1月31日、月曜日の晩、イメージフォーラムの特集『タル・ベーラ伝説前夜』で見ました。
英語題は”Damnation”、邦題は『ダムネーション/天罰』。 「“タル・ベーラ スタイル”を確立させた記念碑的作品」 - の4Kリストア版、だそう。
そういえば『サタンタンゴ』(1994)は向こうでのロックダウン中に見ることリストに入れたままになっていた。
いつもつい「サ・タンタン・ゴ」ってなる..
冒頭、工場の/からの廃棄物を運ぶケーブルのゴンドラが稼働するノイズと一緒に延々と向こうにループして流れていく – のを身動きしないで見ているのか見ていないのか - の男の背中が映りこんでくる。それから(たぶん)同じ男が鏡に向かって剃刀で髭を剃るところ。元気な男ならあんなふうにゴンドラを眺めないし、絶望の底にいる男なら髭なんて剃らない気がする。
外はずっと曇天か雨ざあざあで暗くて、もう陽が沈んで暗くなってから男は”Titanic”というバーの前に佇んで、イヌが通ったり車が出ていくのを眺めたりした後にバーに入る。
バーでは、どこかに荷物を運ぶ仕事の話のできるできないと、男がずっと好きで付きまとっているらしい女 – 人妻のところにいって、話ぶりからすると相当自分に自信があるっぽいのだが、実際にはあまり相手にされているようにも見えないので、そうすると切羽詰まったただのストーカーのようにも見えてくる。
ケーブルのゴンドラが不穏な音を出しながら毒を積んで同じところをぐるぐる廻っていくのと同じように男もバーとアパートの間を廻っているだけ、その間に挟まってくる雨だの人だのでぐだぐだになって、なんでこんなにひどい状態に晒されているのかわかんなくて、これはなんかの天罰なのか? って。天罰なのだ、ってなると終わってしまうのでそうではない続いているなにかとして、例えばバーのフロアでバンドが演奏しているさまを眺めていたり。
ふだん映画を見ていて長まわしとかあまり意識したことはないのだが、この作品のは長いねえ、って思うくらいには長くて、ただその長さは主人公が待ったり待たされたりしている頭のなかの時間感覚と密にシンクロしているようで、そこに広がる景色がみっしり全部入ってくるのであまり「長さ」として認識されない。何を待つのかによるよな、って思いながらただ時間が過ぎていくのと同じで、そうやって2時間はあっという間に経ってしまうのだった。これは『ニーチェの馬』を見たときにも感じたこと。そういうふうに見せてしまう詐術のようなものが「タル・ベーラ スタイル」というものなのか。
ヒト相手のやりとりが天罰的に潰されてぐだぐだになってしまった後、男のやけっぱちはイヌに向かって、イヌの時間でもって噛みあうことになる。そのダンスのような動きと共にカメラが引いて雨と錆びれた廃墟の全体が露わになって、そこに「ダムネーション」っていうのが土砂降りになって落ちてくる。因果みたいのは余り見えないし、自業自得、でもない気がする。ただどこかに引っかかった状態で重力に晒されて、イヌといい勝負で並べられて、いるだけ。
単に粘着ダメ男が雨粒と共に地べたに到達するまでの軌跡をスローに描く、というよりはそういう要素ぜんぶが包含されてなにからなにまで腐ってしまった汚染地帯を隅々までまるごと見せているような。そこでは起こることすべてが天罰のように上から下への落下で、よいことなんてただのひとつも起こらない。そんな塊まるごととして世界をきちきち追う。これなら10時間でも見て、じっとり浸っていられるのかもしれない。
ちょっと怖くなったのはこのまま浸っているのもよいかも、って思ったりしたこと。
映像と同期していないバンドが延々演奏している曲が、だんだんボウイの"Rock 'n' Roll Suicide”のように聴こえてきてならなかったのだが、そんなことない?
これが88年。うん、そんなかんじかも。
2.10.2022
[film] Kárhozat (1988)
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