9.15.2023

[film] June Zero (2022)

6月10日、日曜日の昼、シネマカリテで見ました。
邦題は『6月0日 アイヒマンが処刑された日』。 最近、ナチスドイツ絡みの映画が多いような気がしているのは単なる気のせい?

New York Jewish Film Festival 2023でも上映されたJake Paltrow監督作品。言葉はほぼヘブライ語 - アラビア語、スペイン語が少し - で、全編スーパー16mmで撮影されている。

1961年、ユダヤ人の大量虐殺に関わったアドルフ・アイヒマンはテルアビブに収監され、あの有名な裁判の結果、すべての訴状で有罪となり絞首刑を待つばかりであった – というところから話は入っていかない。

13歳のユダヤ系リビア人移民のDavid (Noam Ovadia)が学校で悪さをした罰で父親に鉄工所に連れていかれて炉のようなところに体が入るかどうかをチェックされ、しばらくそこで働くように言われる。なにを作るのかはわからず、そこの社長Shlomi (Tzahi Grad)の部屋に入るといろんな勲章とか火器のようなものがあり - 彼はイスラエルの暗殺部隊にいた過去が - ガラスケースに入っていた金時計を盗んだりするのだが、鉄工所の仲間にも馴染んでいって、やがて可動式のコンパクトな焼却炉、のようなものをひとつ作ること、その期限があることもわかるのだが、それをなにに使うのか、始めのうちは明らかにされない。

次のエピソードは旧知の仲らしいShlomiに炉の話を持ちこんだ刑務所の刑務官Haim (Yoav Levi)の話で、彼の仕事は厳重に収監されていて死刑執行を待つだけのアイヒマンに自殺も含め彼を殺さないように「守る」ことで、なんとかしてアイヒマンの独房に近寄って情報を得ようとするジャーナリストから髭剃りをする床屋まで、変なことをしないように目を光らせるのだが、ユダヤ系モロッコ人である彼自身にしても、アイヒマンに対する恨みは当然あるし、どうせ日がくれば国によって殺されることが決まっている彼を汗かいて必死になって守らなければならないのか、というのはあるし。

次のエピソードはポーランドのゲットーを訪れて自身が生き残った経験を話すMicha (Tom Hagy)がいて、イスラエル代表団の女性が、アメリカからやってくる使節団に対して彼の経験を聞かせるべきだろうか? 彼が話したようなトラウマ、彼の受けた傷を観光目的で来た連中に軽々しく共有すべきではないよ、って喧嘩腰で吹っかけてくる。Michaはアイヒマンの裁判の際も検察官として間近でアイヒマンに接していたのだが、これに対する彼の答えって、ホロコーストという人類史上類を見ない悲惨にどうやって当事者でない我々が向きあって継承していくべきか、について考えるとてもよい材料だと思った。

タイトルはイスラエルの「死刑を行使する唯一の時間」の定めに基づいた、1962年5月31日から6月1日の日付が変わる真夜中 – だから”June Zero” – から来ていて、Shlomi – Davidの鉄工所が作っていたのは刑執行後のアイヒマンの遺体を焼くための焼却炉で、イスラエルでは火葬が禁じられているので使われるのはこの一回のみ、前例もないので焼却炉の設計図はナチスがユダヤ人を焼いたときのものが元だとか、炉が出来あがって試しに羊かなんかを焼いてみたらおいしそうに焼けてしまったがいいのか?(→火力が足らない) とか、そんな漫画のような”Zero” - 消失点に向かって人々が不安で目を泳がせながらばたばたと動いていく。

世界が注目した大物戦犯の最期は - イスラエルが国際法に違反して逮捕~拉致したものだから? - こんなにも静かに、歴史を消したり燃やしたりするかのようにひっそりと実行されたのだ、と。ここにはいろんな見解や隠された事実もあるのかもしれないが、この映画はそれらをばらばらと灰のように撒いてみせる。

こんなふうに描かれたイスラエルの戦後は、現代が舞台となるエピローグで、焼却の際のエピソードをウィキペディアに載せろ、俺はあの場にいたんだ! って言ってくるところまで含まれて、おそらく歴史修正の辺りへの目配せもあるのだと思うが、このパートは別にいらなかったかも。

でも、こんなふうに歴史的転換点の前線にいた、居合わせることになった市民の身の回りのことってもっと描かれるべきよね。 『この世界の片隅に』(2016)とかあったけど、日本映画が描く戦争って絶叫したり泣いたりの兵士とか吠える権力者とかそんなのばかり(まるでスポーツ)でぜんぜん見る気がしないな、とかそんなことまで。

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