9月2日、土曜日の昼、シネマヴェーラのウクライナ・ジョージア・ソ連映画特集で見ました。
邦題は『夢』、英語題は”Dream”。監督は『一年の九日』(1962)、『十三人』(1937) がおもしろかったMikhail Romm。
西ウクライナの農村に両親と暮らすAnna (Yelena Kuzmina)が食べていけないからポーランド(当時はポーランド統治下)の方に出稼ぎに出ることになり、両親がお祈りするのが冒頭で、街の食堂で給仕する彼女は嫌なかんじの男性客に難癖つけられたり散々で、それだけでは食べていけないので夜遅くに下宿屋に戻ってからもそこの靴磨きや洗濯掃除をする女中として働いている。
その下宿屋の名前が「夢」で、おなじ場所で食料品店もやっているケチで口うるさいマダム(Faina Ranevskaya)が大家で、彼女に溺愛されている中年息子のLazar (Arkadi Kislyakov)は設計エンジニアを目指して応募したりしているが無職で、Vanda (Ada Voytsik)は新聞に交際&結婚相手求むの広告をだし続けていて、他には世界一の御者になりたいけどぜんぜん客がつかない御者、などなどあんまぱっとしない宿屋の連中は毎晩ビンゴのテーブルを囲んで世間に向かってグチとか呪いの言葉とかを吐き続けていて、この場所から動くことができない。
Annaは彼女と同じく都会に出てきている兄経由で兄の友人らしいTomash (Vladimir Shcheglov)と知り合って、ちょっとときめいたりもしたのだが、彼らと会ったりすれ違ったりした後には必ず警察らしき面々が現れて、彼らのことを知っているか? ウソついたらえらいことになるぞ、などと聞いたり脅したりしてくる。
やがてAnnaは食堂をクビになり、Lazarの応募は選から落ちて、でも彼は選ばれたぞ! って周囲に嘘をついて母の金を持ち出しAnnaを連れて高級レストランに、Vandaのところには自称富豪が現れ、やがて騙されていたことがわかったVandaは自殺し、これらいろんな化けの皮に威圧されたり振り回されてばかりのAnnaはすっからかんになった上にTomashの件で逮捕されてしまう。なにが悪いのか、どうしてこんなことになってしまったのかさっぱりわからない… 不条理劇のように壊れていく/壊していくそれぞれの「夢」たち。
「夢」というひとつ屋根の下宿屋の住人の、ひとりひとりの夢が目の前で崩れて破れて塵と消えていく様とそれらをもたらした個々の欲望、見栄、焦り、諦め、絶望、やけっぱち、その刺しあい潰しあいなどを目の前の絨毯の模様やシミのように生々しく、それが巻いて巻かれて叩かれる業とか運命とか、それを黙って天井裏から見つめる誰かの目線まで含め、なんの慈悲も誇張も飛躍もなしに描いて、理解できないことなんて、古くさいものなんてなにひとつない。バルザックやトルストイを読んで沁みてくる喜劇なのか悲劇なのかのあれ、としか言いようがない近さで。
『一年の九日』も『十三人』も、どちらも登場人物たちが望むと望まざるとにかかわらず、ひとつの場所 - 研究所とか砂漠とか - に縛られて動けなくなったまま、ひたすら死に向かって転げ落ちていくお話だったが、これもそれに近く「夢」の屋根の下から出ることができないままにそれぞれが破滅に向かっていって、他にどうすることができただろうか? って彼らの強いクロースアップは訴えてきて、それらに自業自得だろ、なんてとても言えない。ついていなさすぎ。
それでも最後の最後に「夢」が何かをしたのかしなかったのか、Annaは唐突に復活して、それが指し示すなにかは冗談のようにも、あるいはまた別のありえたかもしれない「夢」のようにも見えてしまうのだが、政治とか革命がそれを可能にした… のだろうか。 なにが起こったのかがよくわからないところがまた..
邦画だとこのような破滅とか転落にはギャンプルなどが絡んでくるのかしら。なんとなく寺内大吉原作の競輪の映画 - 『競輪上人行状記』 (1963) などを思い起こしてしまった。でもこっちの方はどう見ても自業自得とか甘えとか、仏教ぽいというか..
9.10.2023
[film] Mechta (1943)
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