、Nickの妻Ellen (Irene Dunne)は7年ぶりに自宅に戻ってきて、自分が母であることを知らない自分の子供たちと会って、Nickの母とも再会すると、Nickはハネムーンに... っていうのでそのままハネムーン先のホテルに飛んでいき(すごい行動力)、Nickと目が合うと彼はびっくり大喜びして、でも同じ部屋に泊まるわけにもいかないので彼女用に別の部屋を取ってBiancaの隙をみて彼女に会いに行くのだが 、ホテルの支配人からめちゃくちゃ怪しまれておかしいったらない。
ハネムーンから戻ってもEllenは親戚としてちゃっかりNickの家にいて、夫の挙動が明らかにおかしくなったことからBiancaが精神科医を呼んだり、Ellenは死んでいないという噂を聞いた保険屋が現れて、Ellenが島でサバイブしていた7年間、Stephen (Randolph Scott)ていうムキムキ系の男とずっと一緒だった疑惑が持ちあがり、なにい、とか言ってるとNickは重婚の罪で引っ立てられ、互いにあんたってヒトは... 状態でどっちに転ぶかわからない、毛を逆立ててばかりの再会~衝突劇が楽しいこと。でも最後は結局”Favorite”のところに。
Penny Serenade (1941)
17日、土曜日の夕方に見ました。
これはコメディというよりしんみりした夫婦のドラマだった。 邦題は『愛のアルバム』。
冒頭、荷物をまとめてひとりしょんぼり家を出ていこうとしているJulie (Irene Dunne)がいて、電車のチケットがくるのを待っている間に居間にあったアルバム - "The Story of a Happy Marriage" - を開いて、そこに挟んであるレコードを順番にかけながら回想に浸っていく、ていう音楽映画でもあるの。
Brooklynのレコ屋で音楽をかけているJulieに目がいったRoger (Cary Grant)は店に入ってその曲を試聴室で聴かせてくれないか、って彼女に頼んで、彼女を占有したいからそこらのレコードぜんぶひっ掴んでこれも聴きたい、って頼んで、結局閉店まで居座ってぜんぶ買っちゃって、両手いっぱいのレコードを抱えてふたりで一緒に帰るとき、うちにはプレイヤーがないから君の家で聴かせてくれないか、って。(... つっこみたくはないけどさ、なんだこれ)
こうして仲良くなったふたりはデートのフォーチュンクッキーでいちいちもじもじしたりかわいいのだが、大晦日の晩、記者のRogerが東京への特派員に指名されてすぐ日本に旅立つから結婚しないかって、で、その晩に結婚する。(え.. ビザとかないの?)
日本に着いたJulieは池にあひるが泳いでいる召使一家つきの一軒家(Rogerによると家賃は2000円、$1000かな、って)を借りて、Julieは妊娠して変てこな着物を着て幸せそうだったのだが、Rogerは遺産相続したから会社やめた、ふたりで世界中を旅しよう、とか言いだして、でもそんな大層な金額ではなかったのであんたなに考えてんの? になったところで大地震(関東大震災?)が東京を襲って、Julieは流産してしまう。
サンフランシスコに戻ってRogerは小さなタウン誌の発行を始めて、でもJulieは病院で泣いてばかりなので万能従業員のApplejack(Edgar Buchanan)は養子を貰ってみたらどうか、といい、試しに応募して面接に行くと希望されているような子(2歳くらい、青い目でカーリーヘアの男子)は数年かかるかもと言われ、でも親切な担当のMiss Oliver(Beulah Bondi)からある日連絡を受け、女の子の赤ん坊がいて、この子はいいわよ、というので連れ帰り、Trinaと名付けておっかなびっくり育児を始める。
で、一年間の里親としての試用期間を経て審査の時が来るのだがRogerは自分の会社を潰したばかりの無収入で、普通なら子供は取りあげられてしまうのだが判事の前でRogerが感動的なスピーチをして、Trinaは戻ってくるの。クリスマスにママの誕生日に、みんなで楽しく幸せに暮らしていったのだが、次の冬、Miss Oliver宛の手紙で、Trianaが病で突然亡くなってしまったことが明らかにされ、そこから塞ぎこんでしまったふたりはもう一緒にいないほうがいいね、になって冒頭のシーンに。 (でもこれで終わりじゃないの)
ドラマとして喜怒哀楽をとても情感たっぷりに描いて、Irene DunneとCary Grantの夫婦のかんじもパーフェクトとしか言いようがないのだが、コメディではないの。 でもIrene Dunneさんはこれが一番お気に入りなのだそう。 朝の連ドラ向け、かなあ。
あと、メカから料理からおむつ作りまでなんでもこなしてしまうApplejack氏はJon Favreauの”Happy”の原型なのだと思った。
The Awful Truth (1937)
19日月曜日の晩、BFIで見ました。邦題は『新婚道中記』(←ありえない)
これもあそこで一番でっかいシアターがほぼ一杯で、やっぱりこれが一番おもしろいかなー、と。
もう別れましょ、て険悪になったJerry (Cary Grant)とLucy (Irene Dunne)の夫婦がいて、Lucyが再婚候補として連れてきた音楽教師Armand (Alexander D'Arcy)とかオクラホマの金持ち(Ralph Bellamy)とかがJerryには気にくわず、Jerryがつきあいだした金持ちのご令嬢のBarbara Vance (Molly Lamont)がLucyには気にくわず、互いに介入してぶち壊しあい眠れなくなったその先には。
あんた本当はヒトでしょ?と言いたくなるわんころのMr.Smithとか、なぜか懸命にドアをブロックしにくる正体不明の黒猫とか、動物が大活躍するのがとても楽しい。
あと、”His Girl Friday” (1940)でも引き続きCary Grantに散々虐められることになるRalph Bellamyがあれとほぼ同じポジション(しかも同様にママ付き)で登場している。
Irene DunneとCary Grantのふたりってひどい大ゲンカとか悲惨なことなことがあっても絶対に離れない頑丈な糸で結ばれたふたりなの。 これに対してKatharine HepburnとCary Grantのふたりはめちゃくちゃな惨事や大嵐の真っ只中でもなぜかくっついてしまう魔法の腐れ縁なのね。
どっちのふたりにしたってベースが最強なもんだからどんな突飛なお話しをぶつけてみても大抵へっちゃらなんだ。 でもなんでそれがCary Grantなのか、彼には可能となってしまうのかは、ヒチコック作品とかも絡めてきちんと考えるべきネタ、なのかもしれない。
”The Awful Truth”は昨年の11月にもBFIのコメディ映画特集でかかったのを見ているのだが、今回2本見てから改めて見直したくなったので再見しちゃったやつ。
My Favorite Wife (1940)
15日、木曜日の晩に見ました。邦題は『ママのご帰還』。
プロデュースと一部原作はLeo McCareyで、”The Awful Truth”と同じく彼が監督する予定だったのだが自動車事故に巻き込まれてできなくなってしまったものだそう。
原作はテニスンの物語詩 "Enoch Arden" (1864)で、水夫のEnoch Ardenが水難事故にあい孤島で数年暮らして戻ってみると妻が結婚して幸せそうだった、ていうお話しの男女を逆転させ、ひねりついでにコメディにしたやつで、だから主人公の名前はNick Arden (Cary Grant)で、冒頭、裁判所で7年前の船事故から戻ってこない妻が死亡認定されて、Bianca (Gail Patrick)と結婚できる状態になるところから。
他方、Nickの妻Ellen (Irene Dunne)は7年ぶりに自宅に戻ってきて、自分が母であることを知らない自分の子供たちと会って、Nickの母とも再会すると、Nickはハネムーンに... っていうのでそのままハネムーン先のホテルに飛んでいき(すごい行動力)、Nickと目が合うと彼はびっくり大喜びして、でも同じ部屋に泊まるわけにもいかないので彼女用に別の部屋を取ってBiancaの隙をみて彼女に会いに行くのだが 、ホテルの支配人からめちゃくちゃ怪しまれておかしいったらない。
ハネムーンから戻ってもEllenは親戚としてちゃっかりNickの家にいて、夫の挙動が明らかにおかしくなったことからBiancaが精神科医を呼んだり、Ellenは死んでいないという噂を聞いた保険屋が現れて、Ellenが島でサバイブしていた7年間、Stephen (Randolph Scott)ていうムキムキ系の男とずっと一緒だった疑惑が持ちあがり、なにい、とか言ってるとNickは重婚の罪で引っ立てられ、互いにあんたってヒトは... 状態でどっちに転ぶかわからない、毛を逆立ててばかりの再会~衝突劇が楽しいこと。でも最後は結局”Favorite”のところに。
Penny Serenade (1941)
17日、土曜日の夕方に見ました。
これはコメディというよりしんみりした夫婦のドラマだった。 邦題は『愛のアルバム』。
冒頭、荷物をまとめてひとりしょんぼり家を出ていこうとしているJulie (Irene Dunne)がいて、電車のチケットがくるのを待っている間に居間にあったアルバム - "The Story of a Happy Marriage" - を開いて、そこに挟んであるレコードを順番にかけながら回想に浸っていく、ていう音楽映画でもあるの。
Brooklynのレコ屋で音楽をかけているJulieに目がいったRoger (Cary Grant)は店に入ってその曲を試聴室で聴かせてくれないか、って彼女に頼んで、彼女を占有したいからそこらのレコードぜんぶひっ掴んでこれも聴きたい、って頼んで、結局閉店まで居座ってぜんぶ買っちゃって、両手いっぱいのレコードを抱えてふたりで一緒に帰るとき、うちにはプレイヤーがないから君の家で聴かせてくれないか、って。(... つっこみたくはないけどさ、なんだこれ)
こうして仲良くなったふたりはデートのフォーチュンクッキーでいちいちもじもじしたりかわいいのだが、大晦日の晩、記者のRogerが東京への特派員に指名されてすぐ日本に旅立つから結婚しないかって、で、その晩に結婚する。(え.. ビザとかないの?)
日本に着いたJulieは池にあひるが泳いでいる召使一家つきの一軒家(Rogerによると家賃は2000円、$1000かな、って)を借りて、Julieは妊娠して変てこな着物を着て幸せそうだったのだが、Rogerは遺産相続したから会社やめた、ふたりで世界中を旅しよう、とか言いだして、でもそんな大層な金額ではなかったのであんたなに考えてんの? になったところで大地震(関東大震災?)が東京を襲って、Julieは流産してしまう。
サンフランシスコに戻ってRogerは小さなタウン誌の発行を始めて、でもJulieは病院で泣いてばかりなので万能従業員のApplejack(Edgar Buchanan)は養子を貰ってみたらどうか、といい、試しに応募して面接に行くと希望されているような子(2歳くらい、青い目でカーリーヘアの男子)は数年かかるかもと言われ、でも親切な担当のMiss Oliver(Beulah Bondi)からある日連絡を受け、女の子の赤ん坊がいて、この子はいいわよ、というので連れ帰り、Trinaと名付けておっかなびっくり育児を始める。
で、一年間の里親としての試用期間を経て審査の時が来るのだがRogerは自分の会社を潰したばかりの無収入で、普通なら子供は取りあげられてしまうのだが判事の前でRogerが感動的なスピーチをして、Trinaは戻ってくるの。クリスマスにママの誕生日に、みんなで楽しく幸せに暮らしていったのだが、次の冬、Miss Oliver宛の手紙で、Trianaが病で突然亡くなってしまったことが明らかにされ、そこから塞ぎこんでしまったふたりはもう一緒にいないほうがいいね、になって冒頭のシーンに。 (でもこれで終わりじゃないの)
ドラマとして喜怒哀楽をとても情感たっぷりに描いて、Irene DunneとCary Grantの夫婦のかんじもパーフェクトとしか言いようがないのだが、コメディではないの。 でもIrene Dunneさんはこれが一番お気に入りなのだそう。 朝の連ドラ向け、かなあ。
あと、メカから料理からおむつ作りまでなんでもこなしてしまうApplejack氏はJon Favreauの”Happy”の原型なのだと思った。
The Awful Truth (1937)
19日月曜日の晩、BFIで見ました。邦題は『新婚道中記』(←ありえない)
これもあそこで一番でっかいシアターがほぼ一杯で、やっぱりこれが一番おもしろいかなー、と。
もう別れましょ、て険悪になったJerry (Cary Grant)とLucy (Irene Dunne)の夫婦がいて、Lucyが再婚候補として連れてきた音楽教師Armand (Alexander D'Arcy)とかオクラホマの金持ち(Ralph Bellamy)とかがJerryには気にくわず、Jerryがつきあいだした金持ちのご令嬢のBarbara Vance (Molly Lamont)がLucyには気にくわず、互いに介入してぶち壊しあい眠れなくなったその先には。
あんた本当はヒトでしょ?と言いたくなるわんころのMr.Smithとか、なぜか懸命にドアをブロックしにくる正体不明の黒猫とか、動物が大活躍するのがとても楽しい。
あと、”His Girl Friday” (1940)でも引き続きCary Grantに散々虐められることになるRalph Bellamyがあれとほぼ同じポジション(しかも同様にママ付き)で登場している。
Irene DunneとCary Grantのふたりってひどい大ゲンカとか悲惨なことなことがあっても絶対に離れない頑丈な糸で結ばれたふたりなの。 これに対してKatharine HepburnとCary Grantのふたりはめちゃくちゃな惨事や大嵐の真っ只中でもなぜかくっついてしまう魔法の腐れ縁なのね。
どっちのふたりにしたってベースが最強なもんだからどんな突飛なお話しをぶつけてみても大抵へっちゃらなんだ。 でもなんでそれがCary Grantなのか、彼には可能となってしまうのかは、ヒチコック作品とかも絡めてきちんと考えるべきネタ、なのかもしれない。
[film] The Philadelphia Story (1940)
17日、土曜日の午後、BFIのCary Grant特集で見ました。一番でっかいシアターがほぼ満員で、終わるとみんなわーって拍手になる。これに限らずCary Grantのコメディは必ず拍手喝采で終わるの。
監督がGeorge Cukor、プロデュースがJoseph L. Mankiewicz、Philip Barryによるブロードウェイの舞台用脚本をDonald Ogden Stewartが脚色し(オスカーとった)、俳優陣はCary GrantにKatharine HepburnにJames Stewart(オスカーとった)にRuth Husseyに。とてつもない古典と言われているが胸のすくような感動的なフィナーレがあるわけではない、最後まで危なっかしくて、えー そっちかー そうかー そうだねえ.. って考えさせるところも、見るたびにそれが(何度でも新鮮に)起こることいろいろ含めての古典なんだと思う。
冒頭、フィラデルフィアの名家で社交家のTracy (Katharine Hepburn)の家の前で、彼女とC.K. Dexter Haven (Cary Grant)が大喧嘩して、Tracyが彼のゴルフクラブをへし折って、Dexterは涙目で家を出て行っちゃうの。
そこから2年後、Tracyは成り上がり(で頭からっぽ)のGeorge Kittredge(John Howard)と結婚することになって、式になんとか潜りこみたいタブロイド誌の”Spy”は記者のMike (James Stewart)とカメラのElizabeth (Ruth Hussey)と、切り札にDexterを加えて、Tracyの兄の友達とか適当言って屋敷に潜りこませて隠密に … とはならずに結果的にあれこれ引っ掻き回すことになる。DexterはTracyに彼女の父親の浮気の件をほのめかし、かつての彼女が自分にどう見えていたかを率直かつ親身になって語り、そんなのでぐらぐらし始めた彼女は、作家でもあるMikeに絡んだりぐでぐでに荒れていって、とうとう式の前夜に..
結婚式で新たに、今度こそ幸せを掴もうとしている花嫁に向かって、前夫から記者からDexter贔屓の家族までよってたかってみんな勝手なことを言って彼女の土台をぐらぐらにするのだが、誰も我こそがとか言わないし着地点も見えないまま、最後の最後にそれは起こって、結婚式のどたんばの逆転劇としてはそうとう際どいぎりぎりのやつで、どうせ、たぶんあの後だれも責任とろうとしない。こんなとてつもなく無責任・思いつき・いいかげんな顛末を”The Philadelphia Story”って、今でいうご当地Rom-comにしてしまうのだから呆れてものも言えないわ。土地の名前がつく“Sleepless in Seattle” (1993)なんて、これの500倍くらいまじめだわよ(べつにほめてない)。
でもこんなふざけたお話しがふざけているなりにリアルで身を乗り出して見入ってしまうのは俳優陣がみんな驚異的にすごいからよね。ほぼ目配せの連携でだいたいの物事が運んでいったり、薄ら笑いのタイミングが絶妙だったり、Mikeのしゃっくりが見事に転がったり(あれアドリブなんだよ)、Action speaks faster - 泣いて笑って絡んでのすべてがアクションとして極めて正確に機能してしまう驚異ときたら。
Holiday (1938)
12日、月曜日の晩にBFIの同じ特集で、同じくGeorge Cukor, Cary Grant, Katharine HepburnによるRom-com(更にPhilip Barry原作の舞台をDonald Ogden Stewart (& Sidney Buchman)が脚色しているとこも同じ)。しかしGeorge Cukorって、ここから”The Philadelphia Story”までの間に”The Women” (1939)を含めて4本撮っている(「風と共に去りぬ」は途中降板だけど)のね。
Johnny Case (Cary Grant)が休暇で出会ったJulia Seton (Doris Nolan)と結婚しようと彼女の家に行ってみるとそこは五番街の豪邸で彼女の父は超金持ちで、でもそこにはJuliaの姉でそこでの退屈な生活にうんざりしているLinda (Katharine Hepburn)とか兄でアル中のNed (Lew Ayres)とかがいて、JohnnyはLindaやNedと気が合って、逆に将来や仕事のことについて固いことばかりがみがみ言い始めたJuliaが面倒になってきて、Lindaは仕事より大事なことがある、って言うJohnnyのことを好きになって、やがてNew Year's Eveのパーティでの婚約発表が近づいてくる。
これも“The Philadelphia Story”と同じく結婚(or 婚約)式をどたんばでぶち壊す話で、この話でのKatharine Hepburnは妹の幸せをぶち壊す側にまわっているのだが、そういえば”The Philadelphia .. “ だって、彼女、自分で自分の式を壊していなかったかしら? とか、ここで壊されたものって結局なんだったのだろう? 高慢と偏見? JuliaもGeorgeもかわいそうだけど、彼らの相手ならまたそこらで見つかりそうだし、お金持ちってそういうもんなんでしょ、とか。
ここでもKatharine Hepburnの酔っ払いとでんぐり返り - 彼女の運動神経 - はすばらしいとしか言いようがないのだが、スタジオはこれの前年に”The Awful Truth”でGrantと共演したIrene DunneをLinda役にしたがったらしい。(最終的にCukorがKatharine Hepburnに決めた、と)
Irene DunneとCary Grantもそれはそれはすばらしいのだが、彼らは結婚した後のコメディをやるコンビで、Katharine HepburnとCary Grantは結婚する手前のコメディをやるコンビなの。
Irene Dunnとのやつはまた後ほど。
監督がGeorge Cukor、プロデュースがJoseph L. Mankiewicz、Philip Barryによるブロードウェイの舞台用脚本をDonald Ogden Stewartが脚色し(オスカーとった)、俳優陣はCary GrantにKatharine HepburnにJames Stewart(オスカーとった)にRuth Husseyに。とてつもない古典と言われているが胸のすくような感動的なフィナーレがあるわけではない、最後まで危なっかしくて、えー そっちかー そうかー そうだねえ.. って考えさせるところも、見るたびにそれが(何度でも新鮮に)起こることいろいろ含めての古典なんだと思う。
冒頭、フィラデルフィアの名家で社交家のTracy (Katharine Hepburn)の家の前で、彼女とC.K. Dexter Haven (Cary Grant)が大喧嘩して、Tracyが彼のゴルフクラブをへし折って、Dexterは涙目で家を出て行っちゃうの。
そこから2年後、Tracyは成り上がり(で頭からっぽ)のGeorge Kittredge(John Howard)と結婚することになって、式になんとか潜りこみたいタブロイド誌の”Spy”は記者のMike (James Stewart)とカメラのElizabeth (Ruth Hussey)と、切り札にDexterを加えて、Tracyの兄の友達とか適当言って屋敷に潜りこませて隠密に … とはならずに結果的にあれこれ引っ掻き回すことになる。DexterはTracyに彼女の父親の浮気の件をほのめかし、かつての彼女が自分にどう見えていたかを率直かつ親身になって語り、そんなのでぐらぐらし始めた彼女は、作家でもあるMikeに絡んだりぐでぐでに荒れていって、とうとう式の前夜に..
結婚式で新たに、今度こそ幸せを掴もうとしている花嫁に向かって、前夫から記者からDexter贔屓の家族までよってたかってみんな勝手なことを言って彼女の土台をぐらぐらにするのだが、誰も我こそがとか言わないし着地点も見えないまま、最後の最後にそれは起こって、結婚式のどたんばの逆転劇としてはそうとう際どいぎりぎりのやつで、どうせ、たぶんあの後だれも責任とろうとしない。こんなとてつもなく無責任・思いつき・いいかげんな顛末を”The Philadelphia Story”って、今でいうご当地Rom-comにしてしまうのだから呆れてものも言えないわ。土地の名前がつく“Sleepless in Seattle” (1993)なんて、これの500倍くらいまじめだわよ(べつにほめてない)。
でもこんなふざけたお話しがふざけているなりにリアルで身を乗り出して見入ってしまうのは俳優陣がみんな驚異的にすごいからよね。ほぼ目配せの連携でだいたいの物事が運んでいったり、薄ら笑いのタイミングが絶妙だったり、Mikeのしゃっくりが見事に転がったり(あれアドリブなんだよ)、Action speaks faster - 泣いて笑って絡んでのすべてがアクションとして極めて正確に機能してしまう驚異ときたら。
Holiday (1938)
12日、月曜日の晩にBFIの同じ特集で、同じくGeorge Cukor, Cary Grant, Katharine HepburnによるRom-com(更にPhilip Barry原作の舞台をDonald Ogden Stewart (& Sidney Buchman)が脚色しているとこも同じ)。しかしGeorge Cukorって、ここから”The Philadelphia Story”までの間に”The Women” (1939)を含めて4本撮っている(「風と共に去りぬ」は途中降板だけど)のね。
Johnny Case (Cary Grant)が休暇で出会ったJulia Seton (Doris Nolan)と結婚しようと彼女の家に行ってみるとそこは五番街の豪邸で彼女の父は超金持ちで、でもそこにはJuliaの姉でそこでの退屈な生活にうんざりしているLinda (Katharine Hepburn)とか兄でアル中のNed (Lew Ayres)とかがいて、JohnnyはLindaやNedと気が合って、逆に将来や仕事のことについて固いことばかりがみがみ言い始めたJuliaが面倒になってきて、Lindaは仕事より大事なことがある、って言うJohnnyのことを好きになって、やがてNew Year's Eveのパーティでの婚約発表が近づいてくる。
これも“The Philadelphia Story”と同じく結婚(or 婚約)式をどたんばでぶち壊す話で、この話でのKatharine Hepburnは妹の幸せをぶち壊す側にまわっているのだが、そういえば”The Philadelphia .. “ だって、彼女、自分で自分の式を壊していなかったかしら? とか、ここで壊されたものって結局なんだったのだろう? 高慢と偏見? JuliaもGeorgeもかわいそうだけど、彼らの相手ならまたそこらで見つかりそうだし、お金持ちってそういうもんなんでしょ、とか。
ここでもKatharine Hepburnの酔っ払いとでんぐり返り - 彼女の運動神経 - はすばらしいとしか言いようがないのだが、スタジオはこれの前年に”The Awful Truth”でGrantと共演したIrene DunneをLinda役にしたがったらしい。(最終的にCukorがKatharine Hepburnに決めた、と)
Irene DunneとCary Grantもそれはそれはすばらしいのだが、彼らは結婚した後のコメディをやるコンビで、Katharine HepburnとCary Grantは結婚する手前のコメディをやるコンビなの。
Irene Dunnとのやつはまた後ほど。
8.19.2019
[film] Go Fish (1994)
7日水曜日の晩、BFIのNineties特集で見ました。
94年のSundanceで話題になって、メジャーなところにも売れてそこそこヒットして、こんなインディーのレズビアン映画でもマーケットバリュー(けっ)があることを(狭い)世に知らしめた作品。
Rose Trocheと出演もしているGuinevere Turnerがふたりで書いて、Rose Trocheが監督している。
16mmのモノクロで撮られたスケッチのような作品で、映画を撮ろうとしている学生のMax (Guinevere Turner) がいて、彼女のカメラ(+1)を通して映しだされる彼女の周囲にいる女性たち(4人、20〜30代)の肖像とか日常のやりとりとか。特に大きな事件に小さなエピソード、修羅場などが出てくるわけではなく、誰かが誰かを好きになった、とか、やっぱ別れた- またくっついた、とか、なんであたしはこんな、とか、あんた誰よ、とか、それぞれの日々の決意や後悔やお小言が重ねられ、たまに彼女たちは集まってパーティしたり全員あお向けになって告解とか白状してみたりする(そしてそこには必ず新参者がいて変なかんじになるのがおかしい)。
レズビアンだから女性だから、みたいな目線が特に強調されているようには見えなくて、ただ男野郎同士のこういうのだとバーで呑んでくだまいて、で終始しそうなところ(偏見です)をもう少し細やかな(髪を切る爪を切るお茶を飲む、とか)キッチンやリビングでのふだんの生活の動作に目を向けていて、それが結果としてこの作品のナイーブな性格と柔らかく調和しているのだと思った。女性ならでは、という言い方をすべきではないのかもしれないが、特に開き直っているわけでも言い訳しているわけでもない。なんかかわいいでしょ、でこじんまりすることも露悪に曝しまくることもなく淡々と開かれてそこにいる。 その辺の潔さも含めて、タイトルの“Go Fish” – おととい来やがれ – はいろんな意味を含んで反射していておもしろいかも。
あくまで印象だけど、“Stranger Than Paradise” (1984)とかにあった、あんたなにもの? な無骨さと、それがもたらすユーモア、がなんともいえなくて、とにかく彼女たちがああしているだけでとても素敵で。今もあんなふうにどこかで暮らしているんだろうな、いてほしいな、Trumpとかに激怒していそうだな、とか。
でもぜんぜん(どこがツボなのか)わかんない箇所で爆笑している女性たちが結構いて、あれってなんだったのかしら、って今だにちょっと思う。
いま(さっき見たらもう終わっていた)、Nineties特集の関連企画としてBFIの隅っこのスペースで、"Nineties Video Store Pop-Up"ていうのをやっていてなんだかとても懐かしい。よく再現したもんだと思うが90年代のVHSレンタルをしていたチェーンの店舗を模して、90’sの作品を中心にVHSの外箱がいっぱい並べてあって、見たいやつがあったらそこに置いてあるプレイヤーにかけて見たり、置いてあるスナックも食べてよいらしい。やったことないけど。
今これらはNetflixの選択画面になってしまったわけだが、昔のこれってみんなが行き来したり探し物しているところで棚から選ぶ、っていうのが重要だったのよ。そんな恥ずかしいの借りないよ、とか、それつまんないかもよ、とか(言わないけど)。 本屋が必要な理由もここなのよ。
https://www.timeout.com/london/things-to-do/nineties-video-store-pop-up
94年のSundanceで話題になって、メジャーなところにも売れてそこそこヒットして、こんなインディーのレズビアン映画でもマーケットバリュー(けっ)があることを(狭い)世に知らしめた作品。
Rose Trocheと出演もしているGuinevere Turnerがふたりで書いて、Rose Trocheが監督している。
16mmのモノクロで撮られたスケッチのような作品で、映画を撮ろうとしている学生のMax (Guinevere Turner) がいて、彼女のカメラ(+1)を通して映しだされる彼女の周囲にいる女性たち(4人、20〜30代)の肖像とか日常のやりとりとか。特に大きな事件に小さなエピソード、修羅場などが出てくるわけではなく、誰かが誰かを好きになった、とか、やっぱ別れた- またくっついた、とか、なんであたしはこんな、とか、あんた誰よ、とか、それぞれの日々の決意や後悔やお小言が重ねられ、たまに彼女たちは集まってパーティしたり全員あお向けになって告解とか白状してみたりする(そしてそこには必ず新参者がいて変なかんじになるのがおかしい)。
レズビアンだから女性だから、みたいな目線が特に強調されているようには見えなくて、ただ男野郎同士のこういうのだとバーで呑んでくだまいて、で終始しそうなところ(偏見です)をもう少し細やかな(髪を切る爪を切るお茶を飲む、とか)キッチンやリビングでのふだんの生活の動作に目を向けていて、それが結果としてこの作品のナイーブな性格と柔らかく調和しているのだと思った。女性ならでは、という言い方をすべきではないのかもしれないが、特に開き直っているわけでも言い訳しているわけでもない。なんかかわいいでしょ、でこじんまりすることも露悪に曝しまくることもなく淡々と開かれてそこにいる。 その辺の潔さも含めて、タイトルの“Go Fish” – おととい来やがれ – はいろんな意味を含んで反射していておもしろいかも。
あくまで印象だけど、“Stranger Than Paradise” (1984)とかにあった、あんたなにもの? な無骨さと、それがもたらすユーモア、がなんともいえなくて、とにかく彼女たちがああしているだけでとても素敵で。今もあんなふうにどこかで暮らしているんだろうな、いてほしいな、Trumpとかに激怒していそうだな、とか。
でもぜんぜん(どこがツボなのか)わかんない箇所で爆笑している女性たちが結構いて、あれってなんだったのかしら、って今だにちょっと思う。
いま(さっき見たらもう終わっていた)、Nineties特集の関連企画としてBFIの隅っこのスペースで、"Nineties Video Store Pop-Up"ていうのをやっていてなんだかとても懐かしい。よく再現したもんだと思うが90年代のVHSレンタルをしていたチェーンの店舗を模して、90’sの作品を中心にVHSの外箱がいっぱい並べてあって、見たいやつがあったらそこに置いてあるプレイヤーにかけて見たり、置いてあるスナックも食べてよいらしい。やったことないけど。
今これらはNetflixの選択画面になってしまったわけだが、昔のこれってみんなが行き来したり探し物しているところで棚から選ぶ、っていうのが重要だったのよ。そんな恥ずかしいの借りないよ、とか、それつまんないかもよ、とか(言わないけど)。 本屋が必要な理由もここなのよ。
https://www.timeout.com/london/things-to-do/nineties-video-store-pop-up
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