3月18日、木曜日の晩、Sky TVで見ました。この後、何度もリピートしてやっているのでなんとなくつまんで見たりしている。
“Batman v Superman: Dawn of Justice” (2016)の続編として制作された”Justice League” (2017)は、制作の最終段階にきて監督だったZack Snyderがご家族の事情によってその座を降りて、Joss Whedonに引き継がれ、Joss Whedonの映画としてリリースされた。その後、どこのだれのどういう力が働いたのか、この映画にはZack Snyderのバージョンが存在するはずという想定に基づく#ReleaseTheSnyderCut ていう運動が起こって、Zack Snyderもそれを認めて、Warnerもそのための追加の費用を出すことに合意して、それが今回(米国では)HBO Maxからリリースされた。それが4時間2分という長さになるとは思わなかったが、見せろ見せろって言っていた連中はこれで黙る(のだろうか)。
わたしはJoss Whedon版の”Justice League”を見てもそれなりに楽しんでしまって、これは本来作られるべきだったものとは違う、とも思わなかったし、言われてみれば“Watchmen” (2009) 〜 “Man of Steel” (2013) 〜 “Batman v Superman: Dawn of Justice”とZack Snyderのヒーローものを見てくると彼が自分のヒーロー観に基づいて物語を作ってきたことはなんとなくわかるものの、そこをそんなに掘りたいのかなんて思わなかったし、という程度のもの。MCUのについてもべつに同様で、スケールがでっかくて地の果てで思う存分にどかすかやってくれれば、ヒーローが何にどう悩もうが苦しもうが別にどーでも、というスタンス。
最初に気がつく画面のアスペクト比が1.33 : 1で、監督によるとこれは”First Cow”と同じでふたつの映画には同じDNAが流れている、とかインタビューで語っていてなに言っているのこのひと? とか思うのだが、”First Cow”の画面比は1.37 : 1で少し違う。あと、こういうことを語っているNY TimesによるZack Snyderインタビュー(3月21日付)はなかなかおもしろい。
ストーリーの大きな流れは変わらなくて、悪役には牛みたいなSteppenwolfの上位にいるDarkseidっていう悪坊主みたいのが出てきて、彼らが追い求めるMother Boxにも太古からの争奪と復讐の歴史があって、アマゾンとアトランティスからそれらの箱が奪われて、地球にある最後のひとつが奪われたらやばい、でも力が足らないってJustice Leagueのヒーローたち - Batman (Ben Affleck), Wonder Woman (Gal Gadot), Aquaman (Jason Momoa), Cyborg (Ray Fisher), Flash (Ezra Miller)が集結して、でもやっぱりあいつもいないと、ってSuperman (Henry Cavill)も墓を掘って蘇らせて、Steppenwolfはやっつけるのだが、Darkseidはやはりあれではだめだったか、とかいうの。
何が足されて何が引かれたかとか、あまり興味がないのだがPart 6(+エピローグ)までに分かれているのでそんなに退屈はしない、かも。ただ全体として画面は暗めで – Supermanのコスチュームも黒系で - 見せ場はスローモーションが多用されてうんと速いのか遅いのかばかりで、よく映画館でCMが流れるバトルもののゲームを延々見せられているような感じにはなる。箱が3つ繋がったら世界が破滅する、ヒーローを集めて戦うんだ!ってそれだけの。 単に画面上の情報量がすごくて(でも言葉は少なくて)年寄りにはきつい、それだけのことかもしれない。 あとこれは真剣な戦いなんだから笑うんじゃない、って笑ったり和めたりする場面は減っている。 MPAAのRatingは前のがPG13で、今度のはR。
神話世界へのこだわり、というのもあるようで、これは神々の戦いなので、政府とか軍とか市民 - Joss Whedon版にあった戦場から逃げ出す人々の姿 – は一切出てこない。神 – ここではヒーロー - はどうしてヒーローになったのか、という物語が、特にCyborgとその父 (Joe Morton)の話として長めに挿入されるのと、ヒーローだからと言ってパーフェクトではなく常に善悪の彼岸に立たされ揺れていること – これはZack Snyderが追い続けているテーマ - がエピローグで強調されていたり。でもそのへんって割とどうでもいいんだけど。 人は人だし猫は猫だし。
あの終わり方とエピローグは、これが終わりではないのだって、いろいろ盛ってきているのだが、あそこまでいくと”Kick-Ass”とか”Deadpool 2” (2018)のぽんこつ愚連隊のかんじもする。そんななか、なに言っているかよくわかんないJared LetoのThe Jokerだけがひとり生々しくてよいの。でもあの場面にHarley Quinnを入れられない、っていうのがこのシリーズの限界だと思うのよね。
あと、これが今リリースされても、昨年からの1年間で軽く200万以上の人々が亡くなっているところにJustice Leagueもくそもないよね、って。 だからこないだの“Wonder Woman 1984” (2020)は80年代だったのだし、”WandaVision”は昔のTVから魔女狩りの頃にまでに遡ったのだし、(まだわかんないけど)”The Falcon and the Winter Soldier”はもうお役ご免になっている彼らの姿を映しだす。 いやこんな時代だからこそ、ってイキりたいのもわかんなくはないけど、人類を滅ぼすのは悪漢ではなくてウィルスだし、救うのはヒーローではなく科学とワクチンなんだって。
今回のこういうやり方が成功したりすると、今後のこういう映画のつくり方も変わってきたりするのだろうか? 考えるの面倒くさいけど、ファンが望んでいるものをこういう形でリリースしていくのってどうなのかしら。 このジャンルが映画秘宝みたいなノリのあれ(ってなに?)の思うがままに動いていくって、それはそれでつまんない気がする。
あとサントラ、Nick CaveにTim BuckleyにLeonard Cohenて、やっぱし暗くないか。
CyborgのパパのJoe Mortonって、“The Brother from Another Planet” (1984)のThe Brotherだよね。だからあの箱もきっと。(そういう世代)
分離されたMother Boxが3人の老婆になるって、マクベスかよ。 3匹の子豚とかでいいのに。
映画館でリリースされたら見にいくかしら? IMAXだととってもぐったりになりそうな気が。
3.23.2021
[film] Zack Snyder's Justice League (2021)
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