3.16.2021

[film] Untitled Pizza Movie (2021)

3月1日から11日までの間に、3回に分けてMetrographで見ました。

Part1から7まで、約30分の短編が7つ並べられたドキュメンタリー、とも少し違う小説のような個人史のような体裁の映画 - 各partの最後には脚注のコーナーがあったり。各Partのサブタイトルは;

Part 1: Ice Cube Trays,  Part 2: Eat to Win in the Elevator,  Part 3: Pizza Purgatory,  
Part 4: Zig Zag,  Part 5: The Natufian Culture of 9,000 BC,  Part 6: Clams,  Part 7: Mars Bar。

ひとはどうしたら周りにいた人達のことや使い捨ての世界のことを記憶したり記録したりしておくことができるのか? 美しい物語や輝ける歴史のように勝手に語り継がれていくことのない隅っこのガラクタ – “A History of Fucking Up”はどうやったら遺していくことができるのだろうか? という試論/私論。

監督のDavid Shapiroは90年代の中頃、生まれ育ったLower East Sideの学校の友人Leeds Atkinsonと一緒に”Eat to Win”ていう映像プロジェクトを始める。ピザスタンドでコンテスト名目で無料のピザを食べさせて貰って、その映像をThe Wiz - 90年代にあった安売り家電チェーンの”30 Days Return Policy” - 「30日以内なら返品可能」を使って調達したビデオカメラで撮る – これのテープが発掘されたのでそれを題材に、ピザスタンドのピザに取りつかれていた自身の過去を他のアーカイブ(&ガラクタ)と共にひっぱりあげようとする。

New Yorkの街は、Lower Eastは特にひどいけど、ものすごい勢いで変わっている。我々の知っている90年代の街はもうほぼ残っていない。同様に当時読んでいた本、聴いていたレコード、遊んでいた玩具、駄菓子、そして友人たちも、残っているものもあるがどこにいったのかわからないものも沢山ある。それらって、どこにどんなふうに残っていく/残されていくのだと思う?

こんな問いと共に開始されたプロジェクトはPart2の終わりに唐突に告げられるLeedsの死と共に急転回して、Leedsの生前の様子や友人、未亡人、家族、メール等、過去と現在を行ったり来たりしながら彼の肖像を浮上させようとする。もうひとつは”Eat to Win”プロジェクトで知り合ったLombardi’s(Spring st. にあるピザ屋)のピザ職人- Andrew Bellucciについて。Bellucciは若い頃にWall st.で罪を犯して服役してピザ職人になった後、マレーシアに渡ってNYピザの店を出して、NYに自分の店を持つべく戻ってくる、そんな彼のピザをめぐる世界と人生を、これも彼の家族も含めたインタビューを通して描く。そしてそんな彼らとの関係を結んで紡いでいく監督David Shapiro自身のこともまた。

内容も構成もひとつのテーマを掘り下げて追っていく、というよりも現在のインタビューから過去のアーカイブまで自在に行ったり来たりの散文調で3人の人物像だけでなく彼らを取り囲む家族や友人、都市の過去から現在まで、ランダムに散らして転がしていくので各パートはあっという間に終わってしまう。変わっていったり失われていくものをどうサルベージして自分のガラクタ箱に並べられるのか、とか。 それはフェイクではないと、ほんものであるとどうしたら言えるのか、それらは「問題」になるのか、など。

その起点にピザがある、というのはおもしろい。ストリートフードでファストフードで、スライス$2くらいで、どこのストリートの角にもだいたいスタンドがあって遅くまでやってて、1スライスか2スライスか、頼むと窯で温め直して出してくれる。ランチでもライブの前でも映画の後でも、わたしにとってはまじでライフセーバーだった。これがハンバーガーやホットドッグと少しちがうのは、この映画にも出てくるKatz'sのサンドイッチともちがうのは、料理を仕上げるのは人ではなくて窯(ガスでも薪でも)だっていうとこで、要するに工程にヒトの介在しない世界の神秘が関与している。 ある人にとってその宇宙にあるのはバーガーかもしれないし、ラザニアかもしれないし、ラーメンかもしれないし、タコスなのかもしれない。そこは議論しなくて、ピザのサークルを中心としたときUntitledに広がる宇宙はこういうものだ、と。

Lombardi’sから(昔の)John's PizzeriaからPatsy'sからもう消えてしまった無数のお店たち、あれらのピザの記憶と共に形作られていたかつてのNYの地図はいったいどこにあるのか。なんで90年代のNYのあれこれは未だに記憶の隅に居座ってあれこれ言ってきたりするのか – これは自分でもわからない。東京の街でそういうことは起こらない。Londonもたぶん(Londonはこれとは別のかたちでとり憑いてきそうだが)ない。 NYの激しい四季、通りの汚れっぷり、Lower – Upper、East - Westのコミュニティのありようとか、いろんな要素が絡まってあのピザの様式が決まっている気がする。(だから、シカゴピザもこれと全く異なるUntitledな世界を形成するであろうことは容易に想像できる)

そして、そうやって錆びれた記憶のなかで縒りあわされた90年代のNYがCovid-19で近寄れなくなったリアルNY(ああもう1年行っていない。こんなに長く離れたのは初めて)と共にPCの画面の向こうに立ちあがる。都市は変わっていく、時間は流れていく、あたり前のことだけど今はきつい。

Metrographでのスクリーニングでは各Partの終わりに監督とのトークがあったりして、その一回目の相手はJonathan Lethemさんだった。この内容がすばらしくて、また聞きたいと思っていたらBeliever誌のサイトに採録されていた。彼の小説のファンにとってもおもしろいものだと思う。

https://believermag.com/logger/david-shapiro-makes-memories-into-objects/

ちなみにJonathanはこの映画の手法をプルースト的だって。マドレーヌ = ピザ説。

あと、Part 7の後にはNYピザ関係者が会したPizza Panelがあって、このディスカッションもおもしろかったのだが、参加者のひとりDrew Nieporent氏(Nobuのオーナー)がかつて経営していたフレンチ – Montrachetで出していたパンのことに触れたので身悶えした。ここで出していた小さな蓋のついたパンがどれだけ衝撃的においしかったか、それが当時は革命だったのだ、って。 うんうん。これを継ぐかたちでDavid BouleyはBouley Bakeryを作ったのよ – たしか。

なんか、この当時のどこのピザが、パンが、どんなふうにおいしかったかとか、そういう話だけしていたいなー。

次にNYを訪れるときはアストリアにあるBellucci Pizzaには行ってみたい。

この映画のサイトにいくとポインタがスライスピザの三角になるの。
 

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