8.04.2023

[film] Lady Chatterley (2006)

7月30日、日曜日の夕方、日仏学院の「映画、気象のアート」特集の最後の1本で見ました。

邦題は『レディ・チャタレー 完全版』168分、ぜんぜんまったく長くない。設定はイギリスの炭鉱があるシェフィールド、のはずだが、みんなフランス語喋っているし、映しだされた四季の山々の景色や気象はどうみてもフランスのそれで、でも構うもんか。すばらしくよかった。 その年のルイ・デリュック賞とかセザール賞のベスト・フィルム等をいっぱい獲っている。

監督はPascale Ferran。原作はD. H. Lawrenceの後に有名な“Lady Chatterley's Lover” (1928)となる前の、第二稿と呼ばれる”John Thomas and Lady Jane” (1927) – 未読 - で、猟番の名前や過去の設定が少し違っているそうだが、監督によるとよりシンプルで直截的なお話しである、と。

カントリーハウスに暮らすSir Clifford Chatterley (Hippolyte Girardot)がいて、第一次大戦で負傷して車椅子での生活を送っていて、妻のLady Chatterley - Constance (Marina Hands)はそんな夫を日々ケアしつつも将来も含めて漠然とした不安を抱えて – いるとは言わないものの、突然不安定になったりして医師に診てもらっても身体に問題はなさそう、と。

散歩に出たりディナー用のキジを頼んだりに行ったときに会った森の猟番のParkin (Jean-Louis Coulloc'h)のことが気になり始めて、でも向こうは当然不愛想なままで、でも花はきれいだし外は気持ちよいので小屋の合鍵を貰えないか頼んでみたりしたあたりからー。

森のなかを歩くのは身体にもよさそうなので、勝手に猟番の小屋に通うようになり、彼もそんなに不愛想でもなくなってきて、キジのふわふわのヒナを持たせてもらった彼女はそのまま泣き崩れてしまい、それを介抱するかのようにふたりは抱き合い、その状態のまま転がるように小屋に入って床に彼女が下で彼が上に乗って、彼の方がずっと声をあげてて、彼女は天井の方を見たまま固まってほぼ動かず、あっという間に終わっちゃって衝動に任せたのでも愛の交歓もなにも動物みたいなそれだったのだが、それでも彼女は通ってくるようになり、これまでより快活になったり、そうしているうちに別の不安が – これは彼にも彼女にも - やってくる。

夫のCliffordは彼女の変化からなにかを感じ取ったのか、彼女が妊娠して後継ぎを作る可能性について聞いてみると、あるかも、とか、姉と地中海の方に旅行に行く機会もあるしね、などとあっさり返してきたので、彼は少し狼狽えて、突然電動車椅子を試してみたりアグレッシブになったりもするのだが、もうそんなの遅くて彼女は妊娠しているのだった。

彼女が休暇で旅立つ前にConstanceとParkinは小屋でひと晩と夜明けを一緒に過ごして、旅先から戻ってきたらConstanceがお金を出して農場を買ってあげるから一緒に暮らそう、とかそういう話もして旅に出てバカンスを楽しんでいると、家政婦からの手紙でParkinを捨てて別の男に走った妻が相手に捨てられて戻ってきて、いろいろ大変なことになっている、ってあった…

設定だけだとなんか大変そうなのだが、周囲からの苦難を乗り越えて突き進むふたり、とか負けずに前に進もうとする女性主人公、という渦やネジを巻くトーンはあまりなくて、森や原っぱで、薄暗い小屋や屋外で陽に照らされたり雨でずぶ濡れになったり花を摘んだり乗せたりしながら一緒にいるとなんか気持ちよくていいねー、くらいで体を重ねたりして生きていくさまがよくて、そう、とにかく森のなかで生きて転がって体を伸ばしてみる感覚、のようなのが伝わってくる – このかんじは前の日に見た”Van Gogh” (1991)にも確かにあったような。

金持ち貴族だけど身体の自由がきかなくなっている夫といろいろ先が見えずに塞がれている妻、性愛のどん詰まりをどうにかしないと、と思っているところに森の熊のような男が現れて、その野生に.. みたいな定番の展開を裏切るかのように、まずはそういった邪魔を排した気持ちよさと自由の探究みたいのがあって、その線で見ているほうもなんだか気持ちよくなっていくのと、あのなんのひねりもないエンディングのそっけない終わり方、大好き。

Parkin役のJean-Louis Coulloc'hさんは素人らしいのだがなんかよくて、少し前ならVincent Macaigneとかでもはまったかも。 

0 件のコメント:

コメントを投稿

注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。