2月11日、金曜日の夕方、109シネマズの二子玉川で見ました。なんとなくIMAXで。
シネマヴェーラで競輪に浸かったあと、NYのWest Sideに飛ぶ。みんな必死で漕いでいた時代。
問答無用のクラシックであるRobert Wise - Jerome Robbins - Leonard Bernstein - Stephen SondheimがWilliam Shakespeareの”Romeo and Juliet”を元にした1957年のブロードウェイ・ミュージカルを61年に映画化したのをSteven Spielbergが約60年ぶりにリメイクしたもの。マトリョーシカ。
今回の脚本は“Angels in America” (1991)の、Spielbergとも何度も組んでいるTony Kushnerで、ダンスパートにはJustin Peckが振り付けに加わっている。
ルネサンス時代のヴェローナから戦後復興期のニューヨークにかけて夢の軌跡を描いたクラシックをなんでいまリメイクする必要があるのか? ブロードウェイの方でも3年前にIvo van HoveとAnne Teresa De Keersmaekerによるリバイバルがあったが、民族や種族の居場所の取りあいを巡る諍いとそれによって引き裂かれる恋とか家族とか、というテーマが世界の至るところで - になってきている今、そこにおける(例えば)「正義」とか「善」ってなんなのか、が問われるようになっている、のかしら?
Lincoln Centerの建設のため、建物が取り壊され地面に穴がぼこぼこ掘られ、近辺の住民に立ち退きが迫られていた時代、地元の白人の若者たちが中心でRiff (Mike Faist)がリーダーのThe Jetsと、プエルトリコ系移民の若者たちが中心でボクサーのBernardo (David Alvarez)がリーダーのThe Sharksはことあるごとに対立していて、とにかくなにごとにもぶつかって犬のように吠えまくって止まないので、一晩だけ実験的に両方を呼んでダンスパーティーをすることにしたら、そこで出会ってしまった敵同士のMaria (Rachel Zegler)とTony (Ansel Elgort)がおちてはいけない恋におちて..
冒頭から両部族がばらばらと寄り集まってきて入り乱れていくダンスシーンのキレとスピードはとんでもなくて、レミングの突撃みたいな怒涛のうねりに巻き込まれてやられるような臨場感で、ここだけでもすごくて近寄れない(ので映画館で見よう)。これらの踊り場とか乱闘の場 – どちらにしても彼ら全員の明日は(あまり)ない - の反対側にValentina (Rita Moreno) がいるDoc’s Drugstore という定点というか磁場があって、ここは歴史の溜まり場でもあって - Rita Morenoは61年版でAnitaを演じていた - ここで更生したTonyは世話になっていて、でもValentinaはプエルトリカンなので、両方の人たちがくる。そういういろんな場所を巡るドラマの、その場所そのものが無くなっちゃうのだとしたら。
ポーランド系移民のTonyは傷害事件を起こしたムショ帰りで、でもThe Jestsのなかでは孤立しているふう、他方でMariaの兄はBernardoで、Anita (Ariana DeBose)とは結婚の手前で、一族ががっちり固まっているふうで、でもというかだからというか、好きになっちゃったんだからどうしようもない、とか言っていると悲劇が。
なのだが、最後の悲劇(ナイフではなく銃による)は穴に落ちた、くらいの軽いかんじに見えるし、ふたりが一瞬で恋に落ちる、瞬間の魔法とか殺法がなんか薄いような。Ansel Elgortの例の件があったのでそう見てしまう、だけではなくて、なんだかTonyの生気がないしダンスもさえない。ムショ帰りの悪(のはず)なので”They Live by Night “(1948)や”Thieves Like Us” (1974)のBowie & Keechieくらいの明日なき暴走を見せてほしかったのにな。
そんなのも飲みこんで、だからこそ人は歌うのだし踊るのだし、だから大丈夫でしょ - と人々の家は取り壊されて後にはでっかい「文化施設」ができて、ここではバレエやオペラが毎日演じられていて、お金持ちが毎日やってきてお金をおとして経済はまわって、という俯瞰図。
NYのWest Side(のここよりは少し上の方)でいろんな国の人たちのうねりがもたらす強烈な磁場、その揺るがない強さを示したのが例えば昨年の“In the Heights” (2021)で、あそこにあった重力を歪めてしまう(壁が90度回転)ほどのカメラの動きは、Janusz Kaminskiなのでさすがになかった。けどレンズフレアが少し多めのテクニカラーでは切り取れないような瞬間をうまくとらえていてすごいと思った。
“In the Heights”は見終わって映画館を出てスキップしたくなった。けどこれは背中を撃たれてうぅ.. ばったり、でおわり。 ダンスして喧嘩して終わり、みたいなB級のでもよかったのに。
ああNew York行きたいよう - 結局はそこに。
2.17.2022
[film] West Side Story (2021)
2.16.2022
[film] 人間に賭けるな (1964)
2月11日、連休の初日にシネマヴェーラの特集『役を生きる 女優・渡辺美佐子』から2本見ました。競輪映画ふたつ。
競輪上人行状記 (1963)
原作は寺内大吉の短編小説『競輪上人随聞記』 - これを大西信行と今村昌平が脚色して、西村昭五郎が監督デビューした。
昔からいろんな人が名作として挙げていて、小沢昭一なのですちゃらかコメディかと思っていたらものすごくどす暗いやつだったのでびっくりした。今村昌平だった。
お寺の次男で、寺を継ぐのが嫌で教職に就いていた春道(小沢昭一)だったが長男の突然の死をうけて呼び戻されてみると、寺の経営はぼろぼろで、犬の葬儀を受けてその肉を焼き鳥屋に横流ししていたり、存命中の父(加藤嘉)からは長男の亡妻(南田洋子)と結婚しろとか言われたり、彼女の子供は実は父の子であることがわかったり、勝手に学校に退職願いを出されていたり酷いことばっかりが積み重なっていって、でもお寺の再建資金をなんとかしなきゃいけない中、たまたまやってみた競輪の最初のが当たったものだからずるずる嵌って抜けられなくなり…
春道が勤めていた学校でも生徒の家出や妊娠とか問題は山積みで、そこから聖なるものを探究する坊主になって偉そうなことを語ってみても身の回りの現実に引き摺られて俗界に堕ちていく重力のありようは変わらず、その抗いようのない格闘をものすごく生々しく執拗に描いていく灰汁の濃さときたら。
春道が競輪に嵌らなかったとしても取り扱う現実はたぶん十分にゴミで泥まみれだし、ヒトとしての春道の中味だってクズで本人もわかっているし、そんなところで何が宗教で修業で救いだよ、っていう苛立ちと絶望がラストの競輪場での講釈 – これもとってもやばい - に収斂されていく。あの詐欺師のような語り口は橋下某そっくりに見えたねえ..
人間に賭けるな (1964)
これも原作は↑と同じ寺内大吉で、監督は前田満洲夫。企画が水の江瀧子。
外資系の会社(ディレクターが外国人女性)に勤めるサラリーマン坂崎(藤村有弘)は競輪でスッてばかりで客先からの入金も使いこんでやばい状態だったが、すれ違った上品そうな女妙子(渡辺美佐子)に次のレースは飯田栄治(川地民夫)に賭けるのよと言われて、その通りにしたら大当たりして借金も返すことができたのでびっくりする。
妙子に興味を持った坂崎は再会しても他人のふりをしようとする彼女の周辺を追っていくと、彼女は収監されている極道松吉(二本柳寛)の妻で、極道の姪の美代子(結城美栄子)は飯田栄治の恋人で、彼に競輪をやめて貰いたくて圧をかけて骨抜きにしている。
やがて飯田栄治がでるレースに賭けることを止められなくなって家庭も捨てた坂崎に美代子に反発する妙子が加わって、ふたりは彼が出走する地方のレースを追って地獄の底まで堕ちていって、そしたらそこに松吉が出所してきて…
最初はクールなふつうの会社~公団住宅~和服極妻で抑え気味に展開していた都会の見えたり消えたりの駆け引きが人間に賭け始めた途端にタガを失って転げ落ちていって.. という見事な巻き込まれ型ノワールで、最後にタバコを吸うように刃を突きたてて突っ立つ渡辺美佐子のかっこよさときたら。
最初は人間に賭けて負けるのはバカらしいからやめな、って言ってたのが人間に賭けない生なんてどんだけつまんないことか、にでんぐり返っていくわかりやすい罠 – 賭け事はほどほどに - その真ん中でぐるぐる回る競輪のサーキット。カメラの構図がどこを切っても素敵(撮影は間宮義雄)。
『競輪上人行状記』が日本土着のコミュニティの泥を穿り返して並べていくようなドラマだったのに対し、この『人間に賭けるな』は高度成長期の真ん中で小綺麗に洗練されたかに見えて、でもその根っこは変わらない、どちらも賭博に宗教的な意味や救済(前者がもろ仏教で、後者はキリスト教っぽい)を求めてやまない/やめられない人間の業を切り取っているようだった。そのどちらの画にもミューズのように自分を縛りつけて佇んでいる渡辺美佐子。
でもそもそも、競輪てそんなにおもしろくて危険なやつなの? 映画館とか古本よりやばいの?
2.15.2022
[film] Babardeală cu bucluc sau porno balamuc (2021)
2月5日、土曜日の晩、BFI Playerで見ました。映画館が開いているのでストリーミングの方にはなかなか行けなくなっていて(帰ってくるとばったり寝てしまう)MUBIもCriterion Channelもちっとも追えていない。よくない。
英語題は”Bad Luck Banging or Loony Porn”、邦題は『アンラッキー・セックスまたはイカれたポルノ』。監督はルーマニアのRadu Judeで、2021年のベルリンで金熊賞を受賞している。
冒頭、あらあら、みたいな品質の明らかにプライベートで撮ったっぽいポルノ動画が流れる - 棒と穴と喘ぎ声でぐでぐで - みたいなやつ(日本公開のとき、ボカシは入るのかしら?)。
全部で3チャプターから構成されていて、最初のは“One-Way Street”。 名門中学校で歴史の先生をしているEmi (Katia Pascariu)がブカレストの町を横切っていく様子が描かれる。Covid-19下で、マスクをしている人もいればいない人もいて、市場で花を買ったり、通りを歩いていてもしょうもない車がいてイラついたり、この途中で、彼女が夫のEugenと電話で会話して、冒頭の動画が彼女たちの性行為を彼が撮ったものであること、それを彼が自分のPCに入れておいたらPCが故障して、修理に出したらそれが勝手にポルノサイトにアップされていて、削除要請をしたら削除されたものの別のサイトに現れて、いたちごっこになりつつあるのでなんとかしてくれ、と。
で、これを見た生徒だか生徒の親だかが学校に連絡してきたのでEmiの教師としての明日がどうなるのか - 確実にやばいことになりつつある、そんなトゲトゲ困惑してあったまにくるありようがCovid-19の日々のイライラに被さって描かれる。
次のチャプターは“A short dictionary of anecdotes, signs, and wonders”で、辞書形式でEmiがいま直面しているしょうもない現実たちが彼女たちを囲むどういった歴史や宗教やモラルや地勢や民俗や文化の諸要素によって成り立ち、もたらされ、繋がったり捻じくられたりして現前してきたものなのか、をアニメとか寸劇とかのコラージュで戯画化して提示する。 ね、ひどいでしょこんなのばっかし、やってらんないわよ、みたいに。
最後のチャプターは“Praxis and innuendos (sitcom)”で、今回のEmiのインシデントを巡って、彼女を解雇すべきかどうかを協議する父兄会が開かれるというげろげろの展開に。 Covid-19で全員が十分な距離を取りながら、そしてその距離がまた別の苛立ちを掻きたてる中、司会の校長は女性で、制服を着た極右のおやじはいるわ鼻の下を伸ばして寄ってくるのはいるわ、モンスターは当然、女性はそれぞれが微妙なかんじで、結局最後は多数決でEmiが留まるか去ってもらうかを決めましょう、ということになって.. Emiからすれば、なんなのよこれ(怒)? しかない。
最後にこの後に起こりうるシナリオ3つが示される。どれもあってもおかしくない(最後のだけは.. )のだが、自分だったらこれをどう裁定して行動したか - 自分がEmiだったら、自分の子がここに通う生徒だったら、自分が校長だったら - などいろいろ考える。ほんとどうでもよいのだけど、忌々しいったらありゃしない。この忌々しさって、なんなのか、どこからくるのか? 映画は執拗に、くどいくらいに突きつけてくる。
自分のイメージが自分の意図しないところで自分の望まないかたちでいつの間にか勝手に晒されていて、それについて第三者が勝手なことを言ったりひどい場合だと殴りかかってきたり、そういうのを平気でする(しても咎められない) - この作品のポルノは極端な例かもしれないけど、これと同様のことって今のネットカルチャーでは割とふつうに起こっていて、でもこれってネットだからというよりも本来は人権に関わることとしてちゃんと考えられなければいけないし、それを支える政治とか公共とか歴史とかがないとどうしようもない.. って、これが今の日本で起こったら、とかちっとも笑えない。そんなの撮るのがわるい - とか平気で言いそうだけど、そういう態度がもんだいなんだよ、ぜんぶ。
あと、映画というよりは演劇に向いているテーマかも、とか少しだけ。
2.14.2022
[film] The 355 (2022)
2月7日、月曜日の晩、Tohoシネマズの日比谷で見ました。前日に見た”Ghostbusters: Afterlife”よりぜんぜんおもしろいじゃん、と思った(ああでも、Ivan Reitman.. RIP)。124分はちょっと長かったけど。
冒頭、コロンビアのボゴタで、悪組織がどんなネットワークもハッキングして中に潜入して破壊工作をすることができる魔法のデバイスをお披露目する - と思ったらそいつは銃撃戦の末にどこかに持ち去られる。
CIAエージェントの"Mace" Browne (Jessica Chastain)とNick (Sebastian Stan)はハネムーンのカップルを装ってパリに飛んでそのデバイスを奪還しようとしてて、昔から知っているふたりは新婚のフリをしよう、ってそのまま寝てしまったりして、そしたら当日の土壇場でドイツの諜報員Marie (Diane Kruger)からの横やりが入り、それを持っていたコロンビアの諜報部員Luis (Édgar Ramírez)は殺され、Luisを引き取りにきた精神科医のGraciela (Penélope Cruz)が残され、現場から姿が消えたNickについては死亡した.. と言われてしまう。
組織同士で張り合っている場合じゃない、とMaceはかつてMI6にいたサイバーセキュリティ専門家のKhadijah (Lupita Nyong'o)を訪ねて、デバイスを追い始めるとそれはやっぱり悪い奴に渡っていて - 試しに飛行機がいくつか落とされる - 上海でオークションにかけられる予定であることがわかる。
ここまでずっと喧嘩していたMaceとMarieと、彼とのデートを引き伸ばしてきたKhadijahと、あたしは戦闘の訓練は受けていないので帰らせてというGraciela(でも帰ったら家族が狙われるかもよ、と言われて留まる)に上海の組織のLin Mi Sheng (Fan Bingbing)が加わって、闇取引と連動したオークション会場での奪還作戦が繰り広げられるの。
てことは、“Ocean's 8” (2018) みたいに華麗に着飾った女性スパイたちが.. と思ったらそんな簡単にはいかなくて、このあとで更にひどいことになったりするのだが、とにかくみんなしぶとくがんばる。
監督はX-Menの一番新しいやつ - ”Dark Phoenix” (2019)で監督デビューしたSimon Kinbergで、その前には”X-Men: Apocalypse” (2016)や”Logan” (2017)の製作とか、”Mr. & Mrs. Smith” (2005)の脚本をやっていた人なので、敵対する組織のメンバー同士がハードにいがみ合いながらもタフな事件を解決するお話しには割と親和性が高い、のかもしれない。
なので、“Charlie's Angels”のようにおちゃらけてはいなくて怒りが充満していて、“Mission: Impossible”みたいに組織化されてはいなくて、James Bondに対しては彼って現実の生活とは無縁だし一人でやれていいよね、みたいな皮肉(MaceがKhadijahにいう)も出てきたり。この辺、最後の方で女性にとってきついのはここだろ、みたいな取引(脅し)の場面が出てきてなるほど、ってなったり。 あと、タイトルの”355”は独立戦争の時に活躍した女性スパイのコードネームで、彼女(たち)の歴史における無名性も皮肉のように貼り付けられている。
製作も兼ねているJessica Chastainさんは”Dark Phoenix”の撮影時にSimon Kinbergとこの辺のドラマ込みのスパイアクションをやってみたいと思ったらしく、だから尺が長くなっちゃったのか、とか。とにかくJessica Chastainさんのべらべら喋りつつざっけんじゃねえぞこのクソ男どもがー!ってなる顔や態度が好きなひとには思いっきり炸裂してくれるので勧めたい。 そして、この苛立ちは父親が二重スパイであることを自分が発見して告発した、というトラウマをもつDiane Krugerさんの内面に向かう苦みと対になっているようで、結構しみてくるかも。
ただ、あれこれてんこ盛りになってしまうことは承知しつつも、ファッションとかもうちょっと凝ってくれてもよかったのではないか。やってサマになるみんななのだし。
あと、このデバイスの脅威(と恐怖による支配)に立ち向かったのがなぜ女性の彼女たちだったのか、という視点が – たぶんこれは掘れば出てきそうなことだけど、そんな明確になっていない – あったらなー。その場の怒りと成り行き、のような形で展開してしまうのだが、実はそうではないのだ、という持っていきかたもあったのでは。
最後の方で、Penélope Cruzが脅迫された先の家族のビデオにJavier Bardemが映っていたらおもしろくなったのにな、とか。 あと、もし続編が作られるのだとしたら、ぜったいMelissa McCarthy(とMiranda Hart)は入れてやってほしい。
2.13.2022
[film] 好人好日 (1961)
2月6日、日曜日の昼、神保町シアターの淡島千景特集から2本見ました。
好人好日 (1961)
中野実の原作を松山善三とが渋谷実が脚色して渋谷実が監督している(あー、また『もず』を見れなかった…)。音楽は黛敏郎。文房具のイラストが素敵なタイトルバックは真鍋博。
冒頭、登紀子(岩下志麻)が奈良の大仏さんに向かって「大仏さん!」て話しかけて彼女の置かれた事情が明らかになる。父の尾関等(笠智衆)は大学の数学の教授で変人で、お母さんは万能の節子(淡島千景)で自分は「みんなは佐田啓二に似てるって言うけど私はグレゴリー・ペックに似てると思う」という同じ職場の佐竹竜二(川津祐介)と結婚したいけど万事うまくいきますように。あといまの両親はほんとうのお父さんお母さんじゃないの、と。
尾関等には実在のモデル(数学者の岡潔)がいるらしいが、数学のことしか頭にないと言う割には近所のコーヒー屋に入り浸ってTVの野球中継ばかり見ていたり、晴れでも長靴履いていたり、学者なのに自宅に机ないの? とか、いきなり白ウサギ貰ってきたり(あのウサギどこにいったの?)、プリンストンからの招聘の話を断ったり、とにかくとっても変。
佐竹の家はお徳婆さま(北林谷栄)が厳格に仕切る慶長以来続く墨屋で、なにかあると分家の筆屋と蝋燭屋に指令が飛んでいくのでえらく大変で、そんなところに変人数学者の家でしかも貰い子の登紀子が嫁ぐことができるのか。
というのと尾関が文化勲章を貰うというので夫婦で上京して、昔馴染みの高峰三枝子と会ってやはり昔馴染のぼろ旅館に泊まったら夜中に三木のり平のこそ泥に勲章盗られちゃったり(金目のものを持ってけ、とか泥棒に指導する)いろいろあって、でも終わりは雑にどうとでもなる系なので安心して笑っていられる。
でもやっぱりいちばん偉いのって節子=淡島千景だよねえ。尾関にあんなに好き放題させて、自分はたまにお酒かっくらって気持ちよくなれればいいのだ、って。それをこんなふうな美談にしてへらへら語ってきた(それを見にきているのも毎度のじじいばかり)この文化圏生活圏のどうしようもなさときたらどうしたらよいものかー、っていつもの。
主人公の笠智衆をおもしろおかしく見せる映画なのだろうが、rom-comとしては結婚するふたりがもう少し切実に真剣に恋してくれたらなー、ていうのは少し思った。あの状態だとどっちの家からもじわじわ攻められて別れることになる気がする。
笠智衆と岩下志麻の父娘、だと『秋刀魚の味』(1962)があるし、奈良に暮らす結婚を前にした父娘のお話、というと『月は上りぬ 』(1955)があって、どっちもよいけど、笠智衆は枯れていそうでいてとにかく強くてしぶといやつ、っていう印象がー。
縞の背広の親分衆 (1961)
原作は八住利雄、監督は川島雄三。『赤坂の姉妹より 夜の肌』に続けてこんなのを撮っているなんて。
タイトルバックで森繁がねっとりと歌う「べサメムーチョ」がたまんない。
埠頭に降りたった守野圭助(森繁久弥)は森の石松の末裔で、大鳥組の兄分だったが人を殺めて(実はただの傷害事件だったことが後でわかる)で15年間、南米に高飛びしていて、戻ってみると組の守り本尊のお狸さまは高速道路の工事で取り壊しの話が出ているし、組は亡くなった大親分の女房のおしま(淡島千景)と子分で住職の浄慈 - スモーキー・ジョー(フランキー堺)と桂小金治くらいしかいない零落ぶりでしょうもない。 後継になってほしい良一(田浦正巳)は道路公団の技師だし、その妹でビートガールの万里子(団令子)は花売りをしながら敵対する風月組の風月三治(有島一郎)のバカ息子・シゲル(ジェリー藤尾)と猫みたいなシマ争いをしていたり。
しょうがないので圭助は賭博の現行犯で留置所に入ったり、昔の愛人を頼ってクレーム係として就職した象屋デパート(のCMソング by 松井八郎 - がすごい)で口八丁で成功したりしていると、お狸さまの迂回か取り壊しかの騒動は政界と道路公団とヤクザとチンピラを巻き込んだ大ごとになっていて、やいやいやい! って揃いの縞の背広で騒動に突っ込んでいくの。
あれこれ沸いたり降ったりが賑やかなノンストップのスラップスティック任侠コメディで、でも淡島千景と森繁久弥とフランキー堺が固めているし、反対側には有島一郎とか西村晃とか渥美清がいるので、多少ばらけていても安心して見ていられて楽しい。
マキノ雅弘の『次郎長三国志』の『海道一の暴れん坊』(1954)の石松=森繁久彌がものすごく、泣きたくなるくらいに好きなので、その末裔として森繁がそのまま出てくるのはふつうに嬉しい。ついでに越路吹雪も出てくればよかったのになー。
2.11.2022
[film] Ghostbusters: Afterlife (2021)
2月6日、日曜日の夕方、TOHOシネマズの日本橋で見ました。
文句も含めていろいろ言いたくて、故にそれなりのネタバレはしているはず。なので読むひとは注意を。
おおもとの”Ghostbusters”(1984) - “Ghostbusters II”(1989)に続くもので、Paul FeigによるReboot版 ”Ghostbusters”(2016)はきれいになかったことにされている。
オリジナルの84年版の監督だったIvan Reitmanは製作にまわり、監督はJason Reitman。
オクラホマのSummervilleという畑と遠くに廃坑となった鉱山の山が聳える一帯で、あるおどろおどろしい晩、車で農家に突っ込んできた男がゴーストを仕留めようとして失敗して.. というのが冒頭。
シングルマザーのCallie (Carrie Coon)は破産して住むところがなくなったので亡父の遺した↑の農家に子供たち - Trevor (Finn Wolfhard)とPhoebe (Mckenna Grace)を連れて越してくる。落書きとガラクタだらけの廃墟にうええーってなっているとあーら懐かしJanine (Annie Potts)が顔を出して、ここの資産管理をしているものですが、とか言うの。
Trevorはダイナーでバイトを始めてLucky (Celeste O'Connor)に近寄っていって、科学大好きのPhoebeは家にあったガラクタをいじったり変な現象 - チェスの駒が勝手に動いたり - を追っているうちに学校の科学の先生 - Gary (Paul Rudd)と知り合っていろいろ教えてもらったり、同様の変な子 - Podcast (Logan Kim)と仲良くなったり。
いろんな変なガラクタはすべてPhoebeのおじいちゃんが遺していったものらしく、それが家の中でもちらちらしているゴーストにまつわるものであること、更におじいちゃんはGhostbustersであったことがわかって、あの車とか「彼らの」防護服が発見され、それがわかった時には既にそこら中にゴーストが溢れていて、NYで活動していたおじいちゃんがなぜここに来たのか、なにをしようとしていたのか、が明らかになってくる。そして久々にGozerとGatekeeperにKeymasterが現れて..
筋としてはこんなかんじで、これがオリジナル版を見ていない人たちにどれくらい訴えるものなのか.. はわからん。そしてこれがオリジナル版をとっても愛していた人たちにどれくらい届いて響くものなのか..
あのさー、まず、”Ghostbusters”ってコメディなのよね。少なくとも原作を書いたHarold RamisとDan Aykroydは大都会NYを舞台にした笑える怪談SFコメディ活劇としてこれを作ったのだと思う。2016年のReboot版もそう。でもこれはそういうところを志向したものにはなっていない。趣旨がHarold Ramis追悼だったのだとしても、であればなおのこと、どこまでも転がっていって唖然として笑いが止まらなくなるようなものにすべきだったのではないか。Jason Reitmanではムリであることはわかるけど。
オリジナルの84年版は、科学者としてはどこからもお呼びがなかった除け者たちがゴーストを発見して仕留める方法を見出してそれが結果的にNYと世界の危機を救う、そういう痛快なやつで、この部分 - 逸れものの逆襲 - は母親と打ち解けることができないPhoebeのエピソードを軸に受け継がれているとはいえ、ほぼそれだけのようで。
ストーリーの真ん中くらいでGhostbusterのおじいちゃんは(ある程度わかっていたとは言え)Egon Spengler (Harold Ramis)であることが明かされて、すると最初の方に出てきたJanineって.. ? SpenglerはJanineと一緒になったんじゃなかったの? じゃあ他に誰がいたっていうの? って混乱するし。
Paul Ruddだってさあ、Ant-ManなんだからPhoebeとタッグを組んで大活躍してくれると思ったのに、Rick Moranisの役どころかよ、とか。
あとさー、ゴースト少なすぎ。 あの廃坑が総本山なのだとしたら怪獣みたいなとんでもないやつをじゃんじゃか噴出してくれたってよかったのに、マシュマロマンはちっちゃいのがうじゃうじゃいるだけで、あれじゃまるでグレムリンじゃないか。想像してなかったようなすごいのが登場してはじめて最後の揃い踏みが活きて感動するんじゃないかー。84年版のマシュマロマンは、そういうやつだったのだし。
あともちろん、Paul Feig版を無視したのが、どうにも釈然としない。こんな世の中なんだから繋いじゃったってよかったのではないか。Pheobeが電話してみたらChris Hemsworthの方に繋がっちゃったら、それはそれで面白くなったと思うし。そんな支離滅裂で破天荒なことが起こる深く壮大な世界のお話だったはずだ。それが「アメリカ」なのか、は(つねに)あるにせよ。
“Afterlife”でしょんぼり - とまでは言わないまでもあんなふうにしんみり感動してしまうのって、84年版を体験した老人たちには辛いと思うのよ。その辺わかれよJason。
2.10.2022
[film] Kárhozat (1988)
1月31日、月曜日の晩、イメージフォーラムの特集『タル・ベーラ伝説前夜』で見ました。
英語題は”Damnation”、邦題は『ダムネーション/天罰』。 「“タル・ベーラ スタイル”を確立させた記念碑的作品」 - の4Kリストア版、だそう。
そういえば『サタンタンゴ』(1994)は向こうでのロックダウン中に見ることリストに入れたままになっていた。
いつもつい「サ・タンタン・ゴ」ってなる..
冒頭、工場の/からの廃棄物を運ぶケーブルのゴンドラが稼働するノイズと一緒に延々と向こうにループして流れていく – のを身動きしないで見ているのか見ていないのか - の男の背中が映りこんでくる。それから(たぶん)同じ男が鏡に向かって剃刀で髭を剃るところ。元気な男ならあんなふうにゴンドラを眺めないし、絶望の底にいる男なら髭なんて剃らない気がする。
外はずっと曇天か雨ざあざあで暗くて、もう陽が沈んで暗くなってから男は”Titanic”というバーの前に佇んで、イヌが通ったり車が出ていくのを眺めたりした後にバーに入る。
バーでは、どこかに荷物を運ぶ仕事の話のできるできないと、男がずっと好きで付きまとっているらしい女 – 人妻のところにいって、話ぶりからすると相当自分に自信があるっぽいのだが、実際にはあまり相手にされているようにも見えないので、そうすると切羽詰まったただのストーカーのようにも見えてくる。
ケーブルのゴンドラが不穏な音を出しながら毒を積んで同じところをぐるぐる廻っていくのと同じように男もバーとアパートの間を廻っているだけ、その間に挟まってくる雨だの人だのでぐだぐだになって、なんでこんなにひどい状態に晒されているのかわかんなくて、これはなんかの天罰なのか? って。天罰なのだ、ってなると終わってしまうのでそうではない続いているなにかとして、例えばバーのフロアでバンドが演奏しているさまを眺めていたり。
ふだん映画を見ていて長まわしとかあまり意識したことはないのだが、この作品のは長いねえ、って思うくらいには長くて、ただその長さは主人公が待ったり待たされたりしている頭のなかの時間感覚と密にシンクロしているようで、そこに広がる景色がみっしり全部入ってくるのであまり「長さ」として認識されない。何を待つのかによるよな、って思いながらただ時間が過ぎていくのと同じで、そうやって2時間はあっという間に経ってしまうのだった。これは『ニーチェの馬』を見たときにも感じたこと。そういうふうに見せてしまう詐術のようなものが「タル・ベーラ スタイル」というものなのか。
ヒト相手のやりとりが天罰的に潰されてぐだぐだになってしまった後、男のやけっぱちはイヌに向かって、イヌの時間でもって噛みあうことになる。そのダンスのような動きと共にカメラが引いて雨と錆びれた廃墟の全体が露わになって、そこに「ダムネーション」っていうのが土砂降りになって落ちてくる。因果みたいのは余り見えないし、自業自得、でもない気がする。ただどこかに引っかかった状態で重力に晒されて、イヌといい勝負で並べられて、いるだけ。
単に粘着ダメ男が雨粒と共に地べたに到達するまでの軌跡をスローに描く、というよりはそういう要素ぜんぶが包含されてなにからなにまで腐ってしまった汚染地帯を隅々までまるごと見せているような。そこでは起こることすべてが天罰のように上から下への落下で、よいことなんてただのひとつも起こらない。そんな塊まるごととして世界をきちきち追う。これなら10時間でも見て、じっとり浸っていられるのかもしれない。
ちょっと怖くなったのはこのまま浸っているのもよいかも、って思ったりしたこと。
映像と同期していないバンドが延々演奏している曲が、だんだんボウイの"Rock 'n' Roll Suicide”のように聴こえてきてならなかったのだが、そんなことない?
これが88年。うん、そんなかんじかも。