7月12日、土曜日の昼、BFI IMAXで見ました。2Dで。
James GunnによるSupermanのリブート。批評家受けは余りよくないようで、ということはこれはよいやつなのかも、と思ったらやっぱりよかった。終わって拍手も起こっていた。
誕生/登場の経緯はすっとばして、Superman (David Corenswet)は30年前に地球にやってきて、人の子として育てられ、いまは他のMetahuman(Alien)と共に日々正義のために戦っている、という設定があって、冒頭からバトルに負けてぼろぼろになって南極の氷の上に落ちてきて、口笛で寄ってきたマントを羽織ったわんわん – Kryptoに引っぱられ、氷のなかから現れた彼らの基地のようなところでロボットたちから治療を受けている。
Zack Snyderの”Man of Steel”ががんがんにグレイのメタリック(鉄だから)で、スイッチが入ると情け容赦ない魔人のように狂っていたのと比べると、今回のは随分と柔くて、そこら辺が低評価に繋がっているのだろうか。結構ぼこぼこにやられるし、どんな人でも見かけたら救おうとして動きを止めちゃうし、新聞記者相手に悩んだり嘆いたりしているし、そんなの我々が望んでいたSupermanの像とちがう、と。
1978年のRichard Donner/Christopher Reeveによる”Superman”のように他の星からの救世主として素直に受け入れられてそのありえないような飛翔と活躍をみんなでわーわー歓んでいればよい時代は去って、まずこの他者-Alienはどれくらい危険なのか、どうして危険じゃないと言い切れるのか、人類にとって益となるのか不利益となるのか等を審査しなければならず、では誰がどうやってそれを裁くことができるのか、といった企業がやっているリスクマネジメントや入国管理の審査みたいなことを延々やることになる。Supermanが”Super”であること、その能力をフルに発揮してもらうためにはここまでやらないと有機的に機能するストーリーにはならない(そうでなければ隙間に陰謀論が)、という現代の面倒くささともどかしさと(誰がこんなふうにしやがった? は常に思う)。
これが炸裂するのが予告編でも見ることができたLois Lane (Rachel Brosnahan)によるSupermanへのインタビューだろう。Supermanのポジションや拠って立つところを執拗に追及・確認しようとするLois Laneに対して「人々が死んでいるんだよ!」って吠えるシーンは象徴的で、「賛否」が分かれるところ、ここで「賛否」に持ちこまれてしまうことへの苛立ちもある。Supermanならまず人々を救え、と? でもここは、いまの政治家やジャーナリズムに対するいいかげんにしろよ、の批判としてわざと出されたのだと思う。あんたらが自分たちの権益やポジショニングに拘って高いところから偉そうにふんぞり返っている間に子供たちは何人も殺されて悪や不正が容認されて愚かな政治家たちがのさばっている。恥を知れ、しかない。
勿論、それと同じくらいに人々の声の危うさというのもあって、これらを自在に操作して目くらまししてのし上っていく大企業のワルLex Luthor (Nicholas Hoult)も、それが結果的に無力化・矮小化してしまう国家間の紛争も、ぜんぶが今の映し鏡で、それらに対する苛立ちとか、もうわかっているし十分なんだよ、ファンタジーに近いヒーローものでそんな雑巾見せないで、になるのもわかる。
だからこれはパンクなんだ、ってSupermanがいきなり言うところはややびっくり(つまんでたビスケット落とした)で、これが出てきた文脈で言うと、「あなたはすべてのもの、すべての人を美しいと思っている?」というLois Laneの問いに返したもので、間違っていないかもだけど、あんたが聴いて育ったのは90年代のエモ寄りの「パンク」だろうな、って思ったり。 しかしSupermanがパンクになってしまう今の世の中ってどうなのか。(そして、そう言うなら一曲くらいやかましいの流してみたらどうか)
もう一つは出自とか外見とかxxファーストとか、Alienだからどうだっていうのか、というところ。ここは今だから、今があまりにひどいから敢えて、でもよいのだと思う。まじで。”Guardians of the Galaxy”シリーズを異様な家族の物語に仕立ててしまったJames Gunnだからこそ、でもあるし。
Clark KentとPa Kent, Ma Kentのやり取りが素敵で、よい親に育てられるとこうも… っていうところで、俺だってなあ、とLex Luthorが自分の子供の頃の”About a Boy” (2002)の映像を持ってくるというのはどうか。そんなに脱線しない気がする。
でも一番よかったのは暴れわんわんのKryptoだなー。監督の飼い犬”Ozu”がモデルだそうだが、名前にするなら”Yasujiro”の方だろう、って誰が言ってあげて。映画での飼い主は宇宙を遊び歩いているSupermanのいとこのSupergirlなのだそう。MCUとDCUのコラボって、別にどうでもよかったのだが、そのうちなんとしてもSupergirl & Kryptoと、同様に宇宙を放浪しているCaptain Marvel & Gooseがぶつかるお話を作ってもらいたい。あのアライグマも出てきていいから。
7.14.2025
[film] Superman (2025)
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