2.24.2023

[film] Seule, Géorgie (1994)

2月19日、日曜日の午後、イメージフォーラムの特集『オタール・イオセリアーニ映画祭 〜ジョージア、そしてパリ〜』で見ました。

昨年の今頃は岩波ホールでジョージア映画祭だったあの季節枠、なのかしら。イオセリアーニはぜんぜん見れてこなかったのでこの機会にきちんと見たい。ここんとこ、他にいろんな特集があるのできちんと追える保証はまったくないけど、がんばる。

日本ではこれが初公開となる、全3部(第一部:91分、第二部:69分、第三部:86分)からなる TVドキュメンタリーとして作られた約4時間(あっという間)のドキュメンタリー。邦題は『唯一、ゲオルギア』、英語題は”Georgia, Alone”。

ソ連が崩壊した後、周辺各国で内戦が勃発して、ゲオルギア(ジョージア)もその最中にあって、このままでは祖国が無くなるかもしれないという危機感から製作されたという。

第一部が"Prelude"で、ジョージアとはどんな国なのか、その歴史と文化をざっと概観し、第二部の"Temptation”で、ロシア革命後、大国ロシア~ソ連との関係で国の輪郭が揺れ出すところを、第三部の"The Ordeal"で、(当時)試練のどまんなかにあって大変なジョージアの現在、を描こうとする。

第一部の冒頭で、壮麗な、おとぎ話のような山とか尖塔とかの昔から続く風景に続けて、内戦下で機関砲や機関銃を近距離で撃ちあっている首都トビリシの現状が対比される。なんでこんなことになったのか、を掘りさげるべく、まずはすぐそれとわかるバレリーナ - Nina Ananiashviliさんの - まだ米国に渡る前だろうか - 美しい舞いと、オペラ歌手(知らない)とピアニスト(知らない)の映像を導入として、ジョージアの豊かな文化とそれを培った歴史・風土が紹介されていく。太古から壺で作られているワインとか、33文字からなるかわいいアルファベットとか、あのたまんないパン(あーたべたい)とか、文明の真ん中にはカトリック~ジョージア正教を軸とした祈りの伝統、歌の伝統があり、中世のタマル女王の黄金時代を迎えるも地理的にはシルクロードはじめ、クロスロードのど真ん中に位置していたので常に戦火にさらされて、この辺はジョージアのいろんな映画で描かれてきた(その抜粋)、と。

そうして1914年に第一次大戦が起こり、1917年に十月革命が起こり、翌年に国として独立して1921年にソ連に移行する。昔からはっきりとした文化と国民意識でもって土地、大地に刺さってきたジョージアという国がより大きな歴史のうねりに巻かれるようになる、でもどんなにぼろぼろにされたって聖ゲオルギオスはそこにいて、見ているのよ、って。ジョージア文化の表象たちがどれだけ強固な意志とともに自分達のものとして形作られてきたものだったか、見ていけばわかるように構成されていて、揺るぎない。

第二部は、幸福な時代のはずだった独立~ソ連化が表と裏でどんなふうに進んでいったのか、ソ連(スターリン)の頃のプロパガンダ映像(スポーツ)、工業化、システム化がもたらす弊害とかやばさ(密告とか拍手を先に止めないとか)が国を蝕んでいくこわさがあり、他方でチャブキアーニ(舞踊)とかブレヒトの『コーカサスの白墨の輪』とか、止むことのなかった映画製作とか、文化は波に揺さぶられながらも常に饒舌だった、と。

第三部は伝統的な多声合唱団の紹介から入って、この様式のブルガリア~サラエボ~スペイン~ブルターニュ~アイルランドまでの伝播とか、キリスト教やユダヤ教など異教に対する寛容さ、共存へと向かう意識の高さが伝統としてあることを謳いつつ、でもな、って1989年のトリビシ事件に端を発した独立運動がなんであんなに泥沼化していったのか、を1991年に初代大統領となったガムサフルディア - 彼がジョージアを売った恥野郎 – の動き、更にその後のシェヴァルドナゼの動勢と共に追っていく。ニュース映像を繋いでいくスタイルながら、イオセリアーニの切迫感 - 国が失われてしまうかもしれないという危機感が前の二部とは全く異なるテンポとテンションを持ちこんで一気に走り切ろうとする。

この辺、こないだイメージフォーラムで見た『新生ロシア1991 The Event』(2015) – 感想書いてないけど – を思い出して、どちらを見ても(どちらの国でも)フロントに立って広場に押し寄せていくのは市民 - 大勢の市民で、この辺の不屈さって、当たり前といえば当たり前なのかもだが、すごいな、って。(自分のいる国が異常なんだよ。民主主義以前に)

そして、そういう市民(歴史も背景も異なっているので単純に当てることはできないにしても)が前に出ていって闘っているのを毎日のように目の当たりにしているのが、今のウクライナで、つまり人がどんどん亡くなっていて、この状態が独裁政権時代を通じて100年以上続いている。じゃあ何ができるんだよ、かも知れないけど目を逸らしてはいけない。

そして、今の日本 - 日本すごいって虚構のイメージに酔って、実体はがたがたで自滅/自壊しつつある – ここも国が亡くなってもおかしくないくらいのところに来ていると思うのだが、この国にイオセリアーニ的な視点で歴史や美についての映像を作れる人って誰かいるだろうか? って。 吉田喜重が最後だったのではないか。あーめん。

こんな唯一の貌を見せられたら、後のも見たくなるに決まっているー。

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