3.05.2021

[film] 晩菊 (1954)

2月25日、木曜日の夕方、Criterion Channelで見ました。なんとなく成瀬を見ていくシリーズ。英語題は”Late Chrysanthemums”。
『めし』(1951), 『妻』(1953)と同じく原作は林芙美子。

木造の家屋が並んでいる通りを抜けて高利貸の板谷(加東大介)が倉橋きん(杉村春子)の家の玄関を開けて犬をなでなでする。二人はお札を数えたり景気の話をしたり互いに儲かっている/儲けてるでしょう?とか探りを入れて、きんは「お金にはあんまり慌てたくない。慌てさえしなければ雪だるまみたいに膨らんでくれるから」とか、口のきけない女中を家に置いていたり現金をしまったタンスにしっかり鍵をかけたりとか、相当がっちり固めていることがわかる。板谷の帰り際にはあんた最近犬に吠えられなくなったわね、って言う。

それからノブ(沢村貞子)と仙太郎(沢村宗之助)の呑み屋への取り立てのシーンで、逃げられたら困ると思ったから裏口からきた、と言うキンに対して、ノブは今日はちゃんと用意しておいた、うちも落ち着いてきたし子供を持ってみたい - よしなさいよ、とか。後は昔の仲間のタマエ(細川ちか子)の話で、もう3ヶ月も貯めているとか、彼女いい年していつも厚化粧でお妾でもしてるんじゃとか嫌味を言って出ていく。キンが帰った後のふたりの会話で、きついねえ、昔は芸者でいろんな男を手玉にとっていたのにねえ、って。

取り立ての続きで旅館あかねにいって、タマエは休んでいていないよって水を撒かれて、今度はトミ(望月優子)のところを訪ねると、自分は年だけどあんたはつやつやしててなんかホルモン剤でも飲んでるの、とか言われて、タマエは病気って言っているけど本当かどうか聞きにきた、と。頭痛がひどくてお金がなくてホルモン焼も買えないらしいわよ、って。あんたたちは会えばグチばっかり言ってて、昔馴染みだからってずっとお金返してくれないのはひどい、って帰っていくきんに「ちっ」って舌打ちしている。

キンはようやく寝込んでいるタマエのとこにあがりこむのだが、彼女は心臓がよくなくて立ちあがると眩暈がする、息子の清(小泉博)は就職試験をしてどうなることやら 〜 借金はもう2~3日待ってくれないか、そこに清が帰ってきて、試験はだめだろ、って。キンが帰った後に清がママにお金を渡して、あいつの顔に叩きつけてやればよかったって。いつになったらママを助けてくれるのか、ってグチると実は年上の女性 – お妾 – と付きあっている、と言われてしまってがーん。

寝込んでいるタマエのところにトミがパチンコが当たったから、ってとんかつ2枚買ってきて(とんかつ食べたい)、ふたりでキンの悪口を散々いう。貯めてばかりいないで施しゃいいのよとか、キンが男と無理心中したりした過去のことが明らかになったり、清のことで文句言ったり、あんたくよくよするのはホルモン不足なのよ、っていう。

ここまでのキン、タマエ、トミの描写で中心となる3人の女性のキャラクターが明らかになる。全員元芸者で、今は連れ合いがいなくて、キンは一人で金を貯め込んで、タマエとトミはふたりで貧乏しまくりで、でもそれぞれに結婚間近の息子と娘がいて、全員が世間に悪態をついて互いの悪口を言い合って生きている。ノブだけは夫がいて比較的安定していて、彼女の呑み屋はいろんな人が立ち寄る交差点みたいな役割をしている。

で、路地でキンを探しているらしい男 - 関(見明凡太郎) - かつて無理心中した相手 - を見てキンは慌てて逃げて、彼が家に訪ねてきても冷たく追い払って、他方で戦時に追っかけて広島まで行ったりした田部(上原謙)からの手紙で彼が会いたいっていうので機嫌よくなって、昔の写真をみてにこにこするのだが、実際に彼が現れて晩酌を始めるとやってきたのは金目当て - 40万貸して20万でもいい - だったので途端にがっかり幻滅して - ここだけキンのシラけた独白が入る - あーあ、って。

娘の幸子(有馬稲子)のところに金をせびりにきたトミは、彼女から店に来るお客さんと結婚する、って言われる。騙されているんだ、まだまだ楽しんでからの方がいいよって言うのだが幸子は聞かずに出て行って、タマエのとこの清は、北海道にいいクチがあったから出稼ぎに行くことにしたので結婚はやめた、って言う。

キンが酔っ払って泊めてくれようって動かない田部にうんざりしている時に、タマエとトミは自分たちを置き去りにする子供達に乾杯!とか、あたしら子供がいるだけいいわ、とかグチまみれで呑みまくっていて、清と北海道へ行きたいよう、とか嘆いて、ぐでぐでになって一緒にねる。

ここ、ふたりで歌う、♪ 酒のむな~酒のむな~の「ご意見~なーれど~あ~よいよい」が 字幕だと”Hey Hey”だけとか。 

外は土砂降りの大荒れで、そういえば『めし』(1951) でも『山の音』(1954) でも寝つけない大嵐の晩がターニングポイントのように描かれていた気がする。 そしてどの作品でも上原謙は史上最低の男を演じている。

ラストは北海道に行く清を駅で見送るタマエとトミ。温泉に向かう芸者をみてなにかを思うトミ。ママに変わったことがあっても帰ってこなくていいよ 〜 ママは死なないよ 〜 ママ手紙書いてね、でママはとっても泣きそうになる。ふたりは遠ざかる電車を橋の上から眺めて、あたしたちもしっかりしなきゃねと、トミはマリリン・モンローのまねをしてふたりで笑う。そして平常運転に戻って階段をおりていくキンの姿。

ガールフッドにもシスターフッドにも近い、なんとかフッドの、戦時中は芸者で一緒にがんばっていた3人の女性の「戦後」を描いたお話。 キンの世界観の中心にあるのはお金で、タマエとトミはお金は手に入らないし見たくなくて、自分らの息子や娘ばかりを見ていたらやがて彼らも見えなくなってしまって、でもなんとかやっていますわ、っていう。男なんていらない。 ぜんぜん明るくない話だし、親戚のおばさんのグチを延々聞かされているかんじなのだが、なんかいいの。 『流れる』(1956)にも通じるすばらしいエンディング。これで終わりだよ、って突き放すのではなく、ただこうして続いていくのだ、って。

街並みとか道路、暗い路地、明るい通り、平坦でなく高いところがあって低いところがあって、物売りが来たりチンドン屋もいて、豆腐屋もいて、ゴミ屋も巡礼とか行き来している。昔の東京とかはこういう町で、とっても素敵だったんだけどな、って。 この画面のかんじ、リストアされたらどうなるのかなあ、とか。

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