2月10日、土曜日の晩、Barbican Centreで見て聴いた。簡単なメモ程度で。
Alessandroさんは、2018年の4月にもBarbicanの別の、もう少し小さいホールでライブをしていて、その時にも行ったのだが、今回は本体の方のでっかいホールでの公演で、もちろん売り切れたりせずに前日でもよい席が簡単に取れてしまったりするのだが、でもちゃんと上階のほうまで埋まっていた。
前座はKMRU。ケニアの人からきてドイツで活動しているJoseph Kamaruさんのユニット、ヴィジュアル担当の人(?)とふたりで出てきて、みょーん・びょーん、ていうアンビエントを。寝ちゃうかも、だったのだが白黒のパターンが瞬きつつその境界が刻々と変幻していくヴィジュアルがすばらしく、飽きがこなかった(いや、飽きとか言うな)。
客席にはやはり男性の年配の髭熊系のもっさりしたおじさんたちが多く、NINやHEALTHのシャツの人も当然いる。
ステージ上には机の上に操作盤と小さなライトとモニタースピーカーのみ。
ひとりで出て来てスイッチいれて、映像も自分で - 前回のときは自分で撮影した町や家の景色もあった気がしたが、今回のも自分でなんかこさえたのかも。マクロのレンズで部屋の床とか机の上に薄っすら積もったゴミだか化学物質だかをちりちりと拡大しつつ追っていくような(ぜんぜん違ってたらごめん)そういう緊張感とスケールでもってゆっくり動いていく絵というか写真。
音楽はやはり前座のアンビエントとは全く異なるスケールの音像が、立ちあがる、というかんじで立ちあがって投影された映像のチリだかホコリだかを微細に揺らしつつ大陸をスライドさせていくような。がりがりごつごつした塊りだけでなく、いろんなサイズ、いろんな色彩をもった音が壁を作る塗りこめる、というよりひとつひとつ積み木を置いて積んで組みあげていく。ベースぽい素朴な音のなんとも言えない鳴り方とか。ながーい1曲か2曲かを1時間やったかやらなかったか。あっという間だった。
あれだけ完成された分厚い音の塊り - ピザの生地をめりめりと練りだすマシーンのようなNINにおいて、ライブメンバーとしてなんで彼が必要とされるのか(Atticus Rossがいるからいいじゃん、ではなく)、彼のライブを聴いてみるとよくわかる。鍋をふって火花が散っている窯場でほんもんのパンチェッタやラルドを的確にさっさか撒いたり焼いたり使える料理人が必要、ということなんだろうな、とか。
彼、風貌がなんとなくJim O'Rourkeに似てきているような。なんであんなふうになっていくのか。
イスラエルはガザの大虐殺をとにかくやめてほしい。なんのために我々は本を読んで、音楽を聴いて、映画を見たりしてきたのか。すべてが台無しになる。そんなことより、とにかく人を、子供を殺すな。なんでこんなことが起こりえるのか。
2.14.2024
[music] Alessandro Cortini
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