4月23日、月曜日の晩にSOHOのCurzonで見ました。 “120 BPM”。
公開されてからだいぶ日が経っていて、見なきゃだったのだが、これの予告でBronski Beatの” Smalltown Boy” - Jimmy Somervilleの声が聴こえてくるだけでじーんとしてしまって、こんなの絶対泣いちゃうに決まっているのでなかなか足が向かなかったの。 2017年のカンヌのグランプリ受賞作。
90年代初、HIV/AIDSという未知の、新たな病の蔓延が社会の脅威になっていて、それはゲイの人達の間で性交渉を通じて感染していくらしいことが確認され、根本的な治癒策はなくコンドームで予防するくらいのことしかできない、と言われていた時代、HIV/AIDSがゲイに対する偏見の線上で、その偏見を悪い方に助長する形で広がっていった時代。 フランスで、ACT UPという活動団体に集まった若者(含.患者)たちが製薬会社や政府とどう渡りあい、抗議活動を繰り広げ、パブリックにアピールしていったのか、という試行錯誤や苦闘 – たまに歓喜、更にその活動のなかで知り合ったSean (Nahuel Pérez Biscayart)とNathan (Arnaud Valois)の切なく燃えた恋、このふたつの線を中心に描く。他にも若者はいっぱい出てきてそれぞれに素敵なのだが、とにかく。
抗議活動の方は学校や製薬会社に乗り込んでいって暴れたり声をあげたり威勢よくて勇ましくてがんばれーなのだが、それと並走しつつも、たどたどしく歩み寄り確かめあい、絡みあっていくふたりの恋の行方ときたら、別の方向を向いているようで実は同じ方角に消えていった流れ星だったのか、とか。
HIV PositiveのSeanにとって抗議活動は自分が死なないための、(沈黙してもその先には死しかないから)死を蹴散らすための必死の活動で、叫びで、そのスケッチが切り取る彼らひとりひとりの生の輝きがあって、それがSeanの体の衰弱と共に視野が狭まるように明るさを失っていくと、Seanのアパートでホスピスを始めるNathanとの愛が、今度は生を取り戻すための、生の灯を絶やさないための唯一の、最後の情動として、祈りとして、これしかないような確かさで愛と敬意と共に描かれる。
もちろんその灯が長く続くことはないのだが、彼の灰は抗議活動の場で再び光を取り戻すことになるだろう。
ものすごく陳腐でベタだけど蛍が舞っているかのようなその光景に誰もがSean… て立ち尽くして微笑むことになるの。
90年代初の都会の片隅に散っていった若者群像、という宣伝文句になってしまうのかもしれないが、もっとシンプルでピュアな恋愛映画、青春映画、でよいのかも。
かつて120Bpsで生きて動いていなければ死んでしまう時代というのが、今からほんの1/4世紀ほど前にあって、戦争でもないのに沢山の愛と生が失われて、若者たちはみんな適度に汚れてて、汚れることを怖れずに生にダイブしまくっていて、未だにあれはなんだったのか、と思うことがある。 彼らはいまどこにいて、なにをしているのか、デモや難民問題やトランプをどう見ているのか、とか。
“1991: The Year Punk Broke” (1992)との2本立てで改めて見てみたい。 .. “Touch Me I’m Sick”
5.05.2018
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