6.22.2022

[film] Pis'ma myortvogo cheloveka (1986)

6月17日の金曜日、まじであれこれやってられなくなって会社を休み、シネマヴェーラのウクライナ特集で2本見ました。

邦題は『死者からの手紙』、英語題は”Dead Man's Letters”。気圧など諸々で死んでいる今にふさわしいったらない。
監督のKonstantin Lopushansky はタルコフスキーの”Stalker” (1979)にプロダクション・アシスタントとして参加していて、これの原作者のボリス・ストルガツキーは、この作品ではシナリオ(共同)を書いて参加している。

核戦争が起こったあと、放射能汚染のため誰も地上に出られず、実質軍が支配していてどこが安全でなにがどうなっているのか誰もわからない地下世界でノーベル物理学賞受賞者のProfessor Larsen (Rolan Bykov)は博物館の地下収蔵庫だったシェルターに病で伏せっている妻と同僚の家族らと一緒に身を寄せあって暮らしていて、教授は食料や妻の薬を探すために防護服を纏って地下を這って地上を彷徨う。

その過程で政府が進めている嘘か本当かわからない中央のシェルターへの移送計画 - 健常者のみを選別 - のことや、生死も所在も不明な息子Ericに宛てた遺書のような手紙のなかで明らかになるこんな世界になってしまったきっかけとか、まったく先が見えない地下生活と「中央」のこと、表情を失って死んでいるような子供たちの様子などがなんの容赦も希望もない状態でこまこま描かれていてすごい。

画面にはセピアや青のサイレント映画のような彩色が為されていて、「かつてそこにあった世界」が描かれているような趣きもあるのだが、この地下世界から漂ってくる臭気や閉ざされた生活環境の生々しい細部の描写はAleksei Germanの『神々のたそがれ』(2013) - “Hard to Be a God” - これも原作はストルガツキー兄弟だった - の糞尿泥まみれのつらい地獄を遥かにしのぐしんどい、いまのリアルさで目の前に並べられていって、その構築に向けられたエネルギーときたらとんでもない。あのドアとか穴とか、どうやって作ったのか、あの世界は既にすぐ隣のどこかに実際にあって、子供たちはみんな死んだ目をしていて、あの手紙は我々に向けられた本物ではないのか、それを受け取る我々は彼岸のお話として読んでいられるのか、とか。

そうであったとしても驚くな、落ち着け、こんなもんだから、って死者は語っているのだと思って、落ち着く。どっちみち先はないのだ、誰も「ほんとうのこと」なんて語らないのだし、って。


Vnimanie, cherepakha! (1970)

これもシネマヴェーラのウクライナ特集から、↑のから2本あけて同じ日の夕方に。

邦題は『がんばれかめさん』、英語題は”Attention, Turtle!”。かめさんががんばる話しなのかと思っていたらそうではなくて、かめさんに注意せよ! 踏んじゃいかん! って戦車 - なぜいきなり戦車?- が注意する話しなの。亀目線のディストピア映画。監督は、俳優でもあるRolan Bykov。

亀のアップの後、学校に小学生低学年くらいの子供達がわらわら集まってきて、若い女性の先生の教室で亀を飼って愛でているのだが動物愛護強硬派の飼育係だった男の子が突然現れた自称祖母(監督が演じている?..)に栄養懸念があるって研究所に連れ去られて、ひとり残された亀さんを巡って虐待派のガキと穏健愛護派の女の子との間で争奪の抗争が勃発激化して戦車まで登場するのだが、最後はなんとか子供映画のようなかんじで終わる。

亀にしてみればほんと迷惑でしかないし、あんなガキ共を再教育しないでそのまま野放しにしておくから↑の核戦争みたいなことになっちゃうんだって、これはこれで亀さんの書いた「死者からの手紙」なんだわ、ってしみじみ思った。それか、そのまま巨大化してガメラになっちゃえばよかったんだわ。

子供達はみんな(一見、当然)かわいいし、なぜかいつも濡れている路面とか先生や子供達のファッションの色味も素敵で画面構成もきれいなのだが、とっても変てこな変態の映画だと思ったの。 どう変態なのかは下品すぎるので書きませんけど。

『死者からの手紙』もこれも、境界もくそもない抜けられない、どうすることもできない世界の地盤みたいなののありようを手紙とか亀とかに託して綴っていて、その足元の揺るがないかんじはそのままウクライナのいまに繋がっている気がした。行くところまで行くしかない、になってしまうもどかしさとか。

 

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