1月28日、日曜日の午後、BFI Southbankで見ました。『ウィンダミア夫人の扇』
前回英国にいた頃から、BFIでは月一回、日曜の午後に生伴奏つきでサイレントの古典を上映していて、そのシリーズをまだやっていたのはとても嬉しかった。上映前に解説をしてくれるBFI National Archive curatorのBryony Dixonさんもピアノ伴奏のStephen Horneさんも変わらず。
原作はOscar Wildeの1892年の舞台劇、監督はErnst Lubitsch。MOMAが4Kリストアした88分版。
Oscar Wilde自身が細かく手を入れていった舞台版を見たわけではないのだが、これに関してはLubitschの方が勝っているのではないかしら。Wildeがこれを見たらなんと言っただろうか? というくらいにおもしろくて、そのはらはらどきどきは最後の最後まで止むことがない。
ロンドンに暮らすWindermere卿(Bert Lytell)のところにMrs. Erlynne (Irene Rich)から会いたいという連絡が入り、Windermere卿夫人のMargaret (May McAvoy)はなにそれ?/だれそれ?になるのだが、自分のところにはDarlington卿(Ronald Colman)が言い寄ってきたりいろいろあり、自分はMargaretの母だというErlynneにいきなりそんなこと言ってもだめでしょ、とWindermere卿が口止めの小切手を切ったりしていると、ふたりの仲をMargaretは怪しむようになり世界がぐるぐる回りだし、それでも強い意思をもって会おうとやってくるErlynneを止められずに4者の攻防がばらばらとこんがらがって、なにがどっちにどう転ぶのか、まったく見えない状態になっていく – のが大きいのか小さいのか自在に伸び縮みする「社交界」で巻き起こる。サイレントなのに、ひそひその陰口も含めてものすごくいろんな声が四方八方から響いてきてうるさいったらない。
置き忘れていった「扇」は証拠の品、というよりも新たな火種とか炎をかきたてるためのものでしかなくて、それ以上に大きな部屋にぽつんとひとり、あたしはなにをやっているのか? ってきょとんとしてしまうMargaretとか、一瞥しただけであんたはお呼びじゃない/あんたはこっちにおいで、って自動振り替えマシーンになるパワフルなErlynneとか、そりゃわたしはただの犬ですけどものすごく賢いのでなめんな、っていうWindermere卿とか、彼女がこっちに寄ってきてくれるのなら種馬だろうがなんだろうが、っていうDarlington卿とか、全員がとんちんかんな方角を見てその人を引き寄せたり遠ざけたり、に全精力を傾けていて、しかもなんでそんなことをしているのか、その本人にしかわからないし共有してはならない、という全体の掟 - 貴族はヒマでいいなあ - のありように圧倒される。 どこか別宇宙の知らない生き物たちを見ているような。
これと同じようなことを我々も普段の生活でやっていることはわかる、のだがこんなふうに幾何学模様の方程式のようにして示されると、ヒトってなんかすっげーバカなのかヒマなのかお利口なのか、わかんなくなるかも。でもとてつもない時間と労力のムダである気はして、でも日々のコミュニケーションなんて、これらの簡易版の集積&大量の見て見ぬふり大会、なのではないか、って。なにかを回避するために別のなにかを用意したり敷きつめたり、の大盤振る舞いで、こんな状態だって恋は勃発する。
あと、これだけいろんなやり取りを四方八方に繰り広げながら悪とか悪いひとの在処などから離れている。コメディだから、って言うのは簡単だけど、これだけのはらはらどきどきを悪の添加物なしで均質に広げてみたのってすごいのではないか。
英国に来てもう1ヶ月が過ぎてしまった。
映画は見たりしているがそれ以外はなんもしてないよう。
2.04.2024
[film] Lady Windermere's Fan (1925)
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