7月5日、土曜日の晩、Kings Crossより奥に行った変なとこにある小劇場みたいな寄席みたいなPleasance Theatreで見ました。
連日の公演ではなく、この日のこの回のみの上演で、昨年はBosnia and HerzegovinaではなくChileのケースを”Rewind”していたらしい。 この場合の「ケース」とは、国や政府が特定の民族や思想をもった人々を拘束、勾留、拷問して最終的に(大量に)虐殺した歴史的に記録されるべき惨事のことで、遺体の検屍をしたフォレンジック・チームの報告を元に彼/彼女に何が起こったのかを”Rewind”しようとする。
上演時間は1時間程、舞台の奥にはコインロッカーのように四角で仕切られた蓋つきの棚が壁みたいに覆っていて、電気ブズーキから打楽器からループからヴォイスまでをひとりで操作していくマルチ奏者の他に4〜5人のパフォーマーがOHPでヴィジュアルも操作したり歌ったりアジテーションしたり叫んだり全員がフル稼働で、演劇というよりマルチメディアのパフォーマンス - ストーリーを語るというよりRewindされた結果をなりふり構わずぶちまける - に近いのかも知れず、これを連日上演していくのはしんどいのかも、と思った。
30年前のこの7月、ボスニア・ヘルツェゴビナで、当時のスルプスカ共和国軍と大統領によって8000人以上のボシュニャク人が虐殺された - これは2つの国際法廷からジェノサイドとして認定されている(と上演後のトークで言及があった)。映画だと拘束される家族の側から描いた”Quo vadis, Aida?” (2020) - 『アイダよ、何処へ?』があって恐ろしくて震えてるしかない。
入り口はひとつの男性の遺体のフォレンジックの結果、彼がどのような状態でなにをされて亡くなったのか、そもそも彼はどこの誰なのか - 確かめる家族もいない - 等が明らかにされて、背後のロッカーの蓋に彼の写真が貼り付けられ、エンディングではその枡目がひとつまたひとつと順番に埋められていく。そしてこの遺体の特定作業は現在も続けられている、と。
科学的手法(フォレンジック)により身元や死亡時の状況が精緻に詳細に明らかになればなるほど、怒りと嘆きのエモーションは暴走して行き場を失って止まらなくなっていく。それはパフォーマンスが喚起するなにか - 広げられた史実を超えて、ただただ恐ろしく、打ちのめされるしかなかった。
上演後のトークはこの件を追っている政治学者の人と現地でずっとフォレンジックを担当している医師の人、今回の劇を作った劇団側の人などが集まって、彼らが口々に語っていたのは、ここまで事態が悪化し広がってしまう前に、なぜ国際社会は何もしようとせず、またできなかったのか、アウシュビッツを経験していてもなお。 そして今も全く同じことがパレスチナで繰り返されようとしている、と。 なぜ?
11日金曜日の夕方、ハイドパークでNeil Youngの前座として登場したYusuf / Cat Stevensも、懐かしく暖かい曲の合間に今から30年前、ヨーロッパの中央で多くの人が殺害されました、と静かに語り、そこから更に”Free Palestine!”を叫んで喝采をあびていた。
“REWIND”と言えば、週末にBBCでLIVE AIDの40周年で当時放映されたライブ映像をずっと流していた。イベント史上空前の出来事だったのかも知れないが、よい話だった、って酔う前になんで未だに国・地域の間の格差も、難民もなくなっていかないのか、検証すべきはそっちだろう、と改めて思った。世の中はどんどん酷くなっている - 日本の選挙のことも含めてすっかり(ずっと)政治の季節になっている。
7.14.2025
[theatre] REWIND: Bosnia and Herzegovina
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