1月23日、日曜日の昼、シネマヴェーラの特集『あなたは猪俣勝人を知っているか』で見ました。知っているか? と聞かれたら、知らない、って返すしかないくらい知らない。
フィルム上に出てきたタイトルは『女給』だけだったのだが、チラシとかWebでは『まごころの花ひらく 女給』となっている。よくわかんないのだが、映画の内容からすれば洋画につけられてしまうくそったれた邦題みたいなタイトルかも、って思った。 監督は千葉泰樹で脚本が猪俣勝人。
ふつーの会社に勤める伊藤順子(杉葉子)と石井毅(伊藤久哉)は婚約していて、でも順子の家には旧華族のプライドを引き摺って節制ができない母(英百合子)がひとりいて、置いていけないし十分な結婚資金も貯まりそうにないので、友人を頼って銀座のバーQuail(うずら)に勤めはじめる(行ってみるとその友人はもう辞めていた)。昼間の会社勤務はそのまま、母には会社で接待係をやることになった、と嘘をついて、婚約者は心配してバーにやってくるのだが順子は面倒だから来ないでという。お金が貯まったら抜けるし抜けられるはずだし、と。
バーにはベテランでクールなシングルマザーの澄江(越路吹雪)がいて、一人息子の和夫(設楽幸嗣)をアパートに残して遅くまで働いていて、そこに夫の戦友だった杉浦(上原謙)が訪ねてきて妻子ある彼だけどちょっとよいかんじになったり、でもその結果和夫がかわいそうになってしまったり。
やがて順子はバーの常連の上客のビジネスのためにと嵌められて処女を奪われて妊娠して、それを石井に知られても開き直るしかないし、嵌めた男は収賄で捕まっちゃって散々だし、そんなこんなでバーのマダムと大喧嘩してQuailを辞めても、別のところに移って女給を続けるしかなくて、そこには『女ばかりの夜』(1961)のように一度入ったら軽く抜けられなくなってしまう闇の世界があって、その反対側で澄江は和夫のこともあるから、と杉浦を振り切った後にバーを辞めて美容師になろうとする。
女給の世界から抜けられなくなっていく女と抜けようと決意する女と、どっちが正しいとかよいとか悪いとか、そういうことではなくて、その反対側には「この程度のこと」ではびくともしない男の世界があって、それは夜になると現れて、そのやらしい連中は昼間はがんばって働いていろんなのを「支えている」ことになっていて、なんだこの回転は、とか思うわ。
例えばバーの常連でいつもご機嫌の漫画家(山形勲)の漫画 - 『銚子好男とうわのそら子』とか。ほんと男はどいつもこいつも調子よくて偉そうでやらしくてむかつく。なにが楽しいんだろ、って映画でこの時代のバーの様子とか見ると思う。ああいうとこでみんなえんえん何話したり騒いだりしていたのかしら? ほんと謎。いまだに。
最近見た邦画だと『月は上りぬ』(1955)の杉葉子 - これも1955年だ - がいて、あの役柄からここにそのまま来てもおかしくない気がしたし、息子の和夫は『黄色いからす』(1957)でも変わらずかわいそうな子 - 戦争の不幸が絡んでいる - だったり、マルチバース.. ではなくて戦後の庶民が囲われて囚われたひとつの閉じた世界だったのだろうな、とか。
で、これらは70年くらい前のにっぽんの断面っていうだけでなくて、ぜったい今もその影とか残滓みたいのはそこらじゅうにあって、今日亡くなった元都知事なんかもそこにいた奴らの仲間で、いいじゃねえかっていう人もいるのだろうけど、ぜったい嫌だ、って言い続けてやろう、って、そのために見てやる、というとこもある。
越路吹雪、一曲歌ってくれてもよかったのになー。
2.01.2022
[film] 女給 (1955)
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