17日の晩、BFIで見ました。ここでは5月いっぱい、”Lost in America: The Other Side of Reagan’s 80s”ていう特集をやっていて、自分がずっと追っかけている問題関心からすればぜんぶ見ないといけないようなやつなのだが見事にぜんぜん行けなくて、見れたのはこれとあともう1本だけになってしまった。反省したい。
なんでこの時代のアメリカなのか、はいろいろ意見あるだろうけど、今のアメリカを覆うぶっ壊れていたって構うもんかどうせ端からぶっ壊れていかれてるんだしさ、みたいなふてぶてしい空気や態度の源流は、このReganの時代に素地が作られた(できあがった)ような気がするから、かなあ。
作品に関する予備知識は一切なくて、Rom-Comていうのも直前に知った。でもこれならタイトルだけで行くべし、にはなる。
マンハッタンの本屋に勤めるIsabelle (Amy Irving)はもう30過ぎで、そろそろなんとかしなきゃ、落ち着かなきゃ、で本屋のイベントでReadingとかしている作家のAnton (Jeroen Krabbé)あたり、なんかよいかも、と思っていても実際にはなかなか難しくて、ダウンタウン(当然Delanceyのあたり)に独りで暮らす彼女の祖母Ida (Reizl Bozyk)は、そんな彼女を心配してお見合い仲介屋を呼んできて紹介してみたりするのだが、そこを介して現れたピクルス屋のSam (Peter Riegert)とか、なんか違うんだよなあ、なんでこの人くるかなあ? になってしまってどうしたものか、になるの。
物語はそんなIsabelleの切羽詰まった恋の行方を追う、というよりは自分が住んでいるUpper Westのアパートから事あるごとにダウンタウンのDelanceyまで下りてきておばあちゃんのとこでぐだぐだ口論したりアパートの窓からの景色を眺めたり、そんなことばかりしているIsabelleのそんなふうに過ぎていったって別にいいよね、の日々を追って、そんならおばあちゃんがいればいいんじゃないのあなた、みたいに悠然としててなんか悪くないの。
明らかに今(10年代)のRom-Comに見られる切迫感 - ここで踏みださないで、掴まえないでどうするよ – のちゃきちゃきとは別系のテンションで悩んだりくよくよしてばかりのAmy Irvingはファッションも含めてとても素敵なのだが、ここではそれ以上におばあちゃんを演じたReizl Bozykの、孫を構いたくていじりたくてしょうがないおばあちゃんのかんじが素晴らしい。彼女、元々演劇畑のひとで映画はこれ1本しか出ていないそうなのだが、画面の上で彼女に出会えただけでとってもよかったかんじにはなる。
あとはDelancey stの界隈の、JewishもChineseもごちゃごちゃ横並びしていながら不思議と調和が保たれているあのかんじって、この頃から既にそうなんだねえ、って。Bowery Ballroomがあって、その少し先にはTonic(もうとっくに無くなったけど)ていうライブの聖地があるところでもあるの。住んだらぜったい和んで他に行けなくなる。
恋愛の決着のつけかた、としてインテリゲンチャの世界ではなくてピクルス屋のほうをとる、ていうのはこないだの”Maggie's Plan” (2015) にもあったりするのだが、それってどういうことかというと、ピクルスを漬けてつくる作業というのは実はとっても繊細で恋愛のそれと似ているのだ、ということでよいのかしら。 漬けすぎてしょっぱくしたらあかん、とか。
あと、音楽はThe Rochesがずっと流れていて、これもすごく懐かしくて。
5.31.2018
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