8.14.2019

[film] Topper (1937)

4日、日曜日の午後、BFIのCary Grant特集で見ました。邦題は『天国漫歩』。

お金持ちで能天気なGeorge (Cary Grant) とMarion (Constance Bennett)の夫婦は毎日楽しく呑んで歌って(Hoagy Carmichaelがカメオで出てきてピアノ弾いてくれる)、朝までらりらり遊んでいて、そのままミルク飲んで銀行の取締役会とかに出たりしている。

で、その調子で車を飛ばしていったら道路脇の樹に激突してふたりは死んじゃって、でも善いことをしたわけでも悪いことをしたわけでもないから天国にも地獄にも行けずにすけすけしながら地上を彷徨っていて、天国に行けるようになんかしよう、って彼らとは対照的にまじめな銀行社長のCosmo Topper (Roland Young)にもっと人生を楽しめるように、ってはっぱかけて車与えたり(→逮捕)、女性の下着をちらちらさせたりしたら、夫以上にまじめで支えてつくして(コントロールして)きた妻のClara (Billie Burke)はあなた! きーってなるのだが、大怪我はしたもののめでたしめでたし、でGeorgeとMarionも昇天できるの。

日本でも昭和のコメディにありそうな、おふざけ豪快野郎ときまじめモーレツ社員のその妻まで交えた楽しいどたばた、なのだが難をいうとしたらGeorgeとMarionのふたりがきらきらゴージャスでちっとも幽霊のかんじがしないの。死んでもぜんぜん後悔とかしてないし。 これこそ”There is a Light that Never Goes Out” だわ。ああありたいもんだな、って。

このあと、続編として”Topper Takes a Trip” (1938) と”Topper Returns” (1941) ていうのも作られたらしい。我々にとってTopperというと、まずは Topper Headonなわけだが、こちらの”Topper”はMickey the Monkeyていう漫画が掲載されていたコミック本のことなのね。

Suspicion (1941)

6日、火曜日の晩、BFIのCary Grant特集で見ました。 誰もが知っているヒチコックの『断崖』、ね(← 見たことなかったの)。

ロンドンから田舎に向かう列車にLina (Joan Fontaine)が乗っていると愛想と調子のいい青年Johnnie Aysgarth (Cary Grant)が乗ってきて、最初はなによこの人? だったのが憎めなくて、憎めなくなるとなんか愛しくなってしまい、父General McLaidlaw (Sir Cedric Hardwicke)の反対を押し切って結婚してハネムーンから戻ってくると、彼が実は無一文でろくに仕事もしてなくて博打とかも大好きであることがわかり(←それくらいわかっとけ)、諫めるときちんとしてくれるようなので許しているとやはりだんだんに度を越してきて、これは無理だからお別れしましょうと手紙を書いても踏みきれなくて、でも父の死の後の彼の挙動とか彼の友人が突然パリで死んじゃったりしたのを見ると、ひょっとしてこのひと保険かけて自分のことを殺そうとしている? って思い始めたら雪だるまが止まんなくなって… 

最近もよく聞くダメ男にずるずる引き摺られて破滅に向かうカップルの原型を見るかんじなのだが、ここで誰もが感じてしまうかもしれないLinaの優柔不断で迷って悩みながらも相手の男を許してしまう態度への「だからだめなんだよ」は巧妙なワナというかヒチコックのしょうもないミソジニーの表明で、ほんとうであれば最後の断崖でLinaはJohnnieを突き落としてやるべきだったのよ。「もうたくさん、だれが信じるかボケ」(どーん)って。

そしたらオスカー(主演女優賞)は獲れなかったかもだけど。

”Holiday” (1938)もそうだったが、大金持ちの家に婚約者としてやってくる素性の知れない男としてCary Grantはパーフェクトの輝きを見せるねえ。お金は貯めるもんじゃなくて使うもの、自由がいちばんさー、って。

小さい頃にTVで見た、コップのミルクを白く見せるために裏に電球を仕込んだ映画、ってこれだったのかー、って、伝説をつかまえた気がした。(おそすぎ)

8.12.2019

[music] Johnny Marr

8日、木曜日の晩、MeltdownどまんなかのRoyal Festival Hallで見ました。

こないだのGrastonbury2019をBBCが中継だか録画再生だかしているなかに彼のライブがあって、そこで彼は”Bigmouth Strikes Again”をばりばり弾いて歌っていて、これいいじゃん、てチケット取った – これも発売直後ではなく公演数日前 - くらいに。

彼のライブを見るのは昔どっかでのThe Healers以来か、彼がModest Mouseにいた時って見たんだっけ.. ?

前座のMystery Jetsの途中から入って、ああいいバンド(いやほんとに)だねえ、くらい。

始まる前にNile Rodgers氏が登場して(彼、この時間は隣のホールでトークイベントやっているはずなのに)、Johnnyとはずっと昔から家族ぐるみの付き合いをしてて、彼の息子は自分から名前取っているし、互いに本当に敬愛しているんだ、って紹介して始まる。 バンドは4人編成。客層は圧倒的におじさんおばさんとその子連れ..

1曲目はソロからふつうの、だったのだが、2曲目で”Bigmouth.. “をやるもんだから客席ぜんぶものすごい勢いで立ちあがって、わーわー歌う歌う。で、みんなこのまま最後まで座らずにいっちゃった。

興味があるのはほぼThe Smithsの曲だけだった(.. ごめんねJohnny)のだが、”You Just Haven't Earned It Yet, Baby”をやって、これは自分にとってはKirsty MacCollの歌なのでとっても嬉しくて(間奏のギターも!)、その後にやった曲がこれなんだっけ.. て懸命に思いだし、あーElectronicの”Getting Away with It”だ! あったねえ..  になる(それならThe Theだってやればいいのに)。マンチェスター・ディスコ・ナイトだぜ、って煽ったりなんか懐かしい恥かしいとしか言いようがないノリで、そんなにスマートじゃないどんどこリズムで歌って刻んだりしている。

やがて息子のNile Marrをギターに加えて、”Please, Please, Please Let Me Get What I Want”をやり – そうそうこの曲なんてこんなふうにエレクトリックギター3台でやるべきなの安易にアコギ使うんじゃないよM、とか。 で、その後にあーらびっくり、A Certain Ratioの”Shack Up”なんて演ったので、あーそうか、これってThe Smiths(のギターサウンド)をマンチェスターの一連の流れに繋いで位置づけようとする試みなのかもしれない、って。続く”This Charming Man”は怒号と悲鳴が入り乱れる大合唱で、まったくCharmingなんて言えたもんではないのだが、それにしてもこういう歌詞って忘れてないもんだねえ。

本編のしめは”How Soon is Now?”、1回やったアンコールもおわりの2曲は “Last Night I Dreamt that Somebody Loved Me” ~ ”There is a Light that Never Goes Out”で、どれも極めつけのMorrissey song、であることを考えるに、ここんとこ彼の鉄板歌謡ショー化しているライブのThe Smiths曲から本来聴こえてくるはずだったギターの音を奪還する試みなのではないか、と。特に近年Mのライブでのギターの音は彼のヴォーカルの背後でぺたんこの壁でしかないことが多くて、これらってほんとうはここで聴かれるように水のように豊かにうねってしなやかに飛沫を飛ばしたり花弁を散らしてくるものだったのではないか、と。これよこれ(握りこぶし)。

“There is a Light …”のシンガロングもみんな手をふりあげて凄まじく、車に潰されて心中じょうとう!ていう歌なんだけど、いいなー。いつでも準備できてるから、ってことかな。

でもOASISのバカを意識したのかもしれないイキった変なポーズとるのは恥ずかしいからやめてね、Johnny。

[film] The Doom Generation (1995)

4日、日曜日の夕方、BFIのNinties特集で見ました。
すばらしい色みの35mmプリントだった。フランス語字幕付きだったけど。

Greg Arakiの作品はこれまできちんと見たことがなくて、他方で彼の作品のサントラCDはどれもコンピレーションとしてとてもよくできていたのでよく聴いた、程度。

彼のメジャーデビュー作で、"Teenage Apocalypse Trilogy"の真ん中だそう。今回の特集でかかる彼の作品はこれだけ。
最初に字幕で"A Heterosexual Movie by Gregg Araki" – と出る。 邦題はそのまま?

冒頭、NINの”Hersey”なんかがどかどか流れるなか、退屈だから他に行きましょとAmy (Rose McGowan)とJordan (James Duval)が車を走らせようとしたところでXavier - X(Jonathon Schaech)が強引に乗りこんできて、なんかお腹へった、というのでコンビニに行って、成りゆきのひと悶着のあとは結果的に血みどろになり、顔がわれるのは時間の問題だからモーテルとファストフードを転々として互いにセックスをしまくって、やがて誰にでもわかるような破局というか襲撃というかがやってきて、それでもふん、って。

犯罪のシーンとセックスのシーンが同じテンションと欲望垂れ流しの粗さてきとーさで描かれ、それ以外の行為はすべて退屈で無頼で予測不能で、何回出てくるかわかんないくらいにたっぷり吐き出されるF wordと、犬を轢いちゃったあとにAmyが呟く”The World Sucks”がほぼすべてで、これはThe Worldの話なのかThe Generationの話なのか、"Teenage Apocalypse”だし"A Heterosexual Movie”だし、あれこれもうたくさん、どうでもいいわ、っていう空気感の間に挟まっている気がする。

貰ったペーパーにあった”Natural Born Killers” (1994)の過剰な怒りと”Slacker” (1990)の露悪趣味の中間、ていう形容は結構あたりなのかも。 彼らはすべて見られている/撮られていることをわかった上で、あんなふうに振る舞いべったりくっついて突っ走っていく。高尚にもおしゃれにもなれない『気狂いピエロ』の30年後の - 本当に狂っちゃったピエロ達の姿、というか。

映画で描かれた若者の像がどこまでリアルなのか嘘っぽいのか、なんかの時代とか世代を表象/象徴しちゃったりしているのか、そういうのとは別に、空腹と退屈さを抱え、車とほぼ無一文で砂漠のようなとこに放りだされた(or 自分たちでそうした)若者たちがいたとして、彼らはどんな行動を取るのか、を追う – 決して彼らの言葉やエモを「代弁」なんてしようとはせず - というところでは悪くなかったかも。 今同じテーマを今の若者たち相手にデジタルで撮ったらどんなふうになるのか、そういう作品、もうどこかにあるのかしら。

ギャングでSkinny Puppyとか、タコス屋の店員でPerry Farrellとか、コンビニにいる家族でMargaret Choとか、いろいろ出てくる。 
そして音楽はほんと痺れるようにたまんなくて、Slowdive, Love and Rockets, Curve, Coil, Porno For Pyros, The Jesus & Mary Chain, Ride, Lush, 更にはPizzicato Fiveまで、あんなの(ってどんなの?)がずっと吹きっさらしの荒野に吹きまくる。当時はそんな好きでもなかったのだが、今こうして纏めて聴いてみたとき迫ってくるこれらってなんだろ?

字幕があると無意識に字幕を見てしまう習慣 - 日本語の映画でも英語字幕をつい- が根強いことに気付かされて結構しんどかったかも(追ってみてから英語じゃないよ、って耳にスイッチ)。

Rose McGowanさん、#MeTooであんなふうになるなんてこの頃には..

8.11.2019

[art] Charleston Farmhouse

3日の土曜日にCharlestonに行ってきた。ロンドンに行くと本屋でも小さなガーデンでも、Bloomsbury Groupの誰かがなんかした場所、というのが結構あるしBloomsbury Cookbookとかもあるし、そういうのを見るたびに行かなきゃ、とずうっと思っていたEast Sussexにある彼らの住処で拠点。 それは写真とかで見て思い描いていた像を遥かに超えたすばらしいものだった。理想のおうちNo. 1にいきなり躍りでた。もっと早くに来るんだったわ。

SussexってWilliam Blakeも住んでいたしPoohの橋だってあるし、なんかあるのかしら?  日本だと熊野みたいなとこ?

Victoriaの駅から南に電車で1時間ちょっとのLewes、からバスがあるはずだったのだが、例によってVictoriaの駅のチケットマシーンのバカ、のせいで乗る予定だったのには乗れず、Lewesの駅からはタクシーにしてしまった。£18くらい。 南に向かう電車はBritonでのプライドのイベント(Kylie Minogueが出るって)があるそうで楽しそうに混んでいた。

CharlestonはNational Trustが管理していて、彼らが住んでいたFarmhouseと企画展示をしているGalleryがあり、Farmhouseは各部屋が小さいので日曜以外で中に入るにはツアーを予約しておくしかない。 1時間ごとで、各回12人くらい。 1階と2階の9つの部屋をひとつづつ回っていく。 大きい荷物不可、写真撮影も不可。

Farmhouseの前には池があり、家の壁は蔦、ではない草樹がぼうぼうに覆っていて、そのぼうぼうの延長のようにガーデンが広がり、ここも区画や仕切り、朽ちた彫像があったりするものの咲き乱れる草花と飛び回る蜂や蝶の野生の勢いには負けてやられ放題、でも最小限の手入れは、ってせめぎ合う様がすてき。 日本の田舎の農家の古民家よりは小さくて、ロンドンの周辺の一軒家でもこれくらいのサイズのはいくらでも。

この家にまつわる登場人物はいっぱいいるのだが、まず画家のVanessa Bell (Virginia Woolfの姉)、その夫のClive Bell、ゲイだけどVanessaとの間に娘のAngelicaができちゃったDuncan Grant、とか。
ここに長期滞在して執筆していた経済学のJohn Maynard Keynesの部屋、もある。

玄関入ってすぐのClive Bellの書斎 - まずは古書の香りでやられて(アドレナリンが湧いてくる気がするのは変な病気なのかも)、扉から壁からVanessaやDuncanがやりたい放題に描きまくった絵や模様(Ωももちろん)がそこらじゅうに、大小いろんな人によるいろんな絵、すてきな模様(オリジナルのは退色が激しくてLaura Ashley - RIP - のリプロだそう)の椅子やソファが。 インテリア雑誌によく出てくるシンプルでソリッドな要素なんて(あれってほんと住んで楽しいの?っていつも思うよ)かけらもない。 ここ以降の部屋も、機能によって置かれているものが多少違うだけで(バスルームですら)、ガーデンに面しているか池に面しているか、どこにも本や紙はいっぱい、でもひとつとして同じ意匠のものはなく、どこまでも生活を色や模様、いろんな形で満たして楽しんでいたことがわかる。

ずっといられたらなー、本の背表紙いちにち眺めていられるのになー。 当時のアート系の雑誌や年鑑もいっぱいあるし。

ツアーのなかにキッチンが入っていなかったのは残念だったが、飾られている絵画(地味にピカソとかもある。 でもとにかくVanessaのがどれもすばらしい)は入れ替えたりするものもあるそうなので、また来よう。 最後はアトリエでそこからガーデンに抜けられる。

冬は本当に寒くなるの、と言っていたけど、確かにそんなかんじだった。 暖炉はあるけど。  幽霊はいない... かな。

この家にゲストとしてT. S. EliotやE. M. Forsterがやってきて、Lytton StracheyもRoger Fryもいて、フランス文学や絵画がたっぷりあり、ロシアのバレエも中国のアートもあり、経済学の先端がいて、LGBTQがふつうにあり、当時の人文学の粋と枠がこんな田舎の小さな家にぜんぶ固まってあったんだなー、って。 

そして*Living Well is the Best Revenge* -『優雅な生活が最高の復讐である』というフレーズが自然にふんわりと浮かんでくる。

ここに来た以上、もういっこの方 - VirginiaとLeonard Woolfの家 - Monk’s Houseも行くよね。
ふたつの家の間は7マイルくらい離れていて、行きのタクシーの運転手さんに「歩ける?」 って聞いたらうーん、2時間くらい歩く気があるのなら、ていうので、彼と時間を決めて再び来てもらった。(確かに歩ける距離じゃなかったかも)

こっちはFarmhouseよりさらにこじんまりしていて、ほんと普通の家のかんじで、でも家具や飾りつけや色彩はあっちとおなじ意匠と感覚で統一されてて(つまりやはりVanessaとDuncanがー)、同様に住みやすそうだった。こちらは撮影可。

Virginia Woolfの寝室は”A Room of Her Own”だなあ、って、書棚にある本を見ていたら、日本語訳された彼女の本(昔のみすずの選集とか)が結構置いてあった。 Farmhouseと同様に咲き乱れっぱなしの庭にはやはり池(丸いのと四角の)があり、柵の向こうには牛がいて、彼女は牛を見てなんか思ったのかなあ、とか。

駅までの帰路はまた同じ運転手さんに来て貰い、この人は親切なことに近所のRiver Ouse - 彼女が入水自殺した - にも連れて行ってくれた。 橋の上から見た川は、最近の雨で水量が相当に増えていた。 彼女が入っていった1941年の3月はどんなだったのだろうか。

Farmhouseの写真集として、2016年にUnicornから出たKim Marslandの”Charleston Farmhouse 1981”という小さな本が雰囲気をよく伝えているので探してみて。

8.09.2019

[music] Thundercat

Nile Rodgersがキュレーターとなった今年のMeltdown、出演者もスケジュールもなかなか発表にならず、なんか決まらないのかしら揉めているのかしら? の後で発表になったメンツは、昨年のRobert Smithキュレーションの、あれもあるこれもあるぜんぶ見たいけどどうしようしんじゃうー になった昨年と比べるとなかなか微妙で、勿論そうじゃない人だっているのだろうが、やっぱしダンスミュージックって楽しいし聴きたいけど連日連夜だと体力的に厳しくなっていて(普通のスタンディングライブでも2時間超えると...  昔はGeorge Clintonの4時間とか平気だったのにな)、なのでチケット発売日も注視しないでおいたらこれなんかはあっという間に1階席はなくなっていて、あーあ、って本番の数日前に見てみたら4列目が空いてたので取った。

4日の日曜日、この日は午前からBBCのPromsでオルガン聴いて、30年代のコメディ見て、90年代の殺伐としたのを抜けて、そういう起伏の激しい状態から始まっていた前座のOnyx Collectiveに座る。 ギターレス、ヴォーカルとサクソフォンがフロントの5人組で、NYから来たのだと。いかにも東海岸のJazz/Funkだねえ、のすかすかした、Collectiveとしか言いようのない(そういえばむかし、Groove Collectiveっていたねえ)猥雑なノリで、なんか懐かしかった。

彼らの演奏が終わるとNile Rodgersさんがわざわざ出てきて、彼らはこのためにBrooklynから来たんだよ拍手を!次のThundercatはLAから来たよ、楽しんでってね! って。この辺の世話焼き加減はとてもNile Rodgersだなあ、と。

Thundercatさんて、17年、地獄の黙示録/河童ジャケットの”Drunk”を少し聴いて宅録系のひとかと勝手に思っていたらでっかい6弦ベースを抱えてでてきて(← 知らなさすぎ)、あとはドラムスとフェンダーローズ寄り鍵盤の横並びトリオ編成で、歌もうたうしコーラスもするし、すごく底の深く低いどっしりした電気フュージョン・ジャズみたいのを聴かせてくれた。でもよく見ると指とかめちゃくちゃ動いているしドラムスもマルチタコ脚みたいだし高度で複雑すぎて、でもそのうち意識の裏にすーっと抜けていくような気持ちよさがやってくる。 (最近の)King Crimsonのように聴こえるところもあったかも。 もうちょっと踊れるかんじだったらなー、いや踊んなくていいわこれ、とか。

BBC Proms 21: Olivier Latry

同じ4日の午前11時スタート、Royal Albert HallでのProms 21はパイプオルガンのソロで、あそこのパイプオルガンがどんなふうに鳴るのか聴いたことなかったし、日曜の午前にオルガンてなんかいいかも、って。
奏者のOlivier Latryさんはこないだ焼けてしまったパリのノートルダム寺院のオルガン弾きの方で、であるのならノートルダムの分も含めてしっかり聴いてあげないと。

ハチャトリアンに始まりベートーベンにバッハにリストにサン=サーンスに、古典スタンダードからモダンまで8曲、加えて最後に即興で1曲、アンコールも1曲の約90分。
パイプオルガンてなんであんなにでっかい音がでるの? なんであんなに多彩で多様な音色がなるの? ダブみたいな音処理のってどうやっているの? など、聴けば聴くほど謎にまみれていくのだったが、音はひたすら圧倒的に聳えていてひええー、だった。

いつもの椅子席にしたのだが、立ち見のフロアにいる人たちの一部は床にそのまま寝転がって聴いていてあれいいなー、って。 来年もあったらやってみたい。

8.08.2019

[film] Gas Food Lodging (1992)

2日金曜日の晩、”Do the Right Thing” (1989)に続けてNineties特集で見ました。

邦題はそのまま『ガス・フード・ロジング』。原作はRichard PeckのYA小説だそう。

初めにQueen Mary University of LondonのLucy Boltonさんから短いイントロがあって、この映画がリリースされた92年は映画史観点で眺めるととても豊かな年で、他にどんなものが出たかというとね、で挙がったのが Sally Potterの”Orlando”、Cameron Croweの”Singles” 、Abel Ferraraの”Bad Lieutenant”、Robert Altmanの”The Player”、Quentin Tarantinoの”Reservoir Dogs”、Nora Ephronの “This Is My Life” – 他にも沢山あがったのだが憶えていない、けど、wikiでこの年の公開リストを見ても確かにとっても充実している気がする。”1991: The Year Punk Broke” (1992)の後に続けて出てきたなんか重みや臭みの抜けたかんじの。

で、そういう中でもAllison Andersによる本作は90’sのgemと呼ばれていて、それがなんでかはこれから見てね、って。 確かに宝石みたいな。映画の中に光る石も出てくるし。
あと、監督はWim Wendersを師と仰いでいて、”Paris, Texas” (1984)のロケ先ではUnder Studyとして張り付いていたのだという。その辺のかんじ、あるかも。

ニューメキシコのトレイラーパークに母Nora (Brooke Adams)と姉のTrudi (Ione Skye)と妹のShade (Fairuza Balk)が暮らしていて、父は蒸発していなくて、Noraは地元のダイナーでウェイトレスをしてて、Trudiは素行不良で学校やめて母と同じところでバイトを始めて、Shadeは地元の映画館でメキシコ映画の女神Elvia Riveroの主演作品を見てはうっとり泣いたりしている。

3人ばらばらに起きて帰ってきて寝て、たまにダイナーで会って、たまに喧嘩して怒鳴りあったり、がらんとした町と家の間でそういうのを繰り返しながらTrudiはイギリスから来た男 - 洞窟で光る鉱物を探している - と仲良くなり、NoraはTVのパラボラアンテナを立てる技師と仲良くなり、Shadeは映写技師をしている男とぶつかったりしながら仲良くなり、そこに行くまでにもさんざん互いの言いあい泣きあい引っ掻きあいが – 特にNoraとTrudiには – あって、どうせまたすぐ別れそうだしすぐ喧嘩しそうだし大変よね、なのだが、そんなふうにやりあいながらずっとこの母娘はやっていくんだろうなー、くらいの突き放し感がすてきで、それらを(トレイラーハウス故の?)朝の光とか夜の暗さがほんわか包んでいて、なんかいいな、になる。

ものすごい幸せとかものすごい悲しみとかがやってくるものではなくて、どちらかと言うと退屈さつまんなさとどう向きあってイライラをやり過ごしていくのか、みたいな話なのだが、そうであったにしても、この場所の、この3人なら、って(男なんていなくてもべつに)。

音楽を担当しているのはJ. Mascisで、他にOrchestrationパートはMagazine – Bad SeedsのBarry Adamsonが。 92年というとDinasaur Jr.は”Green Mind” (1991)を出した頃で、あの当時のあのバンドが湛えていた透明感- 気持ちよく澱むギターサウンド - これは次作の”Where You Been”ではまたちょっと変わってしまう - が、映画の空気感と見事な調和を見せている。もうちょっと壊してもいいんじゃない、くらいに清々しいの。 彼、カメオで出演もしているらしいのだがあれかなあ、くらいでわからなかった。

あとはカーラジオから流れてくるNick Cave and the Bad Seedsの“Lament”とか、ラストには声だけでそれとわかるVictoria Williamsとか。

8.07.2019

[film] Blonde Venus (1932)

1日木曜日の晩、BFIで見ました。 月が替わって始まった8-9月のBFIの特集 - ”Cary Grant: Britain's Greatest Export”からの最初の1本。 今回の目玉は”Notorious” (1946) - 『汚名』の4Kリバイバルで、見たことがあるのも結構あるけど、できるだけ追っかけていきたい。

監督Josef von Sternberg – 主演Marlene Dietrichで『上海特急』に続く作品。 -   邦題はそのまま『ブロンド・ヴィナス』。

冒頭、ドイツの森のなかにある池で女性たちが裸で泳いでいて、そこにアメリカ人の学生たちがやってきて覗いて、泳いでいたHelen (Marlene Dietrich)はあっちに行ってください、と追い払おうとするのだが学生のひとりNed (Herbert Marshall)はやだよ、ってやりとりが始まって、その数年後、水面を映していたカメラはバスタブでばしゃばしゃしているふたりの息子 Johnnyの脚にジャンプする。

家族3人はとても幸せに暮らしているのだが、Nedは仕事でラジウム中毒になって、医者が言うにはよい治療があるけど、それはドイツで6ヶ月間かけて$1500必要、と言われ、Johnnyが寝た後でふたりで話すとHelenはあたし昔みたいに歌って稼ぐから、と言い、Nedはよい顔はしないのだがHelenはキャバレーでゴリラの被り物をしたりしながら歌い始める。

と、そこの常連でお金持ちのNick Townsend (Cary Grant)がHelenに目をつけて、Helenも彼の羽振りがよいことを聞いていたので迫っていって、歌っているのは夫の治療費のためで子供もいて、ていう事情を話してもNickは治療費を出してくれるからそれに甘えてNedには出演料を前払いして貰ったとか嘘をつき、彼がドイツに旅立ってからJohnnyとふたりでNickの世話になって楽しく過ごしたりする。

で、予定より早く治療を終えてがらんとした家に戻ってきたNedが金の出どころも含めて全てを把握すると当然激怒してもう一緒には暮らせないJohnnyを置いて出て行け、というので息子を取られたくない彼女はJohnnyを連れて旅に出て、南部の酒場で歌を歌ったり日銭を稼ぎつつ転々と逃げていくのだが、やがて追っ手に見つかってJohnnyとは引き離され..

全てを失って開き直った彼女は本腰いれてばりばり歌い始めて、パリでも成功するのだがやはり気掛かりなのはJohnnyのことで、それを察したNickは..

ショービジネスのお話しのようで夫婦愛の話のようで辛い子連れ逃亡旅の話のようで、いろんな要素があるなかではやはり家族愛のこと、になるのだろうか。

ちょっと暗いけど正直者のNed - Herbert Marshallと明るくさばさばしたHelen - Marlene Dietrichが最初に出会ったときのやりとり(ふたりはどうやって出会って結婚したの?ってJohnnyが何度もせがんで聞く話し)が底に流れていって、最後のお別れにってHelenがJohnnyにハイネの詩を詠んであげるシーンにメリーゴーランドとかが被さってぐるぐる回り始めるとなんか魔法、というか騙されているんじゃないか、とか。

そうすると最初は胡散臭い若い成金やくざにしか見えなかったNickも、あんたそんなによいひとでいいの? そんなよいひとなのになんで大金持ちなのさ? って。

ここでのCary Grantはまだぴかぴかのぱりぱりで、なのに得体のしれないオーラは既に滲んでいて、そんなことよりMarlene Dietrichだねえ。子連れ逃亡の気疲れでぼろぼろなのに、でも歌うたう時はぱりっとして、あれもこれも愛と歌に生きているから、ただそれだけのことよ、ってさらっと言ってしまう、そういうかっこよさがあって、で最後はほんとに愛の言葉を囁くだけでぜんぶ元に戻っちゃうんだからすごいわ。

やっぱり最初のとこ、池で裸で泳いでいたのはヒトじゃないなにかだったに違いない、と。