6.07.2022

[film] Sorok pervyy (1956)

6月4日、土曜日の昼、シネマヴェーラの特集『ウクライナの大地から』で見ました。
いまウクライナがこんなだから、というのはもちろんあるが、それだけでももちろんない。ロシアの映画だって見たいけど、それにしても戦争という名の人殺しはなくならないねえ。

邦題は『女狙撃兵マリュートカ』。英語題は原題をそのまま英語にした”The Forty-First”。監督はウクライナ生まれのGrigori Chukhrai、これが監督デビュー作で、原作はBoris Lavrenyovの同名小説、これを元にして1927年に作られた映画のリメイクでもある。

冒頭、青い海がうねっているところを上から。ここだけでご飯10杯、1時間はいける。

1919年のロシア内戦で、カラクム砂漠を敗走していく赤軍の小隊がいて、みんなへろへろになっているなか狙撃手のMaria - 'Maryutka‘-(Izolda Izvitskaya)は38人目 − 39人目 - とか撃って倒した敵の数をカウントしてて、ぼろぼろの状態だけどラクダを連れた白軍の小隊を襲って、41人目 – これが原題の由来 -を狙って撃ったらこれが失敗して、でも狙った中尉Govorukha-Otrok (Oleg Strizhenov)が機密情報(でも肝心なところは彼の頭のなか)を運んでいることがわかったので彼を一緒に捕虜として連れていくことにして、Maryutkaが彼と自分を紐でつないで監視して面倒を見ていくことになる。

砂漠を横断していくのは大変で、途中でラクダを盗まれてからは倒れてしまってそれきりの兵士も続出で、でもMaryutkaと中尉は互いに張り合うかのようにタフに睨みあってて、そうやってアラル海沿いの親切な原住民が暮らす村について一息つき、話をする余裕が出てくると、中尉は貴族の出で、Maryutkaは漁師の孤児で、でも彼女は革命に燃えて詩を書いてみようとがんばっていたり少し敵味方の関係が緩んでくる。

休んだ後に船で捕虜を運んでいこうとしたら途中で嵐に襲われてふたりを除く兵士たちは海のどこかに放り出されて消えちゃって、ふたりだけ孤島のようなところに打ち上げられて、小屋があったのでそこで一緒に暮らし始めて、彼は彼女をロビンソン・クルーソーにならって「フライデー」って呼んで、彼女が「フライデー」って何? と訊くので、ロビンソン・クルーソーを語って聞かせたりする(彼女はとっても喜ぶ)。

そんなふうに仲良くなっていったある日、沖合に船が見えて、彼が手を振って波打ち際を走りながら寄っていって、現れたのが白軍の船であることがわかると彼女は..

砂漠をえんえん渡っていく苦行のなか、敵も味方もどうでもよくなっていって、彼女は彼の青い瞳と貴族的な優しさに、彼は彼女の猛々しいけどどこか柔らかいかんじに惹かれて寝床を共にしてごろごろするところまでいった - ふたりが仲良くなっていくところはとても素敵に描かれている - のに、沖から第三者が現れてそこでお互いの赤と白が改めて浮かびあがると彼女は赤軍の兵士としての行動を取ってしまう。

ふたりの間に詩とかロビンソンクルーソーとかがあって、タバコやキスで互いを好きになっていたとしても、兵士として狙撃した敵兵の数を数えることで認められてのしあがってきた彼女は、その任務をオートマチックに全うしてしまうのだなあ - それが戦争というもの、なのかなあ、とか。 たぶん、中尉の方はそうなるとは思っていなくて、でも彼女をあの状況下ではっきりと「フライデー」にしてしまったのその無意識な貴族の、男性の目線(思いあがり)があの一撃をもたらしたのだ、ということを最期に思い知ったのではないだろうか。思い知ったときには遅かったけど。

これ、男女の役割とか出自が逆だったらどうなっていただろうか、とか。男子が孤児の叩き上げの狙撃手で、女子が貴族出で学もある捕虜だったとしたら..  『流されて…』(1974)みたいにはならないかな。

冒頭の海の描写もだけど、砂漠と海の撮り方がその過酷さも含めて見事にとらえられていて見入ってしまうのだが、あんなところをえんえん彷徨いたくない、3時間で置き去りでさようなら(でいいや)になった。

0 件のコメント:

コメントを投稿

注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。