JFKなう。
どしゃどしゃのどしゃぶりで、当然のようにひどい渋滞で、げろげろに車に酔った。 さいてー。
最後の木曜の晩、9時過ぎにみました。
日本で吹き替え版のみだったら悲惨なので、いちおう見ておくの。
クレイアニメ、なのかな。 3Dだけど、あんま3Dじゃなくてもいかったかも。
ぐにょーめお。 (言ってみたかっただけ)
隣りあっていて、でも仲がわるいお家の隣り合っている庭に置いてある置物たちが勝手にうごいてロミオとジュリエットやるの。 青組がロミオで赤組がジュリエット。 他にフラミンゴとかカエルとかきのことか、庭に置いてある大抵のやつは動く。よくよく考えてみると怖い。 けど、造型はどれも愛嬌あってかわいい。
ストーリーは極めてスタンダードで、安心してみていられる。
変なひねりも説教もない。 人形劇をみているみたいなほんわかしたかんじ。
Doomed Loveだし、シェイクスピア本人も出てきて、どうすることもできないわ、っていうの。 悲恋なの。 たぶん。
この設定でシェイクスピアをかたっぱしからやったらおもしろいだろうなー。
悲劇系はみーんな最後粉々になっておわるの。
Executive ProducerはElton Johnなので、彼の曲が古今の名曲が死ぬほど流れる。でも原曲そのまま流してくれればうれしかったのに。
ガーデニング、シェイクスピア、エルトン・ジョン、と英国人が大好きな要素がいっぱい、なので声優陣はなにげに豪華だったりする。
メインのふたりは、James McAvoyにEmily Bluntで、これはまったく問題ないの。 ほかに、Michael CaineにMaggie SmithにJulie Walters、シェイクスピアはPatrick Stewartだよ。 さらにOzzy OsbourneにDolly Parton、ついでについでにHulk Hoganまで。
これで日本公開時にくだんない芸人の吹き替え版のみだったりしたら、ふざけんな、だわよ。
日本でこれをやると、たぬきとかになるのかしら、やっぱし。
では、飛行機のほうに。
日本に戻ると、また映画とかいくペースがおちて、更新は滞って、血流も体液も滞って、そこを花粉が直撃するんだわ。 やだなあ。
2.25.2011
[music] Fred Frith and Laurie Anderson duo
水曜日もThe Stoneでした。 ほんの少しだけ滞在が延びたので行けた。
8時の回だったので6時半くらいから並んで(前方には20人くらい)、7時過ぎに順番に中に入って一旦お金($25)はらってスタンプ押してもらって、で、もう一回そのまま外にならぶ。 この時点でチケットは売り切れてしまうから、わかりやすいといえばわかりやすい。
入口でカウンタをかちかちしつつ中に入るひとを仕切っていたのは、John Zohnさんでした。
えらいよねー
風がなかったのできつくはなかったものの、でも1.5時間外にいるとがたがたになって、中もそんなに暖かくはない(隙間風がね)のでコートを着たまま見る。
前の列右手のすぐ手の届くとこにLou Reedさんがいた。
昨晩みたいにはしゃぐのかしら、と思ったら、最初のうちだけFred Frithのギタープレイを前傾姿勢でじーっと見てて、そのあとはそのまますうっと丸まって寝てた。たまにすごい音が出たときだけ、いかんいかん、て起きるのだがまたすぐ落ちる。
おじいさんみたいだった。 もうじき70だもんね。 おじいさんだよね。(失礼な)
えー、音は、ぴろぴろ、さわさわ、ひりひり、系の、あんましやかましくない弦楽でした。
がつん、と来るような音とか波、はこない。(だから彼寝ちゃったのね)
ふたりとも弦楽器としてのヴァイオリンとかエレクトリックギターの楽器としての可能性を極める、というよりも、それらの音がどんなふうに我々の耳を直撃するか、そして我々の感覚や認識を更新するか、という方向からライブ演奏にアプローチしてきた人たちであった、と思っている。
Fred Frithさんの場合、弦の震えがじかに鼓膜をなでたりさすったりするさまを、その生々しいかんじを弓とか豆とか小道具を使いつつ模索し、Laurie Andersonさんの場合、いまのテクノロジーランドスケープのなかで愛撫のようなかたちで現れてくるような音のありようを、エレクロニクスなんかも使いつつ探ってきていて、で、このふたりの競演、というのは耳元とか頭のまわり30cmのところをいろんな音がちゅんちゅん飛びまくっていてうるさいけどなんか心地よくて、たまにえらく壮大でかっこよくなったりする。 そんなかんじ。
即興に近い演奏かと思っていたのだが、ふたりの他に交互にReadingをする男女がいて("Stingy"にかんするstatement, みたいの。 出典不明)、これらのタイミングはきっちりと計られていたようだったので、事前に打合せとか練習はしていたもよう。
Readingは男女共、静かに、抑揚なく、進んでいって、これも音の微細なうねりと見事に調和しているのだった。
こんな具合で、55分くらい、ノンストップ。 アンコールはなしで、気持ちよくおわった。
あと、Fred Frithさんのやさしい木こりみたいな笑顔と、Laurie Andersonさんの子供みたいな笑顔(ほんとにいくつになってもこのひとは)を見ているとそれだけで、なのだった。
ここまでほあほわとあったかくなるライブ、というのも珍しいとおもった。音だけ聴くとまたぜんぜん違う印象でありえないのだが。
で、場内の空気もきんきんにはりつめてて、写真を撮れるかんじではぜんぜんなかったの。
終ってから、しばしのお別れをゆいに、Porsenaにいった。
ほんとうにここのLasagnaは、ありえない、しんじらんない。
さっき戻ってきたら、LateShowでBright Eyesをやってた。
おもってたほど悪くなかった。
さらに、Jimmy Fallonの音楽ゲストは、Laurie Andersonさんだった。
新譜のジャケットとおなじ男装化粧で(男声)ヴォイス加工と管と鍵盤のトリオ。
ほんとにこのひとは…
ぱっきんぐはー … 朝でいいや…
8時の回だったので6時半くらいから並んで(前方には20人くらい)、7時過ぎに順番に中に入って一旦お金($25)はらってスタンプ押してもらって、で、もう一回そのまま外にならぶ。 この時点でチケットは売り切れてしまうから、わかりやすいといえばわかりやすい。
入口でカウンタをかちかちしつつ中に入るひとを仕切っていたのは、John Zohnさんでした。
えらいよねー
風がなかったのできつくはなかったものの、でも1.5時間外にいるとがたがたになって、中もそんなに暖かくはない(隙間風がね)のでコートを着たまま見る。
前の列右手のすぐ手の届くとこにLou Reedさんがいた。
昨晩みたいにはしゃぐのかしら、と思ったら、最初のうちだけFred Frithのギタープレイを前傾姿勢でじーっと見てて、そのあとはそのまますうっと丸まって寝てた。たまにすごい音が出たときだけ、いかんいかん、て起きるのだがまたすぐ落ちる。
おじいさんみたいだった。 もうじき70だもんね。 おじいさんだよね。(失礼な)
えー、音は、ぴろぴろ、さわさわ、ひりひり、系の、あんましやかましくない弦楽でした。
がつん、と来るような音とか波、はこない。(だから彼寝ちゃったのね)
ふたりとも弦楽器としてのヴァイオリンとかエレクトリックギターの楽器としての可能性を極める、というよりも、それらの音がどんなふうに我々の耳を直撃するか、そして我々の感覚や認識を更新するか、という方向からライブ演奏にアプローチしてきた人たちであった、と思っている。
Fred Frithさんの場合、弦の震えがじかに鼓膜をなでたりさすったりするさまを、その生々しいかんじを弓とか豆とか小道具を使いつつ模索し、Laurie Andersonさんの場合、いまのテクノロジーランドスケープのなかで愛撫のようなかたちで現れてくるような音のありようを、エレクロニクスなんかも使いつつ探ってきていて、で、このふたりの競演、というのは耳元とか頭のまわり30cmのところをいろんな音がちゅんちゅん飛びまくっていてうるさいけどなんか心地よくて、たまにえらく壮大でかっこよくなったりする。 そんなかんじ。
即興に近い演奏かと思っていたのだが、ふたりの他に交互にReadingをする男女がいて("Stingy"にかんするstatement, みたいの。 出典不明)、これらのタイミングはきっちりと計られていたようだったので、事前に打合せとか練習はしていたもよう。
Readingは男女共、静かに、抑揚なく、進んでいって、これも音の微細なうねりと見事に調和しているのだった。
こんな具合で、55分くらい、ノンストップ。 アンコールはなしで、気持ちよくおわった。
あと、Fred Frithさんのやさしい木こりみたいな笑顔と、Laurie Andersonさんの子供みたいな笑顔(ほんとにいくつになってもこのひとは)を見ているとそれだけで、なのだった。
ここまでほあほわとあったかくなるライブ、というのも珍しいとおもった。音だけ聴くとまたぜんぜん違う印象でありえないのだが。
で、場内の空気もきんきんにはりつめてて、写真を撮れるかんじではぜんぜんなかったの。
終ってから、しばしのお別れをゆいに、Porsenaにいった。
ほんとうにここのLasagnaは、ありえない、しんじらんない。
さっき戻ってきたら、LateShowでBright Eyesをやってた。
おもってたほど悪くなかった。
さらに、Jimmy Fallonの音楽ゲストは、Laurie Andersonさんだった。
新譜のジャケットとおなじ男装化粧で(男声)ヴォイス加工と管と鍵盤のトリオ。
ほんとにこのひとは…
ぱっきんぐはー … 朝でいいや…
2.24.2011
[music] Hal Willner and Philip Glass perform for Allen Ginsberg
ほんとうは火曜日に発つ予定だったの。 金曜日にのびた。 ちょっとだけね。 ちっ。
前に書いたかもしれんが、2月のThe Stoneのカレンダーは、"curated by Laurie Anderson and Lou Reed"であって、メンツがすごい。
このふたりによるValentine's Day duoがあったし(2/15だけど)、日曜日毎に午後ずっといろんなひとを招いてレクチャーとかしてる。 あと教授とかもやる。
ここが面倒なのは、前売りとかないので、当日小屋の外に並ぶしかないことなのね。2月の寒い晩に。
しかも並んだところで、もともとちっちゃいとこなので、招待客とかが多い場合はすぐアウトだし。
でも、こういう地道な苦労をして音楽を聴く、というのもわるくないのよ、子供たち。
そんななかのいち企画。 2/22の10:00pmから。 8:30くらいから並んで、それでも結構あぶなかった。 お代は特別料金で$20。
Hal Willnerは生前のGinsbergとレコードつくっていたし、Philip Glassもそう、このふたりによるDuo。
いちど生Hal Willnerは見ておきたかったし、Philip Glassもソロピアノ、というのは珍しいので聴いておきたい。 Poetry Readingだけど、という点については、こないだの映画"Howl"でも、Patti Smithのリーディングでもはっきりしているように、Allen Ginsbergの詩は読んでいるだけで音楽になってしまうものなの。
会場(ていうか室内)にはLou Reedさんがすごくよい御機嫌で立っていたので、ぼくはきのう、約40年前のきみを見たよ、すごく機嫌わるそうだったよ、て言ってあげたくなった。
10:10くらいにHal Willnerさんが出てきたので、みんなでわー、て言ったらピアノの裏にあるお手洗いに行っただけで、手を振りながらそのまま地下の楽屋に戻っていった。 へんなの。
そのあとすぐにふたりで出てきて、最初にやったのが1960年の"The Magic Song"から。
いちおう、どういう詩なのか簡単な説明をしてくれるのだが、あんまよくわからず。
でも、ピアノと声はびっくりするくらいあってて、おもしろい。
特に合わせている素振りなんかこれぽっちもないのに、なんともいえない破綻した調性、みたいなただものではない凄みをきかせるDuo。
ふたつめのが、これは有名だし、Webに本人が朗読する動画もある"C'mon Pigs of Western Civilization Eat More Grease"。 ほんとに音楽だし、たのしいし。
Philip Glassのピアノはでっかい音でひたすら力強く、たまにミニマル寄りのフレーズも入るが、それでもダイナミックにがーんと鳴る。 このひとはなぜかいっつも57thの地下鉄のホームにいるとこを見かけるのだが、こんなピアノを叩くひとだったのね。
一番音楽的で美しく鳴ったのが、もともとレコードにもなっているらしい"Wichita Vortex Sutra"。 カンサスのだだっぴろいランドスケープがふわっと目の前にくるかんじ。
Halが話したAllenとのエピソードでおもしろかったのは、Brooklynからふたりでtaxiに乗ってマンハッタンに帰ったとき、車内でサルマン・ラシュディの話題になって、運転手が「殺されてもしょうがない」みたいなことを言ったら、Allenが猛り狂って運転手の後ろのガラスをばんばんぶったたいて荒れて、橋のまんなかで降ろされちゃった、ていうやつ。 熱いひとでもあったのね。
ラストはやっぱし"Holy"で、しかしこの"Holy"はすごかった。 映画でJames Francoがやったのよか、ぐいぐい迫ってきた。 なんでかしら。 やっぱし年季?
終わった瞬間、「ブラボ~!!」てひとり絶叫したのがLou Reedさんだった。 はいはい。
で、楽屋に引っ込まないアンコールで"I am the King of May"をやっておわり。
Lou Reedさんが、こんどはひとり立ち上がって熱烈に拍手しているので、みんな立ちあがらないわけにはいかなくなって、なんとなく立って拍手した。
いや、でもほんとにすごくよかったのよ。
前に書いたかもしれんが、2月のThe Stoneのカレンダーは、"curated by Laurie Anderson and Lou Reed"であって、メンツがすごい。
このふたりによるValentine's Day duoがあったし(2/15だけど)、日曜日毎に午後ずっといろんなひとを招いてレクチャーとかしてる。 あと教授とかもやる。
ここが面倒なのは、前売りとかないので、当日小屋の外に並ぶしかないことなのね。2月の寒い晩に。
しかも並んだところで、もともとちっちゃいとこなので、招待客とかが多い場合はすぐアウトだし。
でも、こういう地道な苦労をして音楽を聴く、というのもわるくないのよ、子供たち。
そんななかのいち企画。 2/22の10:00pmから。 8:30くらいから並んで、それでも結構あぶなかった。 お代は特別料金で$20。
Hal Willnerは生前のGinsbergとレコードつくっていたし、Philip Glassもそう、このふたりによるDuo。
いちど生Hal Willnerは見ておきたかったし、Philip Glassもソロピアノ、というのは珍しいので聴いておきたい。 Poetry Readingだけど、という点については、こないだの映画"Howl"でも、Patti Smithのリーディングでもはっきりしているように、Allen Ginsbergの詩は読んでいるだけで音楽になってしまうものなの。
会場(ていうか室内)にはLou Reedさんがすごくよい御機嫌で立っていたので、ぼくはきのう、約40年前のきみを見たよ、すごく機嫌わるそうだったよ、て言ってあげたくなった。
10:10くらいにHal Willnerさんが出てきたので、みんなでわー、て言ったらピアノの裏にあるお手洗いに行っただけで、手を振りながらそのまま地下の楽屋に戻っていった。 へんなの。
そのあとすぐにふたりで出てきて、最初にやったのが1960年の"The Magic Song"から。
いちおう、どういう詩なのか簡単な説明をしてくれるのだが、あんまよくわからず。
でも、ピアノと声はびっくりするくらいあってて、おもしろい。
特に合わせている素振りなんかこれぽっちもないのに、なんともいえない破綻した調性、みたいなただものではない凄みをきかせるDuo。
ふたつめのが、これは有名だし、Webに本人が朗読する動画もある"C'mon Pigs of Western Civilization Eat More Grease"。 ほんとに音楽だし、たのしいし。
Philip Glassのピアノはでっかい音でひたすら力強く、たまにミニマル寄りのフレーズも入るが、それでもダイナミックにがーんと鳴る。 このひとはなぜかいっつも57thの地下鉄のホームにいるとこを見かけるのだが、こんなピアノを叩くひとだったのね。
一番音楽的で美しく鳴ったのが、もともとレコードにもなっているらしい"Wichita Vortex Sutra"。 カンサスのだだっぴろいランドスケープがふわっと目の前にくるかんじ。
Halが話したAllenとのエピソードでおもしろかったのは、Brooklynからふたりでtaxiに乗ってマンハッタンに帰ったとき、車内でサルマン・ラシュディの話題になって、運転手が「殺されてもしょうがない」みたいなことを言ったら、Allenが猛り狂って運転手の後ろのガラスをばんばんぶったたいて荒れて、橋のまんなかで降ろされちゃった、ていうやつ。 熱いひとでもあったのね。
ラストはやっぱし"Holy"で、しかしこの"Holy"はすごかった。 映画でJames Francoがやったのよか、ぐいぐい迫ってきた。 なんでかしら。 やっぱし年季?
終わった瞬間、「ブラボ~!!」てひとり絶叫したのがLou Reedさんだった。 はいはい。
で、楽屋に引っ込まないアンコールで"I am the King of May"をやっておわり。
Lou Reedさんが、こんどはひとり立ち上がって熱烈に拍手しているので、みんな立ちあがらないわけにはいかなくなって、なんとなく立って拍手した。
いや、でもほんとにすごくよかったのよ。
[film] The Velvet Underground and Nico (1966)
"The Panic in Needle Park"の後で、地下鉄で上にのぼってLincoln CenterのFilm Comment Selectsから。 Andy Warholがバンドを撮った2本。
べつにどっかでDVDでも出ているだろうし、見なきゃいけないってもんでもないのだろうが、ここで見ておかないとたぶんずっと、一生見ないことになりそうな気がしたし、あそこだと音もでっかいし、行っておこう、と。
最初が”The Velvet Underground in Boston” (1967)ていう33分の中編。
ライブフィルムだとおもうでしょ。 たしかにライブ会場でカメラをまわしているのでライブフィルムにはちがいないのだけど、でも音楽はほとんど聞こえてこない。 どこか遠くでがんがん鳴っているのは聞こえる。 なんの曲かはあんましわからない。
最初は上映機材が壊れたのかしら、と思っていたのだが、そうでないことがわかってくる。
バンドはほとんど映っていなくて、ライティングを操作しているとことか、ぼーっと立っているだけの人とか、気がふれたみたいに踊っているひととか、そんなのばっかり。
半分くらいのひとは、またアンディがやってるよ、てかんじで寝てたかも。
でも、これだってライブフィルムなのだよ。
3Dのジャスティン・ビーバーのとおんなしカテゴリーのね。
で、次の "The Velvet Underground and Nico"がメイン。
最初のNicoのショットだけでわーい、になる。
これも相当変、ではあった。
モノクロでバンドが演奏しているとこを撮っただけ、なのだが、カメラはびゅんびゅん揺れたり振れたり寄ったり離れたり、音もミキサーとか勝手にいじるんじゃねえよこの白あたま、というわけでところどころで伸びたり縮んだりしている。 適当にあそんでみました、みたいな。
バンドのコンセプトをつくったのは白あたまだし、自分のお金で撮ってるんだからなにが悪いの?なんだろうが、たまにこのやろうはー、というかんじにはなる。 しかし、バンドはそんなのとは無縁に引き締まった轟音を延々鳴らしているだけ。 クール。
曲は、"Sister Ray"みたいなガレージサイケを1曲だけ、ヴォーカルなしで延々、がんがん演奏していくだけなのだが、"Sister Ray”がそうであるように、ひたすら気持ちよくずるずる引き摺られていくかんじがたまらない。
あと1時間でも2時間でも聞いていられる。
特にJohn Caleのヴィオラがベースに変わったあたりから、すんばらしくうねる音になる。
メンバーもかっこいいよね。 Nicoは勿論、Lou Reedも、Sterling Morrisonも、John Caleも、Maureen Tuckerですらも。 まんなかでずっとはしゃいでるガキはNicoとAlain Delonの子供らしいが、いいよな、あんな連中に遊んでもらえて。
半分を過ぎたくらいで、だれかから通報があったのかポリスが(バンドじゃないよ、もちろん)きて、圧力をかけるのだが、なにゆってんだか、てかんじでほぼ無視して演奏を続けるLou Reedもえらい。
最終的にはもっと沢山のポリスがきて本格的に撤収、となって、そこから暫くのあいだも放置されたカメラはまわり続けるのだが、みんな適度にばらけていて、バンドていうかんじがしなくて、そこもいいなあ、て。
終わってから待合室でDJパーティがあって、みんな寄って楽しんでいってね、だったのだが水だと思って飲んだのが白ワインで、目がまわってしまったので退散した。
Film Commentの特集の目玉と書いた"Straight to Hell Returns"であるが、Walter Readeの翌日、92Y Tribecaでも上映することがわかった。しかもこっちはAlex CoxとJim Jarmuschの対談つき。 どっちにしても行けないけど... ちぇ。
べつにどっかでDVDでも出ているだろうし、見なきゃいけないってもんでもないのだろうが、ここで見ておかないとたぶんずっと、一生見ないことになりそうな気がしたし、あそこだと音もでっかいし、行っておこう、と。
最初が”The Velvet Underground in Boston” (1967)ていう33分の中編。
ライブフィルムだとおもうでしょ。 たしかにライブ会場でカメラをまわしているのでライブフィルムにはちがいないのだけど、でも音楽はほとんど聞こえてこない。 どこか遠くでがんがん鳴っているのは聞こえる。 なんの曲かはあんましわからない。
最初は上映機材が壊れたのかしら、と思っていたのだが、そうでないことがわかってくる。
バンドはほとんど映っていなくて、ライティングを操作しているとことか、ぼーっと立っているだけの人とか、気がふれたみたいに踊っているひととか、そんなのばっかり。
半分くらいのひとは、またアンディがやってるよ、てかんじで寝てたかも。
でも、これだってライブフィルムなのだよ。
3Dのジャスティン・ビーバーのとおんなしカテゴリーのね。
で、次の "The Velvet Underground and Nico"がメイン。
最初のNicoのショットだけでわーい、になる。
これも相当変、ではあった。
モノクロでバンドが演奏しているとこを撮っただけ、なのだが、カメラはびゅんびゅん揺れたり振れたり寄ったり離れたり、音もミキサーとか勝手にいじるんじゃねえよこの白あたま、というわけでところどころで伸びたり縮んだりしている。 適当にあそんでみました、みたいな。
バンドのコンセプトをつくったのは白あたまだし、自分のお金で撮ってるんだからなにが悪いの?なんだろうが、たまにこのやろうはー、というかんじにはなる。 しかし、バンドはそんなのとは無縁に引き締まった轟音を延々鳴らしているだけ。 クール。
曲は、"Sister Ray"みたいなガレージサイケを1曲だけ、ヴォーカルなしで延々、がんがん演奏していくだけなのだが、"Sister Ray”がそうであるように、ひたすら気持ちよくずるずる引き摺られていくかんじがたまらない。
あと1時間でも2時間でも聞いていられる。
特にJohn Caleのヴィオラがベースに変わったあたりから、すんばらしくうねる音になる。
メンバーもかっこいいよね。 Nicoは勿論、Lou Reedも、Sterling Morrisonも、John Caleも、Maureen Tuckerですらも。 まんなかでずっとはしゃいでるガキはNicoとAlain Delonの子供らしいが、いいよな、あんな連中に遊んでもらえて。
半分を過ぎたくらいで、だれかから通報があったのかポリスが(バンドじゃないよ、もちろん)きて、圧力をかけるのだが、なにゆってんだか、てかんじでほぼ無視して演奏を続けるLou Reedもえらい。
最終的にはもっと沢山のポリスがきて本格的に撤収、となって、そこから暫くのあいだも放置されたカメラはまわり続けるのだが、みんな適度にばらけていて、バンドていうかんじがしなくて、そこもいいなあ、て。
終わってから待合室でDJパーティがあって、みんな寄って楽しんでいってね、だったのだが水だと思って飲んだのが白ワインで、目がまわってしまったので退散した。
Film Commentの特集の目玉と書いた"Straight to Hell Returns"であるが、Walter Readeの翌日、92Y Tribecaでも上映することがわかった。しかもこっちはAlex CoxとJim Jarmuschの対談つき。 どっちにしても行けないけど... ちぇ。
[film] The Panic in Needle Park (1971)
月曜日はだいとーりょの誕生日で会社はおやすみ。で、朝は雪でまっしろだった。
木の上に積もった雪玉が道路に落ちると石灰みたいに白い線を描いてきれい。
前の日、寒かったわけだー。
お昼にPrime Meatsにしばしのお別れをしに行って、Mast BrothersのチョコとStumptown Coffeeがまぜまぜされたチョコレートタルトをたべた。
きょういてき、だった。
で、夕方にFilm Forumでこれをみました。
先週から"Pacino's 70s"ていう一週間特集がかかっていて、Pacinoの70年代の主演作とかをやっている。週末は当然のようにThe God Father Marathonなんかもやっていたのだが、そんな体力ゼロだし。
もう何回やってるんだかしらんが、まぁた再上映される”Taxi Driver”の予告がかかる。
"You talkin' to me?"のところは、もうほんとギャグにしかならないのよね。
そういえばスコセッシの新作はドキュメンタリーなの。 見たい。
http://www.filmforum.org/films/publictrailer.html
"The Panin in Needle Park"、邦題は『哀しみの街かど』だって。 うーむ。
Needle Parkていうのは、70年代当時、売人とかジャンキーがたむろしていた72nd stとBroadwayの辺りのことを言うのだと。 はじめて知った。
いまはTrader Joe'sなんかがあってふつうに食料品調達エリア、だよね。
そこで出会ったBobby(Al Pacino)とHelen(Kitty Winn)の薬に溺れてずるずるべったりの日々を描く。 それだけの映画なの。
お互いすごく愛しあっているようにも見えず、ヤクとおなじようにお互いがお互いから抜けられないまま、薬ほしいお金ほしい堅気になりたい健康になりたいでもぜんぶだめでずるずるずる・・・
そのずるずる感が暗めの映像、主人公ふたりの暗い目と同調してよいかんじ、とは言わないがはっきりと70年代初のNYの空気を呼びこんでくる。 やりたくてやっているわけじゃない、でも抜けられないんだようどうしたらいいんだよう、みたいなのを、声高にぎゃあぎゃあ騒ぐのではなく、静かに控えめにむこうから投げてくるかんじ。
それはたぶん、当時のNYの町ぜんたいがそんなふうだったのかも、というふうに見えなくもない。
それはたぶん、NYだけじゃなくて東京でもLondonでもそうだったのかもしれない、光の量を絞って、人物をほぼふたりに絞りこむことで、そんなふうな拡がりがでてきたのかもしれない、とか。
音楽は一切ない。 あの町の騒音、いまもずっと続いているノイズがわんわん鳴っているだけ。
なんかね、時間も場所も全く別の物語ではあるのだが、例えばここに"The Social Network"が描いてみせようとした人の集まりの原型、みたいのを見ることもできるように思ったの。
薬のために走りまわって喧嘩してばかりの人たちとか、ネットのために走りまわって喧嘩してばかりの人たちとか。 その奔走する様を通して、その世界の底にあるもの、底で動いているものを抽出しようとした、みたいな。
しかし、アルパチの演技(ぶちきれ)はこの時点で既にできあがっていたのだなあ。
でも、この映画の彼はなんか小さくて汚れてて、犬みたいでよかった。
あと、注射がだめなひとにはきついのでは、とおもった。
HIV前の時代にはあんなことを平気でやっていたのねえ、って。
ラストの、ふたりが歩いていくところはいいよねえ。
ほんと、二匹の犬みたいなんだけど。
木の上に積もった雪玉が道路に落ちると石灰みたいに白い線を描いてきれい。
前の日、寒かったわけだー。
お昼にPrime Meatsにしばしのお別れをしに行って、Mast BrothersのチョコとStumptown Coffeeがまぜまぜされたチョコレートタルトをたべた。
きょういてき、だった。
で、夕方にFilm Forumでこれをみました。
先週から"Pacino's 70s"ていう一週間特集がかかっていて、Pacinoの70年代の主演作とかをやっている。週末は当然のようにThe God Father Marathonなんかもやっていたのだが、そんな体力ゼロだし。
もう何回やってるんだかしらんが、まぁた再上映される”Taxi Driver”の予告がかかる。
"You talkin' to me?"のところは、もうほんとギャグにしかならないのよね。
そういえばスコセッシの新作はドキュメンタリーなの。 見たい。
http://www.filmforum.org/films/publictrailer.html
"The Panin in Needle Park"、邦題は『哀しみの街かど』だって。 うーむ。
Needle Parkていうのは、70年代当時、売人とかジャンキーがたむろしていた72nd stとBroadwayの辺りのことを言うのだと。 はじめて知った。
いまはTrader Joe'sなんかがあってふつうに食料品調達エリア、だよね。
そこで出会ったBobby(Al Pacino)とHelen(Kitty Winn)の薬に溺れてずるずるべったりの日々を描く。 それだけの映画なの。
お互いすごく愛しあっているようにも見えず、ヤクとおなじようにお互いがお互いから抜けられないまま、薬ほしいお金ほしい堅気になりたい健康になりたいでもぜんぶだめでずるずるずる・・・
そのずるずる感が暗めの映像、主人公ふたりの暗い目と同調してよいかんじ、とは言わないがはっきりと70年代初のNYの空気を呼びこんでくる。 やりたくてやっているわけじゃない、でも抜けられないんだようどうしたらいいんだよう、みたいなのを、声高にぎゃあぎゃあ騒ぐのではなく、静かに控えめにむこうから投げてくるかんじ。
それはたぶん、当時のNYの町ぜんたいがそんなふうだったのかも、というふうに見えなくもない。
それはたぶん、NYだけじゃなくて東京でもLondonでもそうだったのかもしれない、光の量を絞って、人物をほぼふたりに絞りこむことで、そんなふうな拡がりがでてきたのかもしれない、とか。
音楽は一切ない。 あの町の騒音、いまもずっと続いているノイズがわんわん鳴っているだけ。
なんかね、時間も場所も全く別の物語ではあるのだが、例えばここに"The Social Network"が描いてみせようとした人の集まりの原型、みたいのを見ることもできるように思ったの。
薬のために走りまわって喧嘩してばかりの人たちとか、ネットのために走りまわって喧嘩してばかりの人たちとか。 その奔走する様を通して、その世界の底にあるもの、底で動いているものを抽出しようとした、みたいな。
しかし、アルパチの演技(ぶちきれ)はこの時点で既にできあがっていたのだなあ。
でも、この映画の彼はなんか小さくて汚れてて、犬みたいでよかった。
あと、注射がだめなひとにはきついのでは、とおもった。
HIV前の時代にはあんなことを平気でやっていたのねえ、って。
ラストの、ふたりが歩いていくところはいいよねえ。
ほんと、二匹の犬みたいなんだけど。
2.23.2011
[film] Cave of Forgotten Dreams (2010)
美術館のあと、Lincoln CenterのFilm Comment Selectsの特集から1本みました。
Werner Herzogの"Cave of Forgotten Dreams"。
Herzogが3Dでドキュメンタリーを、ということで、ふうん、とか、ぼーっ、とかしているうちにチケットは売り切れてしまい、しかたなくStand-byの列にならんだ。
しかし外は風がものすごく冷たくて、待っている約1時間強で、凍死するかとおもった。(しんでろ)
とりあえず中には入れたものの、がちがちでコートも脱げないありさまだった。 そういう状態で見た、と。
南フランスの山奥で94年に見つかったショーベ洞窟(Chauvet caves)、そこにある3万5千年くらい前に描かれたといわれる壁画の謎に迫る、と。
現在フランス政府の厳重な管理下にあるこの穴倉の撮影に、なんでHerzogが、よりによってHerzogが、選ばれたのかよくわからんが、撮影スタッフはHerzogを入れて4名のみ、1回の撮影で許された時間は1時間のみ、しかも踏み板があるルート内しか動いてはいけない。 そういう条件下でばりばりドキュメンタリーを撮れそうなチーム、というと確かにそんなにはいないかも。 キャメロン? じょうだんじゃねえ、とか。
冒頭の、畑道を超低位置からなめるように上がっていくところから、おお3Dだわ、と単純に盛りあがれる。
或いはラストのラジコンヘリ(?)で上空から撮ってみたやつとか、やってみたかったんだろうなー、とか。
このシンプルさがなかなかよくて、洞窟のなかの、鍾乳石だらけででこぼこのルートを3Dだからこんなふう、こんなもん、とざくざく切りこんでいく。 3Dの可能性とか視覚がどうの、とかぐじゃぐじゃ言うのではなく、3Dてのはでっぱったとこがでっぱって見えて、へこんだとこがへっこんで見えるんだろ、みたいなどまんなかアプローチがよい。
そういうふうにして壁画をなめるようにしてみると、なんかすごいわけ。
よくこんなもんをこんなとこに、と素直にびっくりするし、何人ものひとが感嘆しているように、描かれている絵そのものがアートとしてすんごく力強いのね。
牛とか馬とかサイとか。 しかも何重もの線の遷移でムーブメントまで表現している。
描いているのはひとりのひと(たぶん...)で、身長が180cmくらいあって、小指の先が曲がってて、みたいなことがわかっているのだが、ほんとにあんた誰よ?
捏造疑惑がだいすきな日本人として、ドラえもんに慣れ親しんできた日本人としては、こんなすごいわけないよね、とか思ったりするのだが、時間の問題は置いとくとしても、絵としては、単純にすげえ、と思った。
女性のシンボルを描いた絵にピカソのミノタウロを対比させるのはえぇー?、だったけど。
3Dの力は、とにかくこんなディテールをとりあえず黙って見とけ、て見せてしまうとこにもあるのね。
考古学をこつこつやっているひとは尊敬するけど、じじいとかが太古の夢に思いを馳せる、とかいうのは勘弁しておくれよってずうっと思ってて、この映像の堂々とした明快さはそんな蘊蓄じじいのパイプのもくもくに小便をひっかけるようなもんなのかも。
もしこれがほんとにほんとに3万年以上前のやつらだとしたら、わけわかんないし、想像のしようがない、というかどう想像していいのか、すらわからん。
ここに遺されてて目に見えるかたちとしてあるものが全てで、そこからわかることしかわかりようがないよね、って。 それでも夢だのロマンだの言えるんだとしたら、そいつらは相当おめでたい。 映画のなかにそういう連中もでてくるけど。
そういうわけで、タイトルのは、Forgotten Dreamsであると同時にDeams to be Forgottenでもあるのかも、とかおもった。
更に、いちばん最後のPostscriptが痛烈だった。 ふん、てかんじ。
あと、ここからくだんないおはなし、しぬほどいっぱい作れるよね。
壁画が実はうごく。
壁画が実はいきものだった。
壁画にキリストの顔が。
壁画が高松塚に。
中にまだひとがいた。
中に猫がいた。
中に巨大アリが。
中にゾンビがいた。
中に宇宙人がいた。
中に病原体が。
中に座敷わらしが。
中に別宇宙への扉が。
中に入ると若返る。
中に入ると妊娠する。
中に入ると性転換。
中に入ると吸血鬼に。
まるごと方舟だった。
まるごと怪獣だった。
まること発泡スチロールだった。
まるごと半導体だった。
まるごと食べ物だった。
....
Werner Herzogの"Cave of Forgotten Dreams"。
Herzogが3Dでドキュメンタリーを、ということで、ふうん、とか、ぼーっ、とかしているうちにチケットは売り切れてしまい、しかたなくStand-byの列にならんだ。
しかし外は風がものすごく冷たくて、待っている約1時間強で、凍死するかとおもった。(しんでろ)
とりあえず中には入れたものの、がちがちでコートも脱げないありさまだった。 そういう状態で見た、と。
南フランスの山奥で94年に見つかったショーベ洞窟(Chauvet caves)、そこにある3万5千年くらい前に描かれたといわれる壁画の謎に迫る、と。
現在フランス政府の厳重な管理下にあるこの穴倉の撮影に、なんでHerzogが、よりによってHerzogが、選ばれたのかよくわからんが、撮影スタッフはHerzogを入れて4名のみ、1回の撮影で許された時間は1時間のみ、しかも踏み板があるルート内しか動いてはいけない。 そういう条件下でばりばりドキュメンタリーを撮れそうなチーム、というと確かにそんなにはいないかも。 キャメロン? じょうだんじゃねえ、とか。
冒頭の、畑道を超低位置からなめるように上がっていくところから、おお3Dだわ、と単純に盛りあがれる。
或いはラストのラジコンヘリ(?)で上空から撮ってみたやつとか、やってみたかったんだろうなー、とか。
このシンプルさがなかなかよくて、洞窟のなかの、鍾乳石だらけででこぼこのルートを3Dだからこんなふう、こんなもん、とざくざく切りこんでいく。 3Dの可能性とか視覚がどうの、とかぐじゃぐじゃ言うのではなく、3Dてのはでっぱったとこがでっぱって見えて、へこんだとこがへっこんで見えるんだろ、みたいなどまんなかアプローチがよい。
そういうふうにして壁画をなめるようにしてみると、なんかすごいわけ。
よくこんなもんをこんなとこに、と素直にびっくりするし、何人ものひとが感嘆しているように、描かれている絵そのものがアートとしてすんごく力強いのね。
牛とか馬とかサイとか。 しかも何重もの線の遷移でムーブメントまで表現している。
描いているのはひとりのひと(たぶん...)で、身長が180cmくらいあって、小指の先が曲がってて、みたいなことがわかっているのだが、ほんとにあんた誰よ?
捏造疑惑がだいすきな日本人として、ドラえもんに慣れ親しんできた日本人としては、こんなすごいわけないよね、とか思ったりするのだが、時間の問題は置いとくとしても、絵としては、単純にすげえ、と思った。
女性のシンボルを描いた絵にピカソのミノタウロを対比させるのはえぇー?、だったけど。
3Dの力は、とにかくこんなディテールをとりあえず黙って見とけ、て見せてしまうとこにもあるのね。
考古学をこつこつやっているひとは尊敬するけど、じじいとかが太古の夢に思いを馳せる、とかいうのは勘弁しておくれよってずうっと思ってて、この映像の堂々とした明快さはそんな蘊蓄じじいのパイプのもくもくに小便をひっかけるようなもんなのかも。
もしこれがほんとにほんとに3万年以上前のやつらだとしたら、わけわかんないし、想像のしようがない、というかどう想像していいのか、すらわからん。
ここに遺されてて目に見えるかたちとしてあるものが全てで、そこからわかることしかわかりようがないよね、って。 それでも夢だのロマンだの言えるんだとしたら、そいつらは相当おめでたい。 映画のなかにそういう連中もでてくるけど。
そういうわけで、タイトルのは、Forgotten Dreamsであると同時にDeams to be Forgottenでもあるのかも、とかおもった。
更に、いちばん最後のPostscriptが痛烈だった。 ふん、てかんじ。
あと、ここからくだんないおはなし、しぬほどいっぱい作れるよね。
壁画が実はうごく。
壁画が実はいきものだった。
壁画にキリストの顔が。
壁画が高松塚に。
中にまだひとがいた。
中に猫がいた。
中に巨大アリが。
中にゾンビがいた。
中に宇宙人がいた。
中に病原体が。
中に座敷わらしが。
中に別宇宙への扉が。
中に入ると若返る。
中に入ると妊娠する。
中に入ると性転換。
中に入ると吸血鬼に。
まるごと方舟だった。
まるごと怪獣だった。
まること発泡スチロールだった。
まるごと半導体だった。
まるごと食べ物だった。
....
[art] George Condo: Mental States
日曜日は、寒くて風邪ひいてしまったので、美術館ふたつ、映画ひとつだけ。
連休が終ったら帰らなくてはならないのだが、美術館は月曜休みだからさー。
最初がBoweryのNew Museumで"George Condo: Mental States" 。
http://www.newmuseum.org/exhibitions/431/
George Condo (和名:近藤譲二 - うそよ)は米国の画家/彫刻家で、こないだのカニエのCDジャケットでいきなりメジャーになってしまったひとね。
New Museumとしては、オープニング時以来の動員数になっているのだそうな。
3階と4階のスペースぜんぶつかって、彼の肖像画、大作とか黄金彫刻も含めてがーっと紹介する。
例えばYBAsの連中に見られるような計算高い、ねっとりしたとこはあんましなくて、よくもわるくも無邪気でおおらかでアメリカ。でもそれゆえの底意地の悪さ、みたいなのもあるんだろうなー、くらいのかんじはする。
絵を見て思うのは例えば漫画のわかりやすさ。誇張された顔のパーツや表情の歪み具合にF.ベーコンからの影響を云々することもできるのだろうが、あそこまでパラノイアックなかんじはなくて、思い浮かべたのは湯村輝彦とか谷岡ヤスジとかのほうだった。 彼らの絵に認められる、直情的に叩きつけられた力強い線や膨張したフォルムとおなじ何かが、はっきりとGeorge Condoのカンバスにも音楽的な、リズミカルな線としてうねりをもたらしていると思った。 こうして絵のなかの顔だの首だのは現実にはありえない姿かたちなのにはっきりと生きて、ソウルフルに動きだす。 カニエが反応したのも彼の絵のもつこんなような要素だったのではないか。
もういっこやってたのが、Lynda Benglis。
でろでろのエロともにょもにょオブジェと。 こちらはざーっと流した程度。
ここから久々のMetropolitan Museumにむかう。
見たかったのはセザンヌの"Card Players" 3点盛り特集。
セザンヌの「カード遊びをする男たち」にはいろんなバリエーションがあるのだが、世界中からそのうち3点と、関連する絵画も集めてみたらどうなるのか。
企画はMetropolitan MuseumとロンドンのCourtauld Galleryの共同。
最初に雑誌でこの展示を知ったときは、うむむーなんてマニアックな、というかんじだったが、思っていたよかおもしろかった。
集まった3点は、Metropolitan所蔵の(3人版)とMusee d'Orsay所蔵の(2人版)とCourtauld Gallery所蔵(2人版)のと。 Metのがいちばん古くてCourtauldのがいちばん新しい。
集まれなかったのは、個人蔵のとThe Barnes Foundationの2点。こいつらは写真のみの展示。
もちろん、いろんな角度からの分析が可能なのだが、初期のほうがプレイヤーの顔とかひとりひとりの姿が色彩の鮮やかさも含めてくっきりと出ているのに対して、時間が経つにつれて焦点が各プレイヤーからカード遊びをしている部屋の情景、空間そのもの、のようなところに移行してきているのがわかる。色彩はより地味に、ひとりひとりのフォルムは空間内のパーツとして固くあるだけ、になっていく。 彼の晩年の「林檎」が石ころのように冷たく、しかしはっきりとそこにあったのと同じように、ある空間のなかの存在をその空間ごと切り出して、しかもそこに在ることを見せる、そういうアプローチが、しっかりと。
これまでの中~後期セザンヌの作風の変遷をきちんと裏付けるだけで、別の新たな発見とかそういうもんではないのだが、お勉強にはなったかも。
それから、写真コーナーの"Stieglitz, Steichen, Strand"。 近代写真の祖としての3人(ぜんぶ"S"ね)を横並びで。
殆どはここの写真コレクションのパーマネントだし、何回も見ているので言うことないのだが、個人的な好みでいうと、Steichenがやっぱしすごいかも。 StieglitzとStrandはどうしてもスタンダードを作ったひと、みたいなイメージがあるのよね。
もういっこやってた展示で、ええー(Metがこんな展示を)、みたいなかんじだったのが"Guitar Heroes: Legendary Craftsmen from Italy to New York"。
http://blog.metmuseum.org/guitarheroes/
Guitar Heroていってもプレイヤーではなくて、クラフトマンのほうだった。
19世紀にイタリアからNYにギター職人がいっぱい移民してきて、そうやってできたNYのギターブランドとその作品あれこれを紹介する。 D'Angelico とかD'Aquistoとか。 アコースティックもエレクトリックも。
時間によっては実演とかもやっていたみたい。
鳴っているとこ見ないとなんとも、だったのだが、子供も含めて普段こんなとこには来そうにないマニアみたいな人たちがいっぱいいた。
いちおうプレイヤーの写真とかも貼ってあって、ロック系だとPete TownsendとかMark KnopflerとかSteve Millerとか。 JimmyPもJeffBもいないよ。
あと、楽器コーナーのとこに、リンゴスターの黄金のドラムスが!ていう貼り紙があったので行ってみたら、64年のエド・サリバンショーに出た時に彼が使った金色のスネアがいっこ、ころんて置いてあるだけだった。
リンゴはバスドラムのほうがみたかったんだけど。
時間がなかったので大急ぎで走ってまわって、このあとバスで西に向かう。
連休が終ったら帰らなくてはならないのだが、美術館は月曜休みだからさー。
最初がBoweryのNew Museumで"George Condo: Mental States" 。
http://www.newmuseum.org/exhibitions/431/
George Condo (和名:近藤譲二 - うそよ)は米国の画家/彫刻家で、こないだのカニエのCDジャケットでいきなりメジャーになってしまったひとね。
New Museumとしては、オープニング時以来の動員数になっているのだそうな。
3階と4階のスペースぜんぶつかって、彼の肖像画、大作とか黄金彫刻も含めてがーっと紹介する。
例えばYBAsの連中に見られるような計算高い、ねっとりしたとこはあんましなくて、よくもわるくも無邪気でおおらかでアメリカ。でもそれゆえの底意地の悪さ、みたいなのもあるんだろうなー、くらいのかんじはする。
絵を見て思うのは例えば漫画のわかりやすさ。誇張された顔のパーツや表情の歪み具合にF.ベーコンからの影響を云々することもできるのだろうが、あそこまでパラノイアックなかんじはなくて、思い浮かべたのは湯村輝彦とか谷岡ヤスジとかのほうだった。 彼らの絵に認められる、直情的に叩きつけられた力強い線や膨張したフォルムとおなじ何かが、はっきりとGeorge Condoのカンバスにも音楽的な、リズミカルな線としてうねりをもたらしていると思った。 こうして絵のなかの顔だの首だのは現実にはありえない姿かたちなのにはっきりと生きて、ソウルフルに動きだす。 カニエが反応したのも彼の絵のもつこんなような要素だったのではないか。
もういっこやってたのが、Lynda Benglis。
でろでろのエロともにょもにょオブジェと。 こちらはざーっと流した程度。
ここから久々のMetropolitan Museumにむかう。
見たかったのはセザンヌの"Card Players" 3点盛り特集。
セザンヌの「カード遊びをする男たち」にはいろんなバリエーションがあるのだが、世界中からそのうち3点と、関連する絵画も集めてみたらどうなるのか。
企画はMetropolitan MuseumとロンドンのCourtauld Galleryの共同。
最初に雑誌でこの展示を知ったときは、うむむーなんてマニアックな、というかんじだったが、思っていたよかおもしろかった。
集まった3点は、Metropolitan所蔵の(3人版)とMusee d'Orsay所蔵の(2人版)とCourtauld Gallery所蔵(2人版)のと。 Metのがいちばん古くてCourtauldのがいちばん新しい。
集まれなかったのは、個人蔵のとThe Barnes Foundationの2点。こいつらは写真のみの展示。
もちろん、いろんな角度からの分析が可能なのだが、初期のほうがプレイヤーの顔とかひとりひとりの姿が色彩の鮮やかさも含めてくっきりと出ているのに対して、時間が経つにつれて焦点が各プレイヤーからカード遊びをしている部屋の情景、空間そのもの、のようなところに移行してきているのがわかる。色彩はより地味に、ひとりひとりのフォルムは空間内のパーツとして固くあるだけ、になっていく。 彼の晩年の「林檎」が石ころのように冷たく、しかしはっきりとそこにあったのと同じように、ある空間のなかの存在をその空間ごと切り出して、しかもそこに在ることを見せる、そういうアプローチが、しっかりと。
これまでの中~後期セザンヌの作風の変遷をきちんと裏付けるだけで、別の新たな発見とかそういうもんではないのだが、お勉強にはなったかも。
それから、写真コーナーの"Stieglitz, Steichen, Strand"。 近代写真の祖としての3人(ぜんぶ"S"ね)を横並びで。
殆どはここの写真コレクションのパーマネントだし、何回も見ているので言うことないのだが、個人的な好みでいうと、Steichenがやっぱしすごいかも。 StieglitzとStrandはどうしてもスタンダードを作ったひと、みたいなイメージがあるのよね。
もういっこやってた展示で、ええー(Metがこんな展示を)、みたいなかんじだったのが"Guitar Heroes: Legendary Craftsmen from Italy to New York"。
http://blog.metmuseum.org/guitarheroes/
Guitar Heroていってもプレイヤーではなくて、クラフトマンのほうだった。
19世紀にイタリアからNYにギター職人がいっぱい移民してきて、そうやってできたNYのギターブランドとその作品あれこれを紹介する。 D'Angelico とかD'Aquistoとか。 アコースティックもエレクトリックも。
時間によっては実演とかもやっていたみたい。
鳴っているとこ見ないとなんとも、だったのだが、子供も含めて普段こんなとこには来そうにないマニアみたいな人たちがいっぱいいた。
いちおうプレイヤーの写真とかも貼ってあって、ロック系だとPete TownsendとかMark KnopflerとかSteve Millerとか。 JimmyPもJeffBもいないよ。
あと、楽器コーナーのとこに、リンゴスターの黄金のドラムスが!ていう貼り紙があったので行ってみたら、64年のエド・サリバンショーに出た時に彼が使った金色のスネアがいっこ、ころんて置いてあるだけだった。
リンゴはバスドラムのほうがみたかったんだけど。
時間がなかったので大急ぎで走ってまわって、このあとバスで西に向かう。
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